不に幸4





皆の視線が突き刺さり、息の仕方を忘れてしまいそうだった。

食事中である皆の前で唐突に唇を重ねられ、今、汗という汗が体中から噴き出している。
汗の噴き出す理由は恥ずかしさや気まずさなど、そんな可愛いものではない。究極なる焦りからだ。
女同士でのキスを目の当たりにした皆が今何を思っているかなど簡単に想像がついてしまう。
目を見開き立ち尽くす私の手を引いてくるハンちゃんは、空いているテーブルへと誘導してくれた。とはいえ、食事をする余裕などあったもんじゃない。
周囲から聞こえてくる控えめな声は、私とハンちゃんに対する意見ばかりだ。女同士、女同士とあらゆる方角から聞こえてくる。
ふと直感的に考えてしまった。訓練兵を終えるまでの期間、はたまた正式な兵士となってからの人生、私の今後はずっと「そういう目」で見られてしまうのではないか、と。
一度席へついたものの即座に立ち上がったハンちゃんは私に何かを告げてきた。だが聞きとれなかった。いいや、聞きとる余裕がなかった。切羽づまる私の顔を見るなり苦笑いを浮かべテーブルから遠ざかっていく。ハンちゃんの行動に再度目を見開いてしまった。このような状況で私一人を放置してどこへ行くのだ。あまりにもひどい仕打ちじゃないか。
顔をうつむかせ周囲の視線に耐えていると、突然、肩に違和感が走った。一度目は軽く叩かれ、二度目は揺さぶられ、三度目は頭を掴まれた。

「お前な、呼んでんだから返事ぐらいしろ!無視すんな!」

「ひ、や、その」

「ハンジにいいように振り回されやがって、朝から気分最悪だ。どうしてくれんだ」

頭を掴んでくる手から解放されたかと思えば、向かい側の席に腰掛ける誰かさん。その姿を見て頭が熱くなる。そう、私に脅す文句を言いつけてきた例の彼であった。
彼は正面から私を見て、「朝からぶっさいくな顔だな、おい」と遠慮もなく言い放ってきた。この人は私を傷つけて楽しもうとしているのだろうか。
ぶさいくな顔が見たくないのなら私に近寄らなければいい話だろう。何故向かい側の席へ腰かけているのだ。意味がわからない。

「まあ、お前のぶさいくな顔はどうにもならねぇから置いといて。それより、一つ聞きたいことがある」

「……」

「ハンジについての疑問なんだが、あいつって本当に女なのか!?」

突如、彼は大きな声を張り上げた。ハンジは男なんじゃねぇのか、女ってのは嘘だろ、どう見ても男だ、などと食堂の隅々にまで聞こえるような大きな声で性別を問いただしてくる。
次第に彼の声を聞いた周囲の皆はざわつき始めた。ハンちゃんが男などありえないが、このままだとまたしてもよからぬ勘違いをされてしまう。
冗談であろうと女子の中に男子がまぎれ込んでいるなどと言われたら、ハンちゃんが傷つくのは目に見えている。
彼は、なに。私とハンちゃんをどうしたいのだ。幼い頃に私たちがキスしていたのを目撃したせいで軽べつしているのだろうか。訓練兵を辞めて故郷へ帰れと、目の前から消えろと、そう言いたいのか。
額から更なる汗を噴き出していると、彼の背後にハンちゃんが近づいてきた。二人分の食事を乗せたトレーを持っていることから、朝食を取りに行ってくれていたのだと今更気付く。
ハンちゃんは口もとに笑みを浮かべながら彼の背後で立ち止まり、イスを蹴り上げた。

「ねえ、悪いけどどいてくれるかな。の向かい側は私の席なんだ」

「……ハンジ。お前、最低だな。皆の前であんな」

「それ、誰に言ってるの。女の子を脅すことで自分を見てもらおうと間違った努力をする君に言われたくない」

「な、誰が!」

「はい、ってことでお待たせ!朝ごはん食べようね」

体の側面で彼を押しどけたハンちゃんは私の前に食事を置き、空いたイスへと腰掛ける。少なからず厄介者扱いをされた彼は怒りが収まらないのか怒鳴り散らす始末であり、余計に皆の視線がこちらへと集まった。
しかし、当の本人は臆することも無くパンにかぶりつき、彼にさっさと自分の席へ戻るようあっさりとした言葉をかけた。
その瞬間、彼の目つきが鋭くなるのがわかった。もちろん頭に血が上っている彼は自分の席に戻ろうとはしない。この状況、まずいのではないだろうか。さすがに止めた方が良さそうだ。
私が席から立ち上がると、「人の食事の邪魔をするなんて訓練兵どころか食事のマナーから習うべきだね」そう彼を睨み上げながらハンちゃんが言い放ち、場が凍りついた。
誰もがケンカになる、直感的にそう思っただろう。
気付けば、つまずきながらも慌ただしく足が動いており、ハンちゃんが殴られないよう二人の間に素早く入り込んでいた。
情けないことに怖い顔をした彼を睨むことができず何度も視線の合う目をそらしながら、早く食べないと訓練に遅刻するのではないか、と現実的なことを言ってみせた。
私の情けない姿で少し怒りが冷めたのか、ふと目つきが和らぎ、逆に視線をそらされてしまう。
呆れるような溜め息を吐き、彼はいさぎよく自分の席へと戻って行った。私も席へと戻り、パンにかぶりつくハンちゃんと向き合う。

「……ハンちゃん、さっきのは言いすぎたんじゃ」

「だって、あいつをかばったでしょ。妙に腹立たしくて」

「彼が私をかばった?いつ?」

「あらら、本人は気付いてないか。はは、お気の毒に。さ、食べよ食べよ!スープが冷めちゃう」

上手く会話をそらされた気もするが、周囲の皆は既に食器の片付けを始めていることから呑気にお喋りをしている場合ではなさそうだ。
あのような事態が起こったにせよ、いつも通りの日常である。早く食事を済ませ立体機動の訓練に向けて固定ベルトの装着をしなければならない。
食欲は湧かないが、パンを口に詰め込みスープで流し込んだ。粗末な食べ方にバチが当たりそうだけれど、今は胃に何かを入れておかなければ後で辛くなる、そのような考えしか浮かばなかった。

食器の片付けを済ませ部屋へ戻ると、扉を開けた途端に同室の仲間がそろって私たちを待ち構えていた。
思わず一歩後ずさるが、勢い良く中へと引き込まれ、背後で扉が豪快に閉まる。
じりじりと詰め寄ってくる皆の表情は影が差しこんでおり恐ろしいのなんのである。
おそらくキスをしたことに関して問われるのではないかと予想はしていたが、見事に的中した。
二人はどういう関係なのか、そう率直に問われ、とっても仲良しな幼なじみだよ、とハンちゃんがいつも通りの調子で答える。

「じゃあ、あのキスはなに?しかも、こういう関係だから邪魔する奴は覚悟してかかってこいって、ハンジ言ってたじゃない」

「キスはそのままの私の気持ちをにぶつけたんだ。それに私たちを邪魔するならこっちだって反撃する。だから覚悟はしておくべきでしょ?」

「……ハンジ、ねえ、あなた女よね?まさか、男なんじゃ」

そこで思い出した。先ほど食堂にて、彼がハンちゃんの性別を男なんじゃないかと大きな声で言い出したことを。
このままだとハンちゃんが皆から非難を浴びてしまうのは目に見えている。いざとなれば服を脱いで体を見せればいい話なのだが、そのようなみじめな思いを幼なじみにさせたくない。
同室の皆で初めて顔を合わせたときのように、ハンちゃんは女の子だともう一度はっきり言おうと意気込んでいれば、「さあ、どっちだと思う?」などとあいまいな言葉が隣から発せられた。反射的に驚いた表情を向けると、ウインクが飛んできた。ここはまかせておけと、そういうことらしい。
改めてハンちゃんの頭から足先まで視線を往復させる皆は何度も首をかしげる。
いつも知らない間に寝巻から兵服へ着替えているし、風呂で会ったことがないし、胸もない……よね、と口々に発せられる疑問の声。
私からすれば、普通に着替えているし、風呂にはあまり入っていないだけで、胸は成長段階なのではないか、となるのだが。
極めつけには、男より男らしいところがある、そう一人が言い出した。確かに、それは私も感じるときがある。
力も強ければ、判断力もあり、困っている者に手を差し伸べる優しさまで持ち合わせている。何をするにも迷わず堂々とした態度のハンちゃんは誰が見ても男らしい。まさに今だってそう、追いつめられている立場のはずなのに薄っすらと余裕の笑みを浮かべている。

「結論から言うと女だよ、私は。でもね、もし男だったら皆が疑う通り女に成りすましてまぎれこんでいたかもしれない」

ハンちゃんの言葉に皆が皆、何を言ってるんだと言わんばかりであった。
私も同様に意外な発言をしたハンちゃんを見つめると、ふいに目が合い腰を引き寄せられる。
またしてもキスをされるのではと警戒したが、「私ね!が大好きなんだー!生きてる限り手放したくない!ずっとそばにいてほしい!」と皆に向かって告げた。
友達、仲間、恋人、そのような肩書では収まりきらない存在だと言葉を加え、腰に添えられていた手が背中に回り抱き締められる。
ハンちゃんの衝撃発言に静まり返る部屋であったが、「気持ち悪い奴が同室でごめんね。でも、私は正直でいたいから、どうか受け止めて欲しいんだ」そう一人一人に視線を合わせながら意思表示していると、「ハンジはすごいね」と一人が発言した。

「ハンジとが必要以上に仲良しなのは誰もが見抜いてたことだけど、ここまで堂々とされたら感心しちゃう」

「あれ、見抜かれてた?」

「寝るときなんて、いくら一緒のベッドとはいえ必要以上にひっついてさ、恋人同士かってつっこみたくなるときもあったよ。でも……うん」

これからも二人が笑顔でいられるのなら何だっていいよ、そう同室の一人が言えば皆が苦笑いでうなずいた。
人の気持ちを外野が騒ぎ立ててもどうにもならないしね、などと大人びた意見までも飛び出し、ハンちゃんは満面の笑みである。
こうなると理解力があり心の広い同室の仲間に感謝だ。さすがにハンちゃんの思いつきによる大胆な行動には終始驚かされっぱなしだが。
緩やかな空気で満たされていると、宿舎の外に設置されている鐘が鳴った。訓練開始五分前の合図である。
今は立ち話をしている場合ではない。皆は固定ベルトの装着が完了していたので忙しなく外へと駆け出したが、私とハンちゃんは寝巻のままだ。
あわてて着替えを済ませ固定ベルトを装着している中、何気なくハンちゃんに聞いてみた。
私たちがキスをするような仲だってふり……これっていつまで皆をだますつもりなの、と。やはり訓練兵を卒業するまでだろうか。
すると、ハンちゃんの動きがぴたりと止まった。

「ちょ、ハンちゃん!手、手、動かして!ほら、固定ベルトを装着しないと」

「……ふり?ふりって、なに?」

「え、ああ、ふり……でしょ?彼の脅しから逃れるための」

「いやいや、元からこういう関係でしょ?私はそのままの気持ちをにぶつけて皆に見せつけたんだ。ふり、なんて必要ないんじゃないかな?」

淡々と話すハンちゃんは今更何を言っているのかと言いたげな表情をしていた。
おかしい。確実に話が噛み合っていない。お互いがどこかで勘違いをしているのではないだろうか。
ひとまず確認として、「私たち、幼なじみだよね?」と聞いてみた。もちろんハンちゃんはうなずいてくれた、が。
「今、との会話で私たちの気持ちに差が生じてるってよくわかった」などと優しい笑顔で告げられ、違和感を感じた。
ひとまず会話は切り上げ部屋を飛び出し集合場所へと駆けつけたわけだが。
この日はキスの騒動もあり、歩いているだけでそこらじゅうから視線を感じた。こちらを見ながらこそこそと話す者もいた。しかし、それ以上にハンちゃんの言葉が胸に引っかかって仕方がなかった。
気持ちに差、とは。
私はハンちゃんが大切だ、それに大好きだ。キスをされたのも皆の前だからこそ焦ってしまったものの、心底嫌だと思ったわけではない。ハンちゃんになら何をされても許してしまう自分がいる。それほどまでに私はハンちゃんを信頼している。この気持ちに差があるのだろうか。
……もう一つ。キスをするのが当たり前の関係であるような口ぶりであったのも気にかかる。先ほども言ったようにキスをされたのが嫌だったわけではないが、それが当たり前の行為だとは思わない。
私たちは幼い頃一度キスをした。ただ、今落ち着いて考えると幼い頃に女同士でキスをするなど騒ぎ立てるほどのことでもないだろう。
ただの遊びや、罰ゲーム、興味本位がほとんどだと思う。
そして今日、二度目のキスをした。今回は例の彼の脅しから逃れる為だ。そのはずだ。
幼い頃とは違って、キスの意味を私たちの年齢だと皆が知っている。愛し合っている者同士がする行為だ。
それを私は「ふり」だとハンちゃんに言った。だが、「ふりは必要ない」と告げられた。
ようするにハンちゃんは私を、そういう目、で見ているのだろうか……?いやいや、それは考えすぎだろう。
そこで部屋の扉が豪華に開きハンちゃんが中へと入ってきた。ベッドに腰掛ける私を見つけ、「!なんだ部屋にいたのか」と頭をわさわさとかきながら近付いてくる。

「夕飯まだだよね?もう皆食べ始めてるよ?部屋に一人こもって、どうしたの」

「ごめんごめん。ちょっと疲れちゃって休憩してたの。ぼけーっとね」

「疲れたって、え、大丈夫!?体調悪い!?」

「うぎゃ!ちょ、ハンちゃん!もう、あははは!くすぐったい!」

疲れた、の単語に目を見開いたハンちゃんは正面から飛びついてくるなり、熱はない!?と服をまくし上げ直に腹部を触ってきた。
暴れる私に、これだけ元気なら心配ないね、そう悪戯っぽく笑うハンちゃんは確信犯である。
このような戯れは日常的なので何とも思わない。いつも通り何の抵抗もせず成されるがままにしていたのだが。
腹部を触っていた手が脇腹を通り過ぎ、胸を下から上へ持ち上げるように掴んできた。「また大きくなった?」そう耳元でささやいてくるハンちゃんの声に肩が飛びはねてしまう。
気付けば突き飛ばしていた。やだ、と言葉を発しながら。
私に力いっぱい押され、数歩後退したハンちゃんは今までに見たことも無い表情でこちらを見ていた。
じわじわと罪悪感が湧き起こり謝罪の言葉がノドまで出かかっていたところで、ハンちゃんの表情が笑顔に変わった。
「ごめんごめん!お腹が空いてるんだね!」と、いつもの調子で手首を掴まれ食堂へと向かったのだが。掴んでくる手の力が尋常でないほどに強く、血の気が引いた。
しかし、この痛みを受け入れようと率直に決めた。ここで手を振りほどいてみろ、確実にハンちゃんを傷つけてしまう。
食堂に到着し手首が解放されれば、肌は青紫色に変色しており爪の食い込んだあともついていた。
食事中は終始無言であった。あまりの気まずさに無理にでも話題を振ろうとハンちゃんを見ると、無表情のままこちらを見ながらパンにかぶりついており、話せる雰囲気ではなくテーブルに置かれているスープ皿へと視線を下ろしてしまう。
周囲からの視線を感じる中でもくもくと食事をする私たちはいったい何なのか。昨日まではにぎやかに笑いながら食事をしていたのに。
「ケンカでもしたのかー?」と後方より声がしたかと思えば、「チューして機嫌直せって!」などと左側から野次がとんできた。
新しいおもちゃをみつけたかの如く男子が騒ぎ立つ中で、女子は「やめなさい!」と必死に止めてくれていた。
それでも、女同士なんてありかよ、ハンジは男だ間違いない、四方八方から好き勝手なことを騒ぎ立てる声が聞こえてくる。
自分が話題の中心にいると考えると居心地が悪く食事中だというのに吐き気さえ覚えた。腹が立つ。いくら同期とはいえ他人にとやかく言われる筋合いはない。このような経緯になった理由を知らないくせに。悔しい、悔しい。
私に力があれば片っ端から絞めあげてやるのに、と無謀なことを考えていれば、突然、ダンっと大きな音が正面より聞こえた。
皆が皆、ハンちゃんを見る。
スプーンをテーブルに突き立てたのか、先方は折れてしまい床へと落下してしまった。
そのまま立ち上がったハンちゃんは、イスを後ろへと蹴り倒す。

「……今、私たちのことを言った奴、全員出ておいで」

「ちょ、ハンちゃん!」

、ごめんね食事中に。今ね機嫌が悪いんだ。少し我慢してね。なあ、さっさと出てこい、殴らせろ」

ハンちゃんが低く落ち着いた声で、殴らせろ、と言った瞬間、場が一気に静まった。
「お前ら全員根性無しか」そうつぶやくハンちゃんは、恐ろしいほどに強く見えた。おそらく、誰がかかっていっても今のハンちゃんには敵わないのではないだろうか。
沈黙が続く中でおそるおそる私が立ち上がり、転がったイスを立たせ、立ちつくすハンちゃんの肩に手を添えてやった。
ご飯食べちゃお、と声をかけると、何とか素直に座ってくれたので一安心である。
この後、話し声が一切聞こえてこなかった。皆さっさと食事を済ませ逃げるように食堂を出て行く。廊下へ出た途端、深呼吸をする者もいた。よほど息苦しかったのだろう。

就寝時間となると、ベッドの中で手をにぎられた。
「私に触れられて嫌じゃない?」などと遠慮がちに聞いてくるので、先ほど突き飛ばした行為がよほど気にかかっているのだと勘付いてしまう。

「嫌なわけない、むしろホッとする」

「それ、本心?」

「うん、でも胸は触らないでね。びっくりしちゃうから」

「……いいでしょ、少しくらい」

「じゃあ手も繋がない、胸を触ったことも許さない」

「あ、あ、ごめんなさい、ごめんなさい、許してください」

「よし、許す」

お互い両手をにぎりあい、額をくっつけて笑いあった。ああ、やっといつものハンちゃんだ。
おやすみ、と言ったあと、腰に手を回され身体を引き寄せられた。ハンちゃんの心臓の音が子守唄のように心地いい。
今日は様々なことがありすぎて疲れた。ぐっすり眠れそう。

翌朝、目を覚ますとハンちゃんは本を読んでいた。
おはようの挨拶をし、寝転がって本を読むのは目を悪くすると何度もしてきた注意を今日もしてやれば、布団の中で私の足にハンちゃんの足がもぞもぞと巻きついてきた。
意味のわからない行動に巻きついた足から脱出し着替えを済ませる。同室の皆も着替えを始め、あいさつを交わしながら食堂へと移動し始めた。
いまだベッドに寝転び本を読み続けるハンちゃんへ、そろそろ準備しないと朝食抜きになってしまうと忠告するが、先に行って食べてて、と呑気に片手を振ってきた。
……本が好きなのは良いことだが、ここまでくると厄介である。
とりあえずハンちゃんの着替えを枕元へ準備してやり、先に食堂へと足を運んだ。
一人で朝食をとるなんて久々だな、そう考えながら食堂へと入れば、「なんだなんだ、あいつ一人だぜ。別れたのかー?」などと昨夜と変わらない低レベルな野次に頬が引きつってしまう。ハンちゃんがいないのを良いことに調子に乗っているのだろう。
そこへ同期の女子が声をかけてくれた。ここの席空いてるよ、と。
声のした方を振り向けば、何度か言葉を交わしたことのある二人がこちらへ手招きをしてくれていた。
とても嬉しくて、少し緊張はするが好意に甘えることにした。
「ったく男子は朝からアホだわ」そう一人が言えば、「男は一生子供だって聞いたことあるよ」なんて隣に座っていた同期が言い出す始末だ。
淡々と話す二人の姿が可笑しくて、笑いが止まらなかった。
次第に、キスってどんな感じ?ハンジとはいつからそういう関係なの?など男子とは打って変わって女子らしい質問が飛びかったわけだが。
女の子だなあ、と思った。二人の目がキラキラと輝いていたから。
昨日のキスは不意打ちだったので良く覚えていないけど唇は柔らかかったこと、幼なじみでとても仲良しであること、一つ一つの質問に答えていると、とても話が盛り上がった。経験したことのない空気でわくわくした。新鮮だった。
周囲の席にいた同期が片付けをし始めたことに気付き私たちも会話を区切って席を立てば、食堂の隅で一人食事をしているハンちゃんを見つけた。
いつの間に食堂へ来ていたのか、まったく気付かなかった。
食器を持ったままハンちゃんの元へ駆け寄り名前を呼ぶと、驚くことに睨まれた。しかし、すぐ笑顔に戻り片手をひらひらと振ってくれた。

「その、ハンちゃんごめん、私気付かなくて、一人にさせちゃったね」

「そんな!いいのいいの、私こそごめんね、本が面白くて夢中になりすぎてた」

「昔から本が大好きだもんね。慣れっこだよ。さ、食べて食べて」

「あ、待ってなくていいよ。は先に行ってて。あとで追いかけるから」

また昨日みたいに遅刻ぎりぎりになったら怒られかねないし、とハンちゃんは私を先に行くよう促してくる。
その間、いっさい目を合わせてくれなかった。ずっとそらされていた。
少々気まずく感じてしまい、言われた通り先に食器を片付け訓練の集合場所へと向かった。
……先ほどの笑顔、無理に作っていた。あのような嘘っぽい笑顔を向けられるなんて。
やはり本を読み終えるまで待っているべきだったか、そうすれば食堂へも一緒に行けた。
私があのとき待ってさえいれば、どんなに忙しなくなろうと、万が一朝食が抜きになろうと、一緒に行動ができたのに。
ハンちゃんを一人にさせてしまった自分に全て否がある。
重い溜め息を吐いていると、「暗い顔してる、どうかしたの?」と朝食を一緒に食べた二人が声をかけてくれた。
どこまでも優しい人達だ。なんというか、心が救われる。
食堂の隅で寂しそうに食事をしているハンちゃんの姿が頭に焼き付いてしまって、それでいて一人にさせてしまったことに後悔していると素直に告げれば、二人は唖然とした表情を向けてきた。
本当に仲良しね、そう言われたので深くうなずく。

「ようするにあれよね、ハンジを一人にしてしまったから二人の間に少しだけ嫌な空気が流れてるってことよね?」

「そう、そうなの、何か妙で……」

「じゃあさ、明日って訓練が休みでしょ。私たちと一緒に街へ行かない?もちろんハンジを誘って」

「街へ?」

「うん!あのね、私たちの同室の子がこの前街でとっても美味しい菓子屋を見つけたらしくて!場所を教えてもらったから明日行くの。しかもそこのお店、格安らしいよ。ふふ!」

「お菓子……!」

「良ければとハンジも一緒に行こうよ。甘いもの食べていっぱい笑おう!」

「うん!ありがとう、ありがとう!ハンちゃんを誘ってみるね!」

街に出れば気分転換になるかもしれない。きっと自然に笑顔があふれ出てくる。
素敵な誘いをくれた優しい二人に礼を述べていると訓練開始五分前の鐘が鳴り響いた。
ふと鐘の方へ視線をやると、数メートル後方にハンちゃんが立っていることに気付いた。こちらを無表情で見ていた。目があったので手を振ったが、整列している位置へ走って行ってしまった。
……気のせいだろうか、もしかして今、無視された?

訓練の最中、昼食こそは一緒に食べて明日街へ行く誘いをしてみようと考えていたのだが。私が不甲斐ないばかりに昼食抜きの補習となり、話しかけることさえできなかった。
午後からは水一杯のみで空腹をまぎらわし足元をふらつかせながらの訓練となったが、何とか夜の補習はまぬがれた。
夕食の時間帯となり、やっと話せる機会がきた。一刻も早くハンちゃんと話したい。
しかし、何故だかどこにもいなかった。訓練が終わってからというもの、部屋、食堂、ベランダ、お手洗い、風呂、医務室、思いつく限りの場所を捜したのだが見つからない。
ついには夕食の時間帯が過ぎ食堂が閉められた。そこでハッとする。最悪だ、昼食も逃したというのに夕食も逃してしまった……!
捜すことに必死になりすぎていたのか空腹であることを忘れていた。
今更だが急に腹が空いてきたので焦ってしまう。こればかりはどうしようもない。明日の朝まで我慢である。
気が抜けてしまったのか廊下に崩れ落ちそうになり、部屋へ戻ることにした。
部屋の扉を開けると同室の皆が楽しそうに会話をしていた。ハンちゃんは戻っていない。
ベッドに腰掛け脱力しながら着替えを済ませた。いったいどこへ行ったのだろうか。まさかとは思うが、良からぬことに巻きこまれているんじゃ。それとも無茶をして教官に叱られている、とか。いいや、宿舎を出てどこかへ行ったのかもしれない。もしそうなら、こんな時間に女の子一人で出歩くなんて危険極まりないが。
……駄目だ、不安の募る予想ばかりが浮かんでくる。
あれやこれやと考えている間に就寝時間となってしまった。
同室の皆がハンちゃんが帰っていないことに気付き始め、私の元へと集まってくる。
大抵の場所は調べたがどこにもいなかったと伝えれば、誰かの部屋にいるのかもしれない、と意見が出た。
仲間達の部屋を一部屋一部屋当たってみることとなり、皆が意気込んだそのとき。扉が開きハンちゃんが入ってきた。

「あ、ハンちゃん!」

「え、あれ?皆どうしたの?え?え?そんな怖い顔して、はっ、まさか何かあった!?」

皆が声をそろえて、あんたのせいだ!と叫んだのには驚いたが、何はともあれ良かった。
教官が見回りにくる前で助かった、そうつぶやきながら皆は自分のベッドへと戻って行く。
ランプが消され、窓から月明かりが淡く差しこんできた。
一つのベッドに二人で横になり、夕食も食べずどこへ行っていたのか聞いてみた。すると、「今は教えたくない」そう返事を返され、どことなく冷たい言葉に胸が痛んだ。だが、ここで引いてはいけない。
私がハンちゃんを捜していた一番の目的は。そう、明日街へ行くお誘いだ。

「ねえ、ハンちゃん。明日お休みだし街へ行かない?」

「街に?何しに行くの?」

「同期の子が明日街に行くらしいんだけど、ハンちゃんも誘って四人で行かないかって誘ってくれたの」

「……もしかして、朝一緒にご飯を食べていたあの二人?」

「そう!とっても優しい二人なんだよ!でね、街の菓子屋に行くことになっていて、ハンちゃんもどうかな?一緒に行こう?」

「ごめん、せっかくだけど明日中に読んでしまいたい本があるから、私は行かない」

「や、あの、行こうよ、本はいつでも読めるでしょ?」

「あー今日も疲れた。先に寝るね」

「そんな、ハンちゃん!」

大きな声を出しそうになりあわてて口をふさいだ。皆疲れて眠っているのに。
ハンちゃんは私に背を向けて眠る体勢へと入った。部屋の静けさが辛い。月明かりがあまりにも儚げに見えるのは何故だ。
……鼻の奥がつんと痛くなる。
徐々に目頭が熱くなり、泣くもんか!と耐えていると、ハンちゃんが小声で、「最近のは太っているから菓子屋に行って食べすぎないようにね」などと告げてきた。

「う、うそ、そんな太るような食事してない」

「でも太ったよね。それで菓子を食べに行くなんて、まあ、女の子だし甘いものは食べたくなるか」

「……太ってないもん」

「太ったよ」

「太ってない」

「太った」

「太ってない!」

「太った!」

「太ってない!太ってない!太ってないもん!」

「太ったよ!だから明日街に行くな!私のそばにいてよ!バカ!のバカ!」

「な……え?」

「あ、しまった」

同室の皆は起きていたのか、ぶふっ、と噴き出す声がそこらじゅうから聞こえた。
ハンちゃんは溜め息を吐きながら寝返りを打ち、私と向き合う。やっと目を見てくれた。
そして、「明日、行かないで」と眉を垂れ下げながら懇願され、先ほどとは比べものにならないほど胸が痛んだ。
「わかった、行かない」そう答えた私は即答であった。

「あっさりだね、え、いいの?本当に?」

「うん。ハンちゃんが本を読んでいる隣で居眠りでもしとく」

「……あはは、、ほんとバカだ」

「バカでもなんでもいいよ。ハンちゃんと一緒にいたいから」

「うん、大好き、ありがとう、大好き、大好き」

「私も、大好き!」

今夜も額を合わせて笑いあった。良かった。
この瞬間、ハンちゃんになら何をされても我慢しようと決意した。
そう、仲良しでいられるのなら何でもいい。何でも受け入れる。キスをされようが、胸を触られようが。だから、今日みたいに私を避けないでほしい。
まるでお互いがお互いを求め合うように抱き締めあった。少し痛いほどに力強く。
そこに、ぐうと情けない音が鳴り顔が熱くなる。安心したからか、お腹が鳴ってしまった。

「もしかして、お腹空いてる?」

「それがね、昼食も夕食も食べそこねちゃって」

「ふふ、これはラッキーかも」

「はい?」

するとハンちゃんは荷物をごそごそと漁り始め、小さな銀の包みを取り出し私へ差し出してきた。
見たことのない包みに首をかしげると、開けてみて、と耳元でささやかれた。
包みを開けると、甘い香りがふわりと広がり目を見開いてしまう。

「これ……」

「焼菓子、美味しいらしいよ?」

「どうしたの?こんな高そうなお菓子」

「さっきね、買いに行ってきたんだ。街に」

「街に?ハンちゃん一人で!?」

「そう。なんだかに失礼な態度をとってしまった気がして。本当は明日謝ろうと思ってたんだけど……その、ごめんね」

「失礼な態度って、え……?」

「睨んだり、無視したり。そういう行動はやめようって考えていたのに、さっきは背中を向けちゃったよね。太ったってのも嘘だから。単に嫉妬だよ、あまり気にしないで。……あ、やっぱ少しは気にしてほしいかな」

「嫉妬?嫉妬だったの?」

「うん。他の子と仲良くしてるのを見て一日中頭も胸も痛かった。でも、にあんな態度をとった自分も許せなくて。この焼菓子はお詫び。高かったから一つしか買えなかったけど」

明日街の菓子屋に行くだなんて言い出すからドキッとしたよ、と遠慮がちに笑うハンちゃんを愛しいと感じた。
焼菓子を二つに割り、一つをハンちゃんの口に押し付けてやった。もう喋らなくていい、今夜は胸がいっぱいで苦しい。
私もおそるおそる焼菓子を一口かじると涙があふれそうなほどに甘く、噛むのがもったいないと本気でそう思った。

この甘い甘い味を一生忘れることはないだろう。








*NEXT*








-あとがき-
不に幸第四話、ご覧いただきまして誠にありがとうございます!
嫉妬心に火がつく回でした。
ハンジさんが嫉妬って……普通に考えて怖いですよね。もっと怖くするべきだったかな……(おい
今後も嫉妬は続きます。更に火がついていきます。ボボッ