顔をうつむかせ肩を震わせているのは、私の幼なじみだ。
笑っているのか、泣いているのか分からない。

八歳の頃の話だ。
幼なじみと待ち合わせをしている場所の木陰で、地に転がっている石を足先で転がしていると、どこからか駆ける足音が聞こえてきた。
徐々に大きくなる足音は、正面にある角から姿を現した幼なじみのものであり、私の顔を見るなり二カッと笑顔を向けてくる。
徐行するかと思いきや、走る速度を維持したままこちらへと駆けてきたので、ストップ!ストップ!と叫んだ。しかし、あわてる私の手首を掴み取るなり、幼なじみは更に走る速度を上げた。
ふと背後より獣の息使いが聞こえ後ろを振り返ると、何故か牙をむき出しにした大型犬が私達を追いかけてくるもので情けない声を上げてしまう。そんな私と対照的にケラケラ笑いながら走る幼なじみときたら、勇敢なのか愚かなのか一体何なのか。
何であれ、犬に捕まれば血のあふれる現場の想像がついてしまうだけに、前だけを見て必死に走り、廃墟らしい建物の中へと駆け込んだ。
「扉を閉めるよ!」そう幼なじみは叫び、腐敗した分厚い木製の扉を二人の力を合わせて押し動かす。老朽化した建てつけにギギッと嫌な音がしたが、犬が飛び込んでくる寸前のところで扉は閉まった。
扉の向こう側から恐ろしく低いうなり声が聞こえてきたが、もう襲われる心配はないだろう。力なく扉にもたれかかり上がった息を整えた。
そんな私と同じく扉に背をあずけ、呼吸と連動して肩を激しく上下に揺らす幼なじみは、うつむいたまま顔を上げない。仕舞いには肩を震わす始末であり、大丈夫かと声をかけた。今になって恐怖を感じているのだろうか。
すると元気よく顔をこちらに向け、「あー楽しかった!」などと笑顔で言いだすものだから、頬を引きつらせてしまう。

「犬の頭にね、カマキリを置いたんだ」

「は?」

「あの大型犬かっこいいでしょ、カマキリもカマがかっこいいから、コラボしてみたくてさ!」

「……それで怒った犬が追いかけてきたんだ」

「にしても、あんなに怒るなんてカマで引っかかれたのかな?でもさ、さすが大型犬、迫力あったよね!今度は頭の上にクワガタを置いてみるか」

「もう、危ないことはしちゃだめだっていつも言ってるでしょ!犬も迷惑してるよ!」

「あ、私の方が年上なのに説教された!ふふ!」

「笑い事じゃないの!ハンちゃん!」

私の幼なじみ、ハンジ・ゾエは少し変わり者であり、思考を読めないときが多々ある。
趣向も周囲の者と合わず、同年代の友達から、よくあいつと一緒にいられるな、なんて言われることも。
それでも私は、ハンちゃんの隣が一番落ち着く場所だった。
お互い息が整ったところで目が合い吹き出してしまう。だが、次に同じようなことをしたら一緒に遊ばないから!なんて厳しい言葉をちらつかせると、決まってハンちゃんは謝罪してくる。そんな時に、必ず交わす会話。

――ねえ、、これからも一緒にいてくれるよね?ね?

――うん、ハンちゃんは私がそばにいないと無茶ばかりするもん

――ありがとう、ずっと一緒にいてね!約束だよ!





不に幸1




十歳の頃の話だ。
自宅の窓から玄関前に近所の男の子が立っていることに気付き、窓を開けて手を振ると、外へ出て来いとお呼びがかかった。
何の用だろうか。駆け足で男の子の元へ行けば、お前の好きな人って誰だよ、と挨拶もなく不機嫌な表情で問い詰めてきた。
好きな人?好きな人……好きな人、誰が誰の?
「そんなの知らない」そう返事をすれば、男の子は目元に涙をため、「とぼけんな!ハンジに聞いたんだ!」と叫んだ。

「ひい!い、いきなり、そんな大きな声出さないでよ!びっくりした……!」

「お前、誰が好きなんだよ、オレにも教えろ。じゃないともっと大きな声出してやる」

「だってハンちゃんとそんな会話したこともないし、本当に知らない。聞き間違いなんじゃ」

「嘘つけ!もうキスもしたらしいってハンジが言ってた!いやらしいんだよ!」

「はあ!?き、きすぅ……!?」

「くそ、絶交だ!どっかいけ不潔女!お前すっげえ気持ち悪い!」

目元にたまっていた涙はあふれるようにこぼれ、耳まで真っ赤に染めた男の子は立ち去って行った。唖然である。
この短時間に起こった事態についていけない。
……好きな人。そんな人はいない。当然キスなんてしたこともない。いやらしいだの、気持ち悪いだの、あまりにも一方的な会話であったように思う。はっきり言って傷ついた。
とりあえず、会話の中に名前が出てきたハンちゃんに理由を聞いてみるべきだろう。
急いで私たちの遊び場となっている草木の多い原っぱへ行けば、案の定頭にバッタを乗せて本を読んでいるハンちゃんがいた。
名前を呼べば、本からこちらへ視線を移し笑顔を向けてくる。

!こんにちは!ほら突っ立ってないで、隣に座りなよ。木陰は気持ちいいよね。おいでおいで」

「ハンちゃん……あの、ちょっと変なことを聞いてもいい?」

「ん、なに?」

屈託のない笑顔は、私の胸を痛ませた。
幼なじみにこのような疑いをかけていいものか。しかし、ここで黙り込んでしまっては話が進まない。
勢い良く隣へと腰掛け、大きく息を吐き、聞いてみた。

「わ、私に好きな人がいる、とか、誰かに言った?あの、覚えが無いならそれでいいんだけど」

「うん、言ったよ」

「な、ええええ!?本当にハンちゃんが言ったの!?」

「あいつでしょ、の近所に住んでる男の子。なんかさ、のことが好きらしくてね、の好きな食べ物とか、小物とか、喜ぶものを教えてくれって私に聞いてきたんだ」

「え……」

「だから、言ってやった。には好きな人がいるって」

「嘘、ついたの?」

「そう、嘘ついたの」

臆することなく淡々と話すハンちゃんは、まるで自分が全て正しいと言っているように思えた。
小心者の私など些細なことでも嘘をつく事態に罪を感じる性分なので、呆気にとられるしかない。
それにしたって、キスもしたらしいと、そこまで話を濃くする必要があったのだろうか。そう疑問に感じる点を質問すれば、ハンちゃんは本を閉じ私の肩に手を置いてきた。
何かと横を振り向くと、ハンちゃんの顔がグッと近づいてきたので反射的に頭を反らしてしまう。あごの部分に柔らかい唇が触れ、妙な緊張が走った。
今、何をしようと……?
「ああもう、動かないでよ」と呑気に言ってきたかと思えば、伸びてきた両手に頭を固定され、反攻する間もなく唇に唇を押しつけられる。一瞬のことであった。

「ハ、ハン、ハンちゃ……なに、え」

は嘘が嫌いなの、知ってる。ごめんね、だから嘘を事実にしよう」

「ま、まって、わからない、意味不明だよ、事実にしようって」

「まず、私があいつに嘘をついた理由は、腹が立ったから。どうしてあいつがを好きなの?目障りだよね!私達の仲をなんだと思ってるのかな」

「へ?」

「でもさ、私達が親密に仲良くしている場面を見せつけたら、あいつもあきらめると思うんだ。まあ、私の話を真に受けて既にあきらめてるかもしれないけど」

ハンちゃんは笑顔で何を言っているのだろうか。まるで、私達が好き合っているように聞こえるのだが。
なにより女同士だというのに、この展開は絶対におかしい。
ぽかんと口を開けハンちゃんを見ていると、手の上に小さな子供のバッタを二匹置かれた。私達はずっと一緒だもんね、そう言ったあと唇に続き頬に優しくキスをしてきた。
この日より、私達の関係は少しずつ斜め上へと進むこととなる。

その半年後の話だ。
ハンちゃんは大切な話があると言い出し、いつもの原っぱで本を閉じた。
何を言い出すか身構えていると、右手の拳を左胸にゆっくり当て、兵士になる決意をしたと告げてきた。
兵士は憲兵団、駐屯兵団、調査兵団に所属が別れており、希望の兵団へ入団するには、まず訓練兵団へ志願しなければならないと聞いたことがある。長い道のりになることは間違いない。

「ハンちゃん、どうして兵士に?」

「興味があるんだ、あの大きな壁の謎、それに壁の外、あと、この世界全体がどうなっているのか、とか。兵士になれば謎に迫れる気がしてね」

「なんてハンちゃんらしい答え」

「そう?あ、それにね、内緒にしてたんだけど、先週あの大きな壁が何で出来ているのかふと気になってスコップを持って削りにいったんだ!」

「ええ!?」

「そしたらさ、少し叩いただけで大人たちがすっ飛んできて。その中に憲兵もいた。直感だけど兵団は何か秘密をにぎっている気がしたよ」

「ハンちゃん……また無茶して」

「ここで相談なんだけど、

一息置いたハンちゃんは、私と一緒に兵士を目指して欲しい、と真剣な表情で告げてきた。……今何と言った。
おそらく冗談を言っているのだと理解し、盛大な笑い声を上げておいた。
迷わず無理だと返事を返せば、私を一人にするの?私すぐに無茶するかもしれないよ?側で心配してくれないの?こうやって会える日が激減するんだよ?私はがいてくれないと寂しい、などと今後気にかかるであろう言葉を並べてきた。
顔をうつむかせ、肩を震わせながらグッと眼鏡を押し上げる幼なじみの姿に、心臓が高鳴ってしまう。
確かに何をしでかすか予想もつかないハンちゃんを一人にさせるのは気がかりだ。私自身が一人になってしまうのも辛い、でも自分が兵士を目指すだなんてあまりにも急な話で想像さえつかない。
だが、場の勢いというやつだろうか、無意識にハンちゃんの震える肩に手を置いていた。

「わかった。ずっと一緒だって、約束したもんね。ハンちゃんを一人にさせたらバチがあたりそう」

「っ、!ああ、!ぶふふ!くく!」

顔をうつむかせたまま抱きついてきたが、隠しきれない笑い声にハッとする。
まさか、肩を震わせて……。

「もしかしてずっと笑ってたの!?」

「私の為に必死に悩む姿、最高だったよ!なにより、こんな短時間で決意してくれるなんて。ありがとう、!これからもよろしくね」

上手く言いくるめられた気もするが、お互いの額を合わせ、静かに笑い合った。
兵士を目指すこととなった日より、原っぱで遊ぶ時間は身体を鍛える時間となり、二人で体力をつけることに励んだ。
一番大変だったことと言えば両親を説得させるのに数ヶ月かかったことだ。だが、半ば呆れたように認めてくれた。身体を鍛える私を見て、頑張れとも言ってくれた。
そして、私が十二歳になる年と同年、幼なじみの二人は訓練兵となった。

訓練兵となった初日、それはもう身体も心も鈍器で殴られた気分にさせられた。
これから三年間、このような日々を過ごすことになると考えるだけで吐き気がしてくるほどである。緊張のあまり昼食をろくに食べることができなかったので、夕食はしっかり食べる計画をしていだのだが、残念なことに夕食も手が進まない。
空腹感が麻痺し顔を青ざめさせていると、同じテーブルで向かい合わせに座っていたハンちゃんが気遣う言葉をかけてくれた。
具は食べてあげるからスープの汁だけでも飲んでごらんと、言われた通り具を覗いたスープのみ口に運んでいると、食堂の扉が豪快に開いた。訓練兵の視線が扉へと集まる。そこに現れたのは朝から私達をみっちりしごき通した目つきの鋭い教官であった。ぐったりと丸めていた背筋は瞬時に伸びる。
教官は扉に一番近いテーブルで食事をしていた訓練兵の二人に筒状に丸められた大きな紙を手渡した。訓練兵の二人は教官の指示に従い、あわてた様子で食堂の正面に紙を貼りだす。どうやら、宿舎の部屋割のようだ。
食後、確認の上で荷物の整理をするよう通達をし、教官は食堂を後にする。
ハンちゃんは持っていたスプーンを置き、一目散に正面へと向かった。そこで部屋割を確認するなり、「よっしゃー!と同室っしゃー!」と両手をかかげながら叫び出した。皆の視線は教官に引き続きハンちゃんへと向けられる。初日から目立つ幼なじみに頬が引きつったのは言うまでもないが、どこにいてもハンちゃんはハンちゃんなのだろう。
格好こそ兵団の兵服を着ているものの、こちらへスキップで戻ってくる姿には原っぱを思い出し、つい笑いが込み上げてくる。ご機嫌な様子で椅子へ腰を下ろすなり、今日初めての笑ったね、そう笑顔で私の眉間を軽く突いてきた。

食器の片付けを済ませた後、振り分けられた部屋へ行くと、そこは二段ベッドが四つ並ぶ八人部屋であった。
ここで新しい生活が始まるのかと今後に不安を募らせていれば、ふと部屋に集まる同室の女性陣の視線に気づき、何故か私達……いいや、ハンちゃんを見て固まっていた。
そこで一人が、「男子は棟が違うでしょ!」と声を上げ、他の女性陣も男子が入ってきたと大袈裟に悲鳴を上げる。

「ま、待って!勘違いだよ!ハンちゃんは女の子です!」

「へ、あ、女の子?え、女の子なの!?」

「あはは!いやあ、まぎらわしい顔でごめんね」

頭を掻きながら苦笑いを浮かべるハンちゃんを女性陣は凝視し、言われてみれば……と騒ぎ立てたことに謝罪をしてきた。
ハンちゃんは中性的な顔立ちなだけに、性別を勘違いされやすい。私が知る限りでは幼児の頃からそうだ。
同室の女性陣と改めて顔を合わせ、自己紹介をした。皆疲れているものの明るい声が部屋中に響き、自然と笑顔が浮かぶ。同期の仲間達なのだと、そう考えると心強く感じた。
するとハンちゃんが、何やら素っ頓狂な声を上げ皆の人数を数え出す。

「あれ……ねえ、。この部屋って八人部屋だよね?」

「うん。ベッドの数からしてそうだと思うけど」

「私達九人いるよ?」

「は?」

皆があわてて人数を数え出し、九人であることに気付いた。……となると、ベッドが一つ足りない。
部屋割の手違いなのだろうが、せっかく皆で自己紹介までしたというのに、一人が部屋移動になる可能性大だ。
第一ベッドが余っているのかも不明な為、皆の顔色は不安一色に染まった。これは早めに行動した方が良さそうだ。
恐怖ではあるが教官の元へ行ってくると自ら皆に伝えれば、ハンちゃんに肩を掴まれる。

「私とが一つのベッドで一緒に寝よっか。はい、解決!」

「な、ちょ、ハンちゃん……」

「私達ね、幼なじみなんだ。一緒に寝るぐらいどうってことないよ。うん、せっかく同室になった仲間なのに離れるのは勘弁だよね」

それで本当にいいのかと皆は私を見てきたので、場の雰囲気からうなずかずにはいられなかった。
まあ、ハンちゃんと一緒に寝ることは今までに何度もあったし、皆の不安な表情もどうにかしたいし、いいか……と、ざっくりとした判断である。
不可思議な問題が解決したところで荷物の整理にかかった。就寝時間までには片付けてしまわないと。それに、今夜は入浴日ではない為、お手洗いで身体を拭きたい。一日一回風呂へ入れる贅沢はさせてもらえないゆえだ。
とはいえ時間は意外にも早く進み、ベッドのシーツを張っている時点で鐘が鳴ってしまった。皆、教官が見回りにくると、片付けていた荷物を放置しベッドへともぐり込む。
私も急いでシーツを張り終えベッドへ寝転ぶ……が、ハンちゃんがいないことにハッとする。
まさか、またどこかで無茶をしているのではないかと飛び起きれば、そっと開いた扉からハンちゃんがあわてて中へと入ってきた。

「ハンちゃん!どこ行ってたのって、うぐぁ!」

「しー!あと数秒で教官がくる!」

飛び込むようにベッドへ寝転んだハンちゃんは、私を押しつぶすかの如く覆いかぶさってくる。
苦しさのあまり身体をよじるが、くすくす笑うだけで、どいてはくれない。
そんな中、予言通り扉が開き緊張が走った。「ランプに火を灯したまま寝るやつがあるか」そうつぶやき、ランプの火を消した教官はさっさと部屋から出ていく。

「はあ、なんとか誤魔化せたな」

「ハンちゃん、どこいってたの!?っていうか苦しい、どいて……ぐふっ」

「ああ、ごめんごめん。いやあ、食堂に忍びこんでやったよ。なかなかスリルがあって楽しかった!」

「食堂に!?ハンちゃんなにして……」

の腹のため。昼食も夕食もろくに食べてないでしょ?なんか心配になって。パンここに置いとくから夜中に空腹がきたら食べてね」

ハンちゃんは私が寝ている壁側の隅へパンを置いてくれた。そして縛っていた髪をほどき、寝る体勢を取る。
狭いベッドに二人で寝るには窮屈でしかないが、意外にも楽しく思えた。
密着する二人の身体から汗の匂いが充満し、お互い半笑いで表情を歪ませてしまう。今日は汗を拭く時間も無かったので、明日からは時間配分を上手にしないと。
うつら、うつら、まぶたを閉じかけているハンちゃんに空腹の心配をしてくれた礼を告げると、頬にキスをされたので、額にキスを返した。

――明日も一緒に頑張ろうね

――うん、おやすみ





『仲良し』は、どこからどこまでが周囲にみとめられる範囲なのか、今の私は考えたことも無かった。







*NEXT*







-あとがき-
不に幸第一話、ご覧いただきまして誠にありがとうございます!
訓練兵時代のハンジさんを書いてみたくて……つい、です。土下座
そしてハンちゃん呼びにためらった部分もありましたが、幼なじみの年下設定で呼び捨てにするのもなあ、と何か引っかかりまして。
ハンちゃん呼び……お許しください。←←うわあ
こちらの連載ですが、成長していくたびに幼なじみの関係が歪みます。一方的に歪みます。ハンジさんが怖くなります。
途中より原作沿いに突入させたいと考えていますので、結構な長編になると予想しております。