記憶4




あの鋭い目で睨まれ、汚い物を掃うかのように頬を打たれ、心に突き刺さる罵声を何度浴びてきたことか。
耐え切れず逃げ出しても必ず捕まり一発殴られる日々。

一年と半年ぶりにリヴァイの顔を見た途端、ありとあらゆる記憶がよみがえっては痺れるような寒気と頭痛に襲われた。
以前に私が兵舎へ連れて来られた理由はエルヴィンとリヴァイの取引からそうなったとハンジさんに聞いたが、何故そのような取引をしたというのか。
気に食わない私を更に苦しませる計画でも立てているのか、衣食住を与えた分の金を返せと言いたいのか、目的は何なのか、エルヴィンとの生活が始まってからというもの常に頭の隅にその疑問が渦を巻いており、未だに答えは出ていない。
つい先ほどまで賑やかな空気の流れていた食堂だが、リヴァイの登場により静まり返ってしまった。歩いていた者は足を止め、食べていた者は手を止め、皆が皆興味津々の目でこちらを見つめてくる様はまさに滑稽。
それに気付いたエルヴィンは、やはり食堂は失敗だったな、と苦笑いを浮かばせ、ハンジさんの案により場所を変えることとなった。
さっそく食堂を後にし、ハンジさんに手を引かれ階段を上っている途中、後方を振り返ればリヴァイとエルヴィンが真剣な表情で会話をしていた。
エルヴィンがリヴァイを連れて来たと言うことは何かあるに違いない。絶対に何かある、何だろう、何だろう。
(――怖い……)
頭をうな垂れさせ廊下を歩いていると、ハンジさんが小声で私の名前を呼んできた。

、おーい、そう気を落とさないで」

「だって……今から何かあるんだよね、そうだよね」

「うん、あるよ。確実に驚くだろうね」

「やっぱり……え、待って、驚くってなに」

「さ、着いたよ」

ハンジさんは会話を区切り、廊下の突き当たりに位置する部屋の前で立ち止まった。
扉のカギは開いており皆中へと入ると、リヴァイが慣れた手つきでランプに火を灯す。
エルヴィンは食堂の方が賑やかで話しやすいと予想していたが、いざとなると皆の視線が集中し驚いた、と溜め息を吐きながら近くのソファーへと腰掛けた。そんなエルヴィンの言葉にハンジさんは、私達は上官の立場であることをもう少し自覚するべきだったかもしれないね、そう笑いながらエルヴィンの隣へと腰掛ける。

「上官三人と見知らぬ女の子が一人。興味を持つのは当然でしょ」

「はは、言われてみればそうだな」

「……さて、。率直に話を進めるけど、そんな上官の立場ともなると個室が与えられるんだ」

エルヴィンは元より分隊長であった為に個室を与えられていたとハンジさんは言う。
更に言葉は続き、一ヵ月ほど前に兵団に動きがあったらしく、新たに調査兵団の団長、兵士長、分隊長が決まったとのこと。

「それが私達ってわけ」

「あ……え?」

「エルヴィンが団長、私が分隊長、そしてリヴァイが兵士長」

「そう、なんだ……」

「まあ私の場合は誰も近寄ってこない研究室が元より個室みたいになっていたけどね!あははっ」

笑うところなのだろうか、ハンジさんは一人で腹を抱えて笑っているが隣に座るエルヴィンは心底困った表情を浮かべている。
三人が上官の立場であることは理解した。だが、それと個室に何の関係があるのだろうか。
ここで少しの間、皆が無言となった。どうしたのかとソファーに座る二人へ声をかけても返事は無い。エルヴィンは腕を組んだまま床を見つめており、ハンジさんも先ほどの笑顔から一変し眉を垂れ下げ苦い顔をしている。リヴァイは……怖くて見れない。

「……ここで黙っていても話は進まないな」

「話?話って、なに」

の保護者はリヴァイだ。そして言いそびれていたが、ここはリヴァイの部屋だ。個室だ。俺が何を言いたいか分かるだろう?」

呆然とする私を心配そうに見つめてくるエルヴィンとハンジさんであったが、突然、部屋中に鳴り響いた破壊音に私達はリヴァイの方へ視線をやることとなる。
部屋の隅に転がるイスに息をのみ込んだ。目の前にあったのであろうイスを蹴り飛ばしたリヴァイの表情は不機嫌そのものであった。
久々の威圧感に何とも言えぬ恐怖が湧き起こり、尋常ではない脂汗が額を湿らす。

「おい、突っ立ってねぇでさっさとエルヴィンの部屋へ戻れ。一時間で荷物をまとめてこい」

「待て、リヴァイ。何も今夜でなくとも明日からでいいじゃないか」

「俺もそう考えていたが、こいつを見ていたら気が変わった」

「まだも理解しきれていないのだろう。気持ちを落ち着かせる時間を与えてやるのも一つだぞ」

「理解しきれていない?こんな単純なことにか?なら、はっきりと教えてやるよ。お前は今後俺の部屋で生活をするんだ」

一歩、また一歩、容赦なくこちらへ近付いてくるリヴァイに対し、小さな悲鳴を上げながら後ずさりしてしまう。
久々に殴られるのではないかと血の気が引き、壁に背がついたところで頭とヒザを抱え込むように座り込んだ。今の私はこれが最大の防御である。
すると正面から頭を鷲掴みにされ、「誰が座れと言った、荷物をまとめてこいと言ったはずだが」などとささやいてくるリヴァイの声はとても低く恐怖でしかない。
足から頭の先まで震えていると、ハンジさんの声が近くでしたと同時に私の頭を掴んでいた手が離れた。

「リーヴァーイ!まあまあ!今夜だけは大目に見てあげてよ、ね!」

「……おい、邪魔だ」

「そりゃあ邪魔してるからね。あ、もし話相手が欲しいんだったら私が部屋に残って最近の研究結果でも話そうか?そうだ、それがいい!そうしよう!」

「いらん、どけ」

「相変わらずのりが悪いなあ、研究の実態を知っておくのも大切だよ?」

「それは今必要なことか、違うだろ。さっさとどけ」

「……が怯えてるのに放っておけるわけないでしょうが、リヴァイは少し頭を冷やすべきだ」

「クソメガネには関係ねぇだろ」

何やらただならぬ雰囲気に少し顔を上げてみると、目の前に調査兵団の紋章があった。それはハンジさんの背中であり、床にヒザをつきながら私をかばうようリヴァイと会話をしていることに気付く。
ハンジさんの耳下と髪の隙間からリヴァイの顔が見えたが、恐ろしい形相でこちらを見下ろしていた。
何度目か分からぬ小さな悲鳴を上げてしまいそうになるものの、目の前で威圧感に耐えているハンジさんに申し訳ない気持ちがあふれては、私のかすかに残る勇気が昂った。
怖がる態度ばかりを見せていては駄目だ、自分の意志も伝えないと。
情けないほどに震える足で立ち上がり、ハンジさんの前へと立つ。そして言ってやった、「ハ、ハンジさんはクソメガネじゃない」と。

「あと、今夜は今まで通り、その、エルヴィンの部屋で……今の私、気が動転してて」

「そこまで驚くことか?一年半前まで地下街で一緒に生活してただろ」

「そ、それは、そうだけど」

お前のせいだ!お前の!と本人に言えるはずもなく、今夜だけはお願いします、そう気持ち悪いほどに震えながら頭を下げた。
少しの間沈黙となったが、沈黙を打破するかの如く今までソファーに腰掛けていたエルヴィンが立ち上がり、こちらへと近付いてくる。
今にも噛みついてきそうなリヴァイへ、「今夜はを連れて帰ってもいいか」とエルヴィンが聞けば、彼は呆れるように視線をそらし舌打ちを飛ばした。
ベッドの脇へと腰かけたリヴァイは、私達三人に出て行けと一言だけ告げ、それ以上は何の会話もなく終わった。
部屋から廊下へと出た私達は、扉を閉めるなり皆が皆大きな溜め息を吐く。ふと視界が歪み足をもつれさせてしまうが、背後にいたハンジさんが素早く支えてくれた。
とりあえずエルヴィンの部屋へと戻ることとなり、リヴァイの部屋前から早々に立ち去った。

所々に設置されているランプの灯りを頼りに薄暗い廊下をエルヴィンを先頭に進んでいた。その後ろに私とハンジさんがおり、誰も口を開かず足音だけを響かせている。
私は前を歩くエルヴィンの背中を見つめながら、リヴァイとの生活はいやだ、どうすれば逃れられるか、エルヴィンの部屋にずっといたい、と同じことを繰り返し考えていた。
部屋へ到着しエルヴィンが扉を押し開けると、見慣れた空間が視界いっぱいに広がる。
――ああ、落ち着く。
扉を閉めたところでヒザが笑いだし、へなへなと床へ尻もちをついてしまった。
ランプに火を灯すエルヴィンと、ソファーに腰掛けようとしていたハンジさんは、私の名を呼び駆け寄って来てくれたが、その姿を見ていると心が黒くざわついた。
リヴァイとの生活が始まると二人は知っていたのに、今まで何も言わずに隠し通してきたのは何故だ、と。
何の話もなかった。リヴァイと会うことさえ前もって教えてもらえなかった。……どうして。
床へ崩れ落ちた私に二人は手を差し伸べてくれたが、その手には頼らず、近くの壁に寄りかかり一人で立ち上がった。
感情に余裕を持てず、今夜は床で寝ます、とつぶやき二人の顔を見上げれば、それは、それは、見たことの無い表情をしており、途端、罪悪感に襲われてしまう。
エルヴィンは額に手を当て視線を床へと落とし、ハンジさんは下唇を噛み締めわなわなと震え始める始末だ。
そこでハッとした。
地下街にいた私が、どうこう言える立場ではないのに、とても良くしてくれた二人に何て辛そうな表情をさせているのだと。

「あの、ごめ、ごめんなさい。今のはすごく勝手なわがままで、ひとりごとだから、その」

「いいや、俺達が悪いんだ。突然このような事態となり、が怒るのは当然だろう」

「違う、二人は何も悪くない。むしろ、ありがとうだよ、ありがとうございます」

「待て、ここで礼を言う必要があるか?押さえ込まなくていい、正直な気持ちをぶつけてくれればいいんだ」

「……だって、好きなんだもん、二人が大好きなの、だからそんな顔しないで。いつもみたいに笑顔じゃなきゃいやだ」

再び床へ崩れ落ち、目にじわじわとあふれてくる熱い涙を手の甲で乱暴にぬぐっていると、ハンジさんが私の前へとヒザをつき、優しく両肩を掴んできた。かと思いきや次の瞬間、思いきり床へと押し倒されてしまい、後頭部を強打する羽目に。
ぐへ、と素っ頓狂な声を上げては違う意味で涙があふれ、急に何をするのかと真正面にある顔を見つめれば、更に頭突きを食らわされた。
痛がる私の首元へと遠慮なく顔を埋め、力の限り抱き締めてくる。骨がうなり息苦しくなるほどに。
エルヴィンもハンジさんの行動に驚いたのか、あわてて私から引きはがそうとしたが、失敗に終わった。
ただ、頭突きをされる一瞬、ハンジさんの目が真っ赤なのが見えたので、この息苦しさは受け止めるべきものなのだろうと直感で判断した。
耳元で、ごめん、ごめん、ごめんね、と震える声で何度もささやかれ、最後に、私もエルヴィンもから笑顔が消えるんじゃないかと怖くて言えなかったんだ、そう素直な気持ちを教えてくれた。
私がリヴァイを苦手としていることを知っている二人なだけに、気遣ってくれていたのだと気付き、涙どころか鼻水まで流れ出す始末である。
やはり、二人はともて優しい、心優しい、こんな私のことを考えてくれている、ああ、嬉しい。

この日は一つのベッドに三人で就寝した。兵舎へ来て私が初めてベッドで寝た日のように、左隣にエルヴィン、右隣にハンジさんがいてくれて、とても心地良い夜であった。だが、心地良くとも眠気は全くこず、目が冴えるばかりの深夜。
ランプの灯りが消され、窓からかすかに差し込んでくる月明かりが部屋の中を薄暗く照らしていた。
薄っすらと見える天井を何気なく見続けていると、一年半前にこの部屋へ来た頃の思い出がぽつり、ぽつりと浮かんでくる。
最初の頃は扉にカギをかけられていて、まるで牢獄のような部屋だった。
一度は部屋から逃げ出そうと考え、食事が運ばれる際に扉が開く隙をつき部屋を飛び出した。そこでハンジさんと出会った。
ハンジさんには何故兵舎から逃げ出そうとするのか理由を責め立てられて、挙句の果てに世間は厳しいと思い知らされるかの如く服を脱がされて縛りつけられる羽目にあってしまう。そのような過激なことをされたが、私はハンジさんを嫌いにはならなかった。むしろ、日に日に仲良くなっていった。
そんな中でエルヴィンのことを名前で呼ぶようになり一食増え、ベッドで寝るようになり更に一食増え……そういえば、女装までして私をベッドで寝ようと誘ってくれた。
寝る時は必ず手を繋いでくれて、エルヴィンの分厚く大きな手、もちろん今夜も繋いでくれている。あたたかい、とてもあたたかい。

「……これからも一緒にいたいよ」

明日からリヴァイの部屋で生活するということは、エルヴィンとこうして手を繋いで寝る行為が最後となる。
今がどれだけ貴重な時間か思い知り、繋いでいる左手にグッと力を込め、垂れてきた鼻水をすすっていると。

「……俺だって、を手放したくないさ」

「へ、あれ、エルヴィン、起きてたの?」

「困るほどに眠気がこないな、今夜は」

「うん、本当に」

エルヴィンに腰を掴まれ、仰向けの体勢から左向きの体勢へと寝返りを打たされた。
近距離で視線が合い、お互い笑い合ってしまう。

「俺は情けないよ。こんな図体のでかい大人だというのに、明日からまた一人の生活になるのかと思うと、頭が真っ白になる」

「そんな……」

「ああ、すまない、こんなことを言うと困らせてしまうな。つい本音が出てしまった」

「ねえエルヴィン、私に優しくしてくれて本当にありがとう、ありがとうありがとうありがとう」

「やめてくれ、別れるみたいじゃないか」

「だって、今夜が最後だと思うと、どうしようもなくて」

「いつでも戻ってくるといい、大歓迎だ」

「本当に?」

「もちろんだ。それにな、の夕食を食堂でとらせるようにリヴァイと話し合っているから、これからも頻繁に会えるぞ」

一ヵ月前より食堂で夕食をとるようになったのは、リヴァイとの生活が始まることを前提に、前もって食堂に慣れておくゆえだったのだとエルヴィンは言葉を続ける。
少しでも会える時間を作ろうと考えてくれるエルヴィンの心意気に、心臓が高鳴った。
鼻の奥がつんと痛くなったので、右腕で顔を覆い隠すように塞いでいると、背後より腹部と下半身へ何かが巻きついてきた。
それはハンジさんの腕と足であり、またしても抱き枕化してしまった自分にハッとする。正面ではエルヴィンが可笑しそうに笑っており、いい加減に寝ようと話がまとまった。
……とはいえ、やはり一向に眠気がこない。
次第にエルヴィンの寝息が聞こえ始めたかと思えば、巻きついているハンジさんの腕と足の力が強まり、耳元に息を吹きかけられた。
ぞわっと寒くなる背筋から肩をびくつかせてしまうと、くすくすと笑う声が聞こえた後、「エルヴィンばっかり、ずるい」そう耳元でささやかれた。そのまま力任せに右向きへと寝返りを打たされ、伏し目がちのハンジさんと目が合う。

「さっきから聞いてれば、エルヴィンったら自分のことばっかり。食堂の件は私が出した案なのに」

「ハ、ハンジさんも起きてたんだ」

「うん。明日からリヴァイとの生活が始まると思うとどうも……。なんかさ、リヴァイが独占的な性格だから嫌な予感しかしなくてね」

「リヴァイが独占的?」

「そう、この一年半で感じたことなんだけど、の話となると少し過剰になりすぎるというか、やけに敏感というか」

「リヴァイは少なからず私を憎んでいるから、そう感じるんだと思う。地下街にいた頃は殴られるなんてしょっちゅうだったし」

「リヴァイがを憎む……?なにそれ、冗談?」

「え、いやいや、冗談じゃなくて本当の話」

「自分で拾った子を憎んだりするかな?しかも兵舎にまで連れてきて」

「いつか見返りを要求されるんじゃないかなって、予想してる」

「ふーん。考え方はそれぞれだね」

「え?」

「まあ、答えはいずれ見えてくるかな。さ、私達も寝ようか。眠気がこなくても、頑張って寝よう」

私の研究室にはこれからも気軽に遊びにおいでね、と額をコツンと合わされハンジさんはまぶたを閉じた。
先ほどの会話が少々気になるが、考えたところで答えは出ないだろう。
それよりも、今までハンジさんの明るい笑顔にどれだけ救われてきたことか。ハンジさんがいてくれて良かったと心から思う。
ハンジさんの寝顔をジッと見つめていたら、エルヴィンが繋いでいる左手を軽く引いてきたので、身体を仰向けに戻した。
すると、右側より巻きついていたハンジさんの手足が再び右へ寝返りを打つように力を加えてくる。
それに伴い左手も力強く引かれ、ちょ、い、い、いいい痛っ、いたたたたた!!
(二人共絶対起きてるでしょ!!)








*NEXT*









-あとがき-
記憶、第四話!ご覧いただきまして、ありがとうございます!
ようやく過去編でリヴァイが喋りました。笑
次回からリヴァイとの生活になるわけですが、少しばかりひどいことをされるかもしれません。すみません……。
純血人生の本編で活躍した甘い担当のあの人も登場しますので、はい、さあさあ、続き書きます!
ありがとうございました。