「捕まえても逃げる、また捕まえても逃げる。さて、どうすれば逃げられずに捕まえることができると思いますか?」




云わば、欲。




台所で冷蔵庫の整理をしていた私に近寄り、とつぜん妙な質問をふりかけてきたのは、六道骸。
彼と私はボンゴレ屋敷から離れた場所に二人で住まいを構えている。
マフィアと親しむ気はありません、の一言でボンゴレ屋敷を離れたわけだが。今となっては二人きりの生活も心地良いものとなっている。
ただ、二人で住んでいると言えど私達は恋人でも友人でもない。
一言で言うなら彼の‘お世話役’だ。
マフィアの世界はいつ仕事がきても動ける万全の状態でなければならないと、十代目の命令ゆえに私は彼と住むように命じられたのである。
健康管理、身の回りの世話など、それが無期限で与えられた私の仕事。
と、私が説明している間もいやな笑顔をこちらに向けてくるその表情、綺麗に見えてしまうのが腹立たしい。
ていうか顔近ぁぁっっっっ!!!!!

「ちょちょちょ、離れて。どうして普通に喋りかけれないの。いつも体を遠ざけることから会話が始まるよね」

とりあえず彼の胸板を両手で押し後ろへ二歩下がる。これが会話を始める前の下準備。
会話をするにはまずここからである。

と話しをする時、触れ合うぐらいの距離が心地いいので」

「心地いいってなんだそれ、どういうあれですかそれは」

「おかしなことを聞きますね。を前に心地いいときたら興奮に決まっているでしょう!まあ、あまり気にしないでください」

「会話するたびに興奮を求めないでくれる!!!!!!!」

あきれる私の突っ込みも普段通りの笑顔でさらりとかわされた。
はあ、この笑顔。
毎日毎日見てるけど、よくもまあ口角をそんなにも釣り上げて顔が疲れないものだね。顔の筋肉どうなってるんだか。
近頃は、この笑顔を少し邪見に思ってしまうことがある。
なぜなら、私は彼の笑顔以外の表情を見たことがない。もう何年も一緒にいるというのに。
先日、大けがをして帰ってきた際も苦痛の表情ではなく、少々しくじりました、と変わらぬ笑顔を見せてきた。
何よりも心を打たれたのは、何ヶ月か前の夜に過去の話しをしてくれた時だ。
すさまじい子供時代を生き抜く悲惨な話にも関わらず、終始笑顔だった。
かと思えば食事を食べる際に横に座るか向き合って座るか本当にどうでもいいことで言い争ったが、もちろん果てしなく笑顔だった。あれは逆にカチンときたが。
他にもその感情を表情に出せばいいのにと思えることが今までにたくさんあった。
辛いなら苦痛の表情を、怒っているなら怒りの表情を見せてくれてもいいじゃないか、と、ふと悲しくなるときがある。
お世話役、とは言っても何かの縁で一緒に暮らしてるわけなんだし。
全ての感情を笑顔にして向けられると、見ているこちらが心配になるのを本人はこれっぽっちも知らないんだろうな。

、そろそろ答えがでましたか?」

「は?」

「先ほどの質問ですよ」

「ああ!えっと、なんだっけ、逃げても逃げても逃げられる、ん?逃げても捕まえ……ごめん、どんな質問だったっけ」

「おやおや。いいですか、もう一度言いますよ」

「どうぞどうぞ」

「捕まえても逃げる、また捕まえても逃げる。さて、どうすれば逃げられずに捕まえることができると思いますか」

「はあ、それは捕まえても逃げられての繰り返しをどうやったら止められるかってこと?」

「そういうことになりますね」

そうだねえ、とつぶやき少し考え込んでみる。
そして思いついた答えが一つ。

「仲良くなればいいんじゃない?」

「仲良く、ですか?」

「そう、だって逃げるってことは嫌がられてるってことだろうからさ、仲良くなれば逃げることもなくなりそうなものだけどね」

「なるほど、はっきりとした答えですね。素晴らしいです」

「おお!素晴らしいとか言われちゃったよ!ってことで私は冷蔵庫の片付けの続きをしたいのでもういいですか」

「僕は捕まえても逃げられるのなら、この際足でも切り落とす幻覚をかけてやろうと考えていたのですがね」

「何その怖い幻覚!そして人の話し聞いてる!?冷蔵庫を……あ、あああ!雨だ雨!窓閉めなきゃ!」

「ほら、そうやって逃げるでしょう」

「へ?」

急な激しい雨音に焦り、窓を閉めようと彼の前から立ち去ろうとしたら大きな手にガシリと腕を掴まれた。
何かと顔を見上げればやはり先ほどと変わらぬ笑顔。ただ、少し目が笑っていない感じは、した。

「あの、骸さん?離してよ、窓閉めなきゃ!」

「今は僕と会話中のはずですが」

「いやいや、会話中だけど窓を閉めなきゃ部屋の中に雨水が入ってくるでしょ!」

「雨水がなんですか。雨水と僕を同じ天秤にかけられるなんて不愉快です」

誰もそんな天秤にかけとらんわあああああ!!!!と、心の中で叫びつつも声には出さない。
私の困った表情を見るなり頬に手をそえてきた。そしてムニムニ引っ張るようにつねり始める。
彼のわがままな発言、そして頬をつねる意味不明な行動に少し怒りが湧き無言で睨みつけてやった。
私の感情と比例してか雷がごろごろと低い音で鳴り始め、いっそう雨が強まる。

「その目も、いいですね」

「離して、窓閉めなくちゃ」

「いやです。窓を閉めるために僕から遠ざかろうとするその行動がいやです」

「は?また何わけのわかんないことを言ってんのさ!」

少し怒鳴り気味に反論してやると、数秒の沈黙が訪れた。雨の音が際立つように響く。
そして、彼が小さな低い声でつぶやいてきたセリフに私は唖然。

時間がある限りは、一緒にいたいんですよ。
僕はいつ死んでもおかしくない生き方をしている。

との一秒が僕を幸せにしてくれるのをご存知ですか。

悲しそうな笑顔で何を言い出すのだ。
その瞬間、バリバリ!と破壊音のような雷が鳴り更に雨は強まる。

「うひゃあああああ!!だめ、こんな豪雨で窓開けたまま話し込んでる場合じゃないでしょこれは!」

「いいじゃないですか」

「よくない!……もう!」

私は掴まれていた手を逆に掴み返し、二人で窓へ走った。
離れるのがいやなら一緒に行動すればいいことだ。これなら文句を言われる必要はないはず。

「うわあ!床びしょびしょ!これ、骸さんのせいだよ」

「……すみません、僕が拭きます」

窓から吹きぶってきた雨水が床に染み込み大きく変色していた。
さすがにこの状況を見て、反省の色を見せてきた。笑顔も少し困ったものになっていたような。
もっと早く窓を閉めさえすればこんなことにもならなかっただろうに、と思う半分心は晴れたように気持ちが良い。
君と過ごす一秒に幸せを感じる、こんなセリフを言う人間がこの世界にどれほどいるだろうか。
もっとも、彼だからこそ許せるセリフなのかもしれないが。

ただ、嬉しかった。

どこからもってきたのか綺麗なタオルで床を拭き始めようとする彼にストップをかける。
使い古したタオルで拭かないとタオルがもったいない!そう貧乏くさい言い訳をする私に、それもそうですね、と頷く彼。
一緒に床を拭いている間に雨がやみ、青空が見えてきたので散歩でも行きましょうという意見に賛成し、二人でのんびり街中を歩いた。
途中、偶然にも虹を見たのだが、彼と見れたという理由だけでこの虹は運命だ!と一人心の中で喜ぶ。
帰宅するなり、スーツの男二人が玄関前で待ち伏せしているのを発見。
驚くこともない、よくあることだ。そして、ボンゴレより任務です、と告げられる。

「急用らしいです。いってきますね」

また、笑顔。

「うん、気を付けて。あ、今夜は帰ってこれそう?」

「どうでしょう、まだ分かりませんね」

「そっか」

「おや、無理にでも帰ってきましょうか?」

「ううん!いつ帰ってきてもいいようにご飯用意しておくよ」

「ええ、お願いします」

仕事へ送り出すこの瞬間が妙にさびしいのは昔から。一向に慣れないものだ。
そんな心さびしそうな笑顔で手をふられたら、私は彼の留守中ずっと心配で彼のことばかりを考える。
今度は私から質問してみよう。
『捕まえても逃げる、また捕まえても逃げる。さて、どうすれば逃げられずに捕まえることができるでしょうか』
彼と同じ質問。彼を困らせて私のことで頭をいっぱいにしてもらう、だって、一緒にいたいと言いながらもいつも一人にされるのは私なんだよ骸さん。
それぐらいの意地悪いいよね?

満たされて満たされども、更にお互いを求めあう、それが一つの愛。

云わば、欲、ともいう。










僕は普段、なるべく明るい笑顔で彼女と向き合っています。
こうして仕事でやむを得なく彼女との住まいを離れなければならない時、いつもは見せないさびしそうな、悲しそうな笑顔で必ず彼女に向き合い真正面から、行ってきます、と告げる。
すると彼女も複雑そうな表情になり、行ってらっしゃい、と返してくる。
ああ、心地いい。
その表情、もう彼女の心は僕のことでいっぱいだ。
離れても僕という存在に縛られている。
それでは、なるべく早く帰省するよう心がけますね。

遠ざかる車内の窓から玄関で棒立ちする彼女を微笑ましく見守る、彼。





欲はどこまでも、縛る。


*END*