不に幸3






訓練兵が三年間に渡り学ばなければならない科目は大きく分けて六つある。
様々な知識を教わることのできる兵法講義。立体機動装置の仕組みを一から覚える技巧術。
基礎の基礎と言っても過言ではない馬術。対巨人の戦闘を想定しての立体機動。
立体機動装置を装着したまま何キロもある荷物を背負い山道を走り抜ける兵站行進。
……そして、格闘術。
朝食の席で本日の訓練課題である格闘術のことを考えていると、噛むか溜め息をつくかどっちかにしなよ、とテーブルをはさみ正面に座るハンちゃんから声がかかった。
その声は笑いを含んでおり、笑顔でパンを千切っては口の中へと放り込む。

「対人格闘術なんて単純なものでしょ。攻撃がきたらタイミングを見計らってサッとかわせばいいんだよ、サッと」

「そのサッができないから困ってるわけですよ」

「うん知ってる」

「……ハンちゃん、怒るよ」

「攻撃がきたらあわてちゃって絶対に尻もちをついちゃう、そして腰が痛くなる、いつの間にか腰痛持ちになってた、でしょ?」

「詳しく説明しなくていい!ひどいなあ」

「ふふ!まあまあ、今回も一緒にペア組んで練習しようね。尻もちをつかない程度に優しく攻撃してあげる。多分」

「多分なんだ」

からかうような口ぶりだが、それもそのはず。ハンちゃんは格闘術において成績がトップクラスなのだ。
格闘術だけではない。どの訓練も上位の成績を保っている。訓練兵となり三ヵ月が過ぎた今、皆から一目置かれる存在へなりつつあった。
幼なじみ同士比べたくもないが、対して私はどの訓練においても下位だ。唯一、兵法講義は並の成績を保っているものの、他は情けなくなる成績である。
そんな私でも上位を目指したくなるのは必然的なのだろう。人より数倍努力をするべきだと考え夜な夜な特訓をした。身体も鍛えた。腕立て伏せなど片手で十回もできるようになった。しかし、皆は更に上回っていくのだ。
焦る一方で努力が足りないのではないかと自分で自分を責めもしたが、ある日、ハンちゃんにこんなことを言われた。
「気負いすぎるのはよくない、もっと気楽にいこうよ、ね!」と。正直、この言葉を聞いて余計に焦った。一番身近にいる人物が、私に対してとても甘い。これはまずいだろう。
ハンちゃんの優しさはとても嬉しい、だがそうも言ってられない。そこで、一つのお願いをしてみた。
そのお願いというのが、私をののしってほしい、というものだ。実際のところ自分でも驚くセリフだなあと思いながら頭を下げた。厳しい言葉を面と向かってハンちゃんに言われたら私の何かが燃え立つのではないだろうか、更に努力ができる気がする、との突発的な思いつきからである。
その頼みにハンちゃんは無理だと言いながらも何故か頬を紅潮させ距離を詰めてきたので、「今のなし!忘れて!」で事を取り消したのだが。……自分で言い出しておきながら妙な何かを感じ取ってしまった。
まだまだ訓練兵としての期間は二年半以上ある。幼なじみの優しさに甘えてはならない。これは自分の教訓として胸に刻んでおくべきだろう。

朝食を終え、休憩する間もなく一度部屋へ戻り訓練の支度をする。
固定ベルトの装着も手慣れたもので、すり傷や水ぶくれを起こすこともなくなった。
準備が完了した者から宿舎の外に出てはぞろぞろと集合場所へ人が集まりだす。ストレッチをする者、談笑をする者、立ったままでまぶたを閉じ寝ている者。皆様々であるが、鐘が鳴ると敬礼の姿勢を取り空気が張り詰めるのだ。
そこへ教官が現れ、本日の訓練の説明を始める。案の定、本日は対人格闘術とのことで木製の小刀が配布された。
小刀の配布が後列まで完了し訓練開始の合図を待っていると、「お前らの中にバカ共がいるようなので、こちらで対人ペアを決めてやったぞ」と教官は私達を見下ろしながら告げてきた。話は続き、対人格闘術となると教官の目を盗み真剣に取り組んでいない者がいるとのことだ。
今まで自由にペアを組んでいた実態が原因だと教官は目をつけたのか、おかげで全く知らない男子とペアを組むことになった。
これは好都合である。ハンちゃんと組めば緩い訓練にしかならなかっただろうが、会話をしたことも無いこの人なら……。
そこで現場に叫び声が響いた。聞き慣れた声だ。声のする方を振り向けば、背伸びをしたハンちゃんが教官の胸倉を鷲掴んでおり、その場にいた皆は唖然である。
「なんでだよ!バカ共だけ叱るべきじゃないですかね!?私達を巻き込むな!」などと教官に向かってとんでもないことを言い出す始末だ。
頬を引きつらせながら隣に立つペアの男子を見ると、こちらを見ていたのか即座に目が合い数秒だが見つめ合ってしまった。彼の顔を見ていると妙な違和感を感じ、次第に過去の記憶が震え立つ。
ふいに、「久しぶりだな」と声をかけられ驚くしかなかった。
このような偶然があるのだろうか。彼は以前、近所に住んでおり……忘れもしない、私にいやらしいだの、気持ち悪いだの、傷つく言葉を言い放ったあの男の子であった。
あれ以来彼は私の前に姿を見せなくなり、今ここで数年前ぶりの再開となる。

「なんだあれ、ハンジの奴。相変わらず意味のわかんねぇ行動しやがるな」

「ああ、まあ、うん。ところで、君も訓練兵だったんだね。気付かなかった」

「ハンジは気付いてだぞ、俺の顔見るなり笑顔で舌打ちしやがった」

ハンちゃんが気付いていた?だとすれば私に話す必要がないと判断したのだろうか。それにしても笑顔で舌打ちとは、あの優しいハンちゃんが……信じがたい話だ。
何より彼と話をしているとまた傷つく言葉を言ってくるのではないか、そう何気なく考えてしまう。
心でハンちゃんの名前を呼んでみるが、当の本人は教官に頭を押さえこまれている最中だ。……もう、何をしているんだか。
そこで教官の補佐である指導者から訓練開始の合図がかかった。皆は状況に苦笑しながら対人格闘術のできるスペースを確保し訓練の体勢へと入る。
さて、まずは私達もスペースを確保しなければならない。とどまっていた場所より先に一歩を踏み出すと、彼は大きな一歩で距離をつめ前を歩きだした。この辺りはスペースに空きが無いので端の方へいこうと彼の進むがままに後ろをついていく。訓練の邪魔にならぬよう間を歩き、ある程度皆との距離を開けた場所で足を止めた。
彼はこちらに向き直りさっそく攻撃の体勢を取る。両手の拳を顔前で静止させ、足はすぐにでも動けるよう軽くステップを刻み、姿勢は少々前かがみだ。その姿ときたら、どこから攻撃がきてもかわしてやる!とでも言っているかのようで、相手をする私は始める前から逃げ腰なのは言うまでもない。苦手な対人格闘術だけに……素直に怖い。ハンちゃんが恋しく思える。だが、ここでひるむようでは上達しないのも確かだ。こうなれば気合いでいくしかない。そう、気合いで、でも、怖くて足が動かないのはどうすれば。
一人であれやこれやと思考錯誤していると、彼は攻撃の構えを解きこちらへ歩み寄ってきた。いったい何の作戦だろうか。油断ならない人だ。
正面までくると呆れるように笑い、「相手を前にして、そんなへっぴり腰じゃ確実に負けんぞ。どんだけ尻突き出してんだよ」と指摘を受ける。
へっぴり腰……私が?腰を確認するべく腹部辺りに視線を落したところで、ふいに足首の辺りをはらわれ、空中で空を見上げながら勢い良く尻もちをついてしまった。
尻から腰に響く激痛に歯を食いしばり耐えるが、彼は容赦なく私を地へと押し付け、首元に木製の小刀を当ててくる。

「知ってんぞ。お前、対人格闘術苦手だもんな。いっつも尻もちついて、へったくそが。なあ、兵士になるのやめとけよ。さっさと家へ帰れ」

「っどいて!ぅぐ、苦しい!」

「おい、苦しいじゃなくて返事」

「……私が非力なのは自分でも分かってる。でも、兵士になるよ、ハンちゃんと約束したから」

「でたでたハンジな。そらな、お前ら好き合ってんもんなあ、気持ち悪いったらねえ」

「は?」

「昔、お前と最後に会ったあの日、見たんだ。お前らキスしてたろ。まさかキスする相手ってのがハンジだとはな、まんまと騙された」

一瞬にして心臓の鼓動が頭の先まで響き、尻と腰の痛みなど忘れるほどに緊張が走った。
こちらの焦った様子をあざ笑うかのように微笑んでくる彼は小刀を手放し、その手で私の下唇をなぞってはつまんでくる。
身体にまたがられ、背後で両手首を縛られ、おまけに唇を触られるなど、背筋に寒気が走るほどの嫌気が差した。これは精神的に苦しい。
首の骨が軋む直前まで顔をそむけ、彼を押しどけるべく動く足を思いきりばたつかせる。だが、頭など簡単に押さえつけられ、足は腰に拳を振り下ろされたことで痛みを取り戻し動かなくなった。

「っ……キスしてたから、なにさ。別にいいでしょ、仲良しなの」

「へえ、開き直るか」

「それに、キスしたのはあの一度だけだもん」

「どうだかな。でな、この事実を皆が知ったらどうなるだろう、って俺は思うんだよ」

「趣味悪すぎでしょ」

「趣味悪いついでに、今夜にでもあいつら女同士でヤッてるらしいぞって皆に言ってみるか」

「はあ!?やめて、そんな作り話!」

「だよな、変な噂立てられるなんて勘弁だよな。いいか、嫌ならハンジと今後は関わりあうな。飯も一緒に食うな、喋るな、笑顔を向けるな」

「へ、待って、無理言わないでよ!」

「約束だぞ。ほら、立て」

彼は私を解放し、手首を引いてきた。腰大丈夫か?立てるか?などと妙に心配する言葉をかけながら。矛盾しているだろう、彼自身がこのような事態を招いたくせに。
教官の目が気になりつつ対人格闘術の訓練へと戻ったわけだが、まともにやりあえるはずもなく一方的な攻撃を受けるだけで訓練が終わってしまった。
訓練終了後、こちらへ近づいてくるなり、約束は守れよ、と鳥肌が立つほどに低い声で囁いてきた。固まる私を見て愉快だったのか、友人と笑い声を上げながら宿舎へと戻って行く。私は数分ほどその場から動けず、額から嫌な汗が湧きだし頬を伝って地へ落ちる様を見ていた。
最悪だ、ハンちゃんと関わりあわず生活をするだなんて、無理がある。朝から夜まで、そう、寝るときまで一緒なのに。私達は二人で一つのベッドを……。ここでハッとした。彼はどこまで私達の情報を知っているのだろうか。ベッドのことまでは知らないのでは……。むしろ男子と女子は棟が違う。となれば女子の棟にいる限りは気兼ねなくハンちゃんと接することができるということになる。
そこへ爽快な足音が耳に届いた。私の名を呼びながら近付いてくるのは、間違いなくハンちゃんだ。
声のする方へ振り向けば、こちらへ手を振りながら駆け寄ってくるハンちゃんにどこか安心してしまい鼻の奥がつんと痛くなる……が、その後方で彼もこちらを振り向いており、目が合った。その目は明らかに私を睨みつけていた。まるで、分かってんだろうな、と言われているかのようで身震いしてしまう。

「やっと午前の訓練終わったね、ああああくそ!あの教官腹立つ!せっかくと訓練できると思ったのに……って今更言っても仕方ないね。さ、お昼ご飯お昼ご飯!」

「……あの、ハンちゃん、夜に説明するから今は話しかけないで、ご飯も別々に食べよう、ごめんね、先に宿舎へ戻ってるね」

「うん!分かっ……た、は?え、ちょ、待って!なになに!?どうしたの!」

理解できないと目を大きく見開く幼なじみの表情に胸が痛くなりならがも、走って隣を通り過ぎ宿舎へと足を急がせた。
あとできちんと説明しなければ。少なからず嫌な思いをさせてしまったのはまぎれもない事実だ。本当に自分が情けない。
先ほどの対人格闘術も彼より私の方が強ければこのような事態にもならなかっただろう。私が弱いから、抑えつけられているのだ。悔しいったらない。
宿舎へ戻り、上の空で昼食の準備を手伝いながら自分の食事を確保し空いている席へ腰かけた。
美味しそうに湯気立つスープとパンが目の前にあるというのに食欲が湧いてこない。しかし午後からは講義があるのでしっかり食べておかないと夜までもたない。
自分に言い聞かせスープを口に含んだところで下半身に違和感を感じた。なにやら黒い影が、テーブルの下に……怖くて見れないが、目の端でしか感じ取れないが、これは言い切れる、絶対にテーブルの下に何かいる!しかも私の足元!
息を止め、せーのでテーブルの下へ視線を向けた。そこには、あぐらをかきパンにかぶりつきながら私を見上げるハンちゃんがおり、スープを噴き出しそうになってしまう。
目が合うとハンちゃんは目を細めて頬をふくらました。

「……あの、ご飯は別々にって」

「やだ。のバカ」

「その、これには訳が合って」

「うん、だろうね。だから私はここでいい。テーブルの下ならいいでしょ」

「なら、私がテーブルの下で食べるから、ハンちゃんは椅子に座って食べて」

「そんなの気にしなくていいから、ほら、早く食べちゃお」

拗ねるような表情から一変し、パンを頬張りながら二カッと笑うハンちゃんの優しさにどれほどの罪悪感が湧いたことか。
私が目元を潤わしていると太ももをぽんぽんと撫でられた。その手をにぎり、同じくパンを頬張ると自然と笑顔が浮かび上がる。
幼なじみの偉大な存在に改めて感謝した。

午後からの訓練中、一切会話をかわさず、目さえ合わさずに刻々と時間が経過していった。ハンちゃんは私のお願いを守ってくれたようだ。
途中、彼からの視線を感じ何度も心臓が高鳴ったが、気付かないふりをした。あまり意識しすぎると彼の思うつぼだろう。
さっさと夕食を済ませ、お手洗いへ駆け込んだ。本日は風呂に入れないので汗を拭き取るだめである。濡らした手ぬぐいで身体を拭き、汚れている服を脇に抱え部屋へと戻った。
ベッドではハンちゃんが本を読んでおり、こちらを見るなり勢いよく閉じる。
私が寝巻に着替え終わったのを見計らい、「少しベランダへ行こうか。風に当たりながら話そう」と背中を押され部屋を出た。同室の皆にすぐ帰ってくるね、と言葉をかけベランダへと向かった。
夜風は少し肌寒く、二人で肩と肩をくっつけ合った。
少し無言の間となったが、私から話を切り出した。今朝、彼と会ったこと、幼いころキスしていたのを見られていたこと、今後ハンちゃんと関わりあうなと言われたこと、皆に言いふらすと脅されたこと。
ハンちゃんは空を見上げながら聞いていた。時折、馬鹿げているとでも言いたいのか、鼻で笑いながら。

「ふふ!単純な男だね。ところでさ、彼の名前なんだっけ?」

「それが忘れちゃって」

「その程度なんだよね、私達にとって彼の存在は。あとね、幼いころキスしてたときに彼がのぞき見してたの、私知ってたよ」

「……え?うそ、待って!あのとき、彼どこにいたの!?」

「どうせのあとをつけてきたってところでしょ。木陰に隠れてた。好きな子の行動が気になったんだろうね」

「じゃあ、ハンちゃんは彼がいてることを知っていた上で私にキスしたの?」

「うん。なんていうか、私は見られているのなんてどうでもよかったからなあ。あの頃一度とキスしてみたくてうずうずしてたんだ。だからキスする流れに持って行く為に、あいつをカモにしたって方がしっくりくるかな」

幼なじみが笑顔でとんでもないことを言っている気がするのだが。ハンちゃんは様々なことに興味を持つ性格なのでキスもその一つだと分かってはいるものの、やはり彼の前でする必要があったのかと疑問が湧く。まあ、この疑問を質問したところで過去が塗り替えられることはないのだから心に閉まっておこう。と考えていたのだが、心を読まれたのか、「彼に見せつける為にしたってのも胸を張って否定はできないけどね」と言葉を付け足してくる。

「まあ!この問題は私が元凶みたいなものだから私がどうにかする!は何も気にしなくていいよ。明日には解決してみせるから」

「ええ!?いや、これは私の問題だから」

「もう悩まなくていいからね!大丈夫だよ!」

ハンちゃんが自信満々に言葉を発したところで宿舎の鐘が鳴った。就寝時間である。
以前と同様に教官に見つからぬようあわてて部屋へ戻り二人してベッドへともぐり込んだ。
小声で、明日何をして解決する気か聞いてみたが、微笑むだけで口を開こうとしない。仕舞いには、話は終わりと言わんばかりに枕元に置いていた本を開き、月明かりを頼りにページをめくり始めた。
目が悪くなるよ、寝不足にもなるよと注意をしても平気だと言い張り、視線は本に落としたまま私の頭を適当に撫でてくる。
どうやら今は何を言っても無駄らしい。ハンちゃんが本に夢中になりだすといつもこうだ。
本を真剣に読む横顔を呆れて見つめていると、ページのめくる音に意識がふわりと軽くなり、気付けばまぶたを閉じていた。
途中、寝つきが悪く何度も目を覚ますたびにハンちゃんが眠ったかを確認したが、しっかりと本を見つめるばかりで眠る気配はなかった。

翌朝、朝日のまぶしさに目が覚めた。背伸びをしながら隣を見ると、うつ伏せの体勢で本に顔を埋めながら寝ているハンちゃんに呆れた溜め息が出てしまう。……苦しくないのだろうか。
何時まで本を読んでいたのだか。結局睡魔に勝てず寝てしまったというところだろう。布団から大きくはみ出た肩は冷え切っており、あわててかけ直してやった。まだ起床時間まで少し余裕がある。ぎりぎりまで寝かせてあげないと。

「っしゃー!決めた!」

「ひぎゃ!」

「ん、なになに驚いた顔して」

「ちょ、ハ、ハンちゃん、今寝てたよね?」

「いいや、夜通し起きてたよ?あ、布団かけてくれてありがとう。さて、考え事が解決したし少し寝ようかな」

急に顔を上げて大きな声を出すものだから驚いてしまった。同室の何人かがハンちゃんと私の叫びの声に反応し寝返りを打つ様には焦ってしまう。
心中で謝罪を述べ、先ほどとは間逆の仰向きの体勢からだらしなく口を開けて眠る幼なじみの額を軽く突いてやった。夜通し起きていたとは、今更寝たところであと三十分後には起床時間だというのに起きれるのだろうか。……加えて、考え事が解決したと言っていたが、いったい何の。
すっかり目が冴えてしまい、ふと例の彼が頭に浮かんだ。この件に感して、「私がどうにかする」と昨夜ハンちゃんは言い切っていたが、考え事というのは、まさか。
隣で気持ちよさそうに眠る姿に目をやると、笑ってしまいそうなほど無邪気な寝顔であり不思議と心が楽になった。
なんにせよ、ハンちゃん一人に負担をかけさせる気は更々ない。むしろ話を持ちかけられた私がどうにかしなくては。
起床時間まであと二十分を切った。さて、どうしたものか。

案の定、ハンちゃんは起床時間に起きれなかった。
同室の皆に起きろ起きろと声をかけられても規則正しい寝息が繰り返されるだけで反応がない。何の夢をみているのだか、幸せそうに笑っている。
こりゃだめだ、と皆は着替えを済ませ食堂へと移動し始めた。一気に室内は静かになり、早く行かなければ私達の食事が無くなってしまうのではないかと胃の辺りがうずいてくる。
一度ベッドの脇へ腰掛けハンちゃんの寝巻へと手をかけた。無理矢理ではあるが、力任せに寝巻を脱がせ着替えさせてやった。
さすがに目が覚めたのか、ゆっくりと上半身を起こし何度もあくびを繰り返しながらおじさんのように脇腹をかく。
視点の定まらない目前で手を振ってやると、重たそうな額を片手で支え、もう片方の手でメガネを探り始めた。

「やば、眠い、すっごく眠い……あ、メガネ発見」

「そりゃね、睡眠時間が三十分じゃあ身体が悲鳴をあげてるだろうね」

「今夜がっつり寝るからいいの。あれ、皆もう食堂へいったの?」

「うん。起きないハンちゃんを憐れみながら部屋を出て行ったよ」

「そっか!あはは!よし、私達も食堂へいこう」

「あ、待って!ほら、一緒にいると何を言われるか分からないから別々に行った方が。私あとから行く、ハンちゃんは先に行ってて」

「何言ってるの、一緒に行くよ。ご飯も一緒に食べる、ね」

軽やかに私の手首を掴み、部屋を出た。食堂へ到着するまでの間、やっぱり別々の方が、少し距離を開けておくだけでも、などと弱々しい発言を並べる私に対し、ハンちゃんは「大丈夫だよ」と言うだけでいつも通りであった。
幼なじみとて、ここまで互いの性格が違うと、ほんの少しだが苦痛に思えてしまう。
正直なところ、怖くて仕方がない。彼に、私とハンちゃんがやましい関係などと厄介なウワサを流されるのが、怖い。とても怖い。
食堂前でハンちゃんは一度足を止めた。そしてこちらへ振り向き、「もし、嫌な思いをさせてしまったらごめん」と珍しく遠慮がちに謝罪を述べてきた。先ほどとは打って変わって何やらけな気な態度に違和感を感じたのだが、既に遅かった。
これでもかと扉を勢いよく押し開けるハンちゃんは、「おはよう!今日はね、皆に聞いてほしいことがあるんだ!」そう声を張り上げるなり、掴んでいた私の手首を引き寄せ……。
食べている者は手を止め、食事を運んでいた者は足を止め、談笑していた者は口を開けたまま岩のように固まった。手に持っていたスプーンを落す者もおり、食堂は妙な空気に包まれてしまう。
それもそのはず。ハンちゃんが私の唇に自分の唇を重ねてきたからだ。ようするに、皆の前でキスをしていることになる。
皆と同じように私も固まっていると、そっと唇が離れた。当の本人は無表情で皆の方へ向き濡れた唇を舌でいやらしく舐め、一言。

「私とはこういう関係だから、邪魔する奴は覚悟してかかってこい。まあ、そういうことなので、よろしく!」

最後は笑顔を浮かべ、照れくさそうに頭をかいた。

(……え、今、え……は、え?)








*NEXT*








-あとがき-
不に幸第三話、ご覧いただきまして誠にありがとうございます!
ハンジさん、派手に動きだしました。笑
奇想天外な行動をしてこそハンジさん、という勝手な思考で書き上げました。ちょ。
今回、やきもち回にしようと考えていたのですが、大胆な話を一つ間に入れておきたくて……申し訳ありません!
ということで次回こそやきもち回です。笑 嫉妬深いハンジさん、書きます。