記憶5





夢にリヴァイが出てきた。
私が寝ているベッドの横で寝巻を脱ぎ、前ボタンのついているシャツに腕を通している。
着替えている間、終始こちらを見下ろしてくるもので息苦しい夢にうんざりしていれば、目が覚めたか、と妙に現実的な低い声が降ってきた。
目が覚めるも何も、まだ夢の中だろう。
リヴァイを視界に入れたくない一心から、夢の中の私はまぶたを閉じた。すると、顔の表面に何かが優しく触れた次の瞬間、思いきり頬をつままれ自分でも驚くほどの素っ頓狂な声を上げてしまうのであった。
何事かと閉じたまぶたを薄っすら開ければ、ベッドの脇へ腰かけたリヴァイがそこにいた。片手でシャツの前ボタンを留めながら、もう片方の手は私の頬へと伸びているではないか。
頬をつままれる痛みに夢なのか現実なのか分からなくなり、つままれていない方の頬を自分の拳で軽く殴ってみた。ああ、痛い。
こっそりと部屋を見渡すと、昨夜に訪れた部屋であることに気付いた。物が少なく、嫌に片付いた部屋。

「俺の部屋へきて早々、二度寝か」

「……おかしい、絶対おかしい、私エルヴィンの部屋で寝たはずなのに」

「俺が連れてきたんだ。それ以外に何がある」

「連れてきたって、は?いつ?」

「お前がぐーすか寝てる間に」

「昨夜に、今夜はエルヴィンの部屋で寝るって話がまとまったよね……」

私の言葉にリヴァイは窓を指差し、「もう朝だ」とつぶやく。今夜といえど朝に目覚めるまでが一晩ではないのだろうか。
起きて早々溜め息を吐きながら窓の外を眺めると、暖色に染まる薄い雲と快晴の青が混じりあう朝焼けの空が広がっていた。
神秘的な空に見惚れている最中、リヴァイは私の両手を引っ張るなり右の手首に金属製の何かをはめてきた。
首をかしげていれば左の手首にもはめられ、それが手枷であることをようやく理解する。
なにこれ、そう思わずあふれた出た言葉に、お前はすぐに逃げるだろ、と返事を返された。

「やだ、外して」

「落ち着け。さすがに兵舎内では逃げないと信じているが、念のためだ」

「なら外してよ!重いし、痛い!」

「痛いのはお前が無理に引き抜こうとするからだ。俺が部屋にいる間は外してやる、それで問題ねぇだろ」

「問題ある!手枷なんて罪を犯した人がつけるものでしょう!?」

「そうでもない。手枷はいろいろな場面で役立っている」

「私はいやなの、外して!」

「うるせぇな……」

私の態度が気に障ったのか、リヴァイは目を細め、手枷ぐらいでわめくなと恐ろしいセリフを吐いてきた。
あまりの凶悪な表情に小さな悲鳴を上げては縮こもってしまう。
おかげで寝起きの頭は一気に覚醒した。今、目の前にいるのはリヴァイだ、リヴァイなのだ。
地下街にいた頃、あの鋭い目に睨まれ、汚い物を掃うかのように頬を打たれ、心に突き刺さる罵声を何度も浴びてきた。そうだ、昨夜も、頭を鷲掴みにされたじゃないか。
……途端、肩から全身へ震えが広がった。またあの日々が繰り返されるというのか。
私が大人しくなったのをいいことに、リヴァイはゆったりとした足取りで部屋から出て行ってしまった。その際、扉を閉めた直後、カギのかかる音が聞こえた。
兵舎へ来た頃を思い出してしまう。エルヴィンの部屋を牢獄と感じていたあの頃を。
エルヴィンは次第に自由を与えてくれたが……リヴァイは。
過去の事例があるだけに、リヴァイのことを考えれば考えるほど絶望的な想像しか浮かんでこない。
リヴァイの言う通り、私はすぐに逃げようとする。それは大正解だ。
逃げるなど無謀と諦める前に、何でも挑戦してみないと。だから、今回も逃げる。エルヴィンか、ハンジさんの元へ行く。そしてこの手枷を外してもらう。
一年半前にエルヴィンの部屋から逃げ出そうとしたあの手で今回も挑戦してみよう。
リヴァイがいつ部屋へ戻ってくるか検討もつかないが、いつでも逃げ出せるように扉が開けば死角になる場所へと移動した。開いた隙に素早く廊下へ飛び出せるよう両足のアキレス腱をぐっと伸ばす。
扉を見つめ続けること十分。廊下より足音が聞こえてきた。意外にも早く帰ってきたことに驚いていると、案の定部屋の前で足音が止まる。
しかし、なかなか扉が開かない。どうしたのかと不思議に思っていれば、やっとのことでカギの開く音はしたものの扉はそのままだ。そして、「おい、扉を開けてくれ」と外より声がかかった。
(私に呼びかけている……?)
何故扉を自分で開けれないのか、何か企んでいるのではないかと警戒心が高まったが、不機嫌極まりないリヴァイの声が再度聞こえ、あわてて扉を開けた。
そこには両手にスープ皿とパンを持つリヴァイが立っており、数センチしか開いていない扉を足で押し開け部屋の中へと入ってきた。
俺とお前の朝食だ、そう言いながらソファー前のテーブルへと料理を置く。
よく両手に料理を持っていながらカギを開けれたものだ。器用というべきか、力強いというべきか。
さて、今なら扉が開いてる、いける、早く廊下へ出ないと。何の障害もない床につまずきつつ廊下へ駆け出そうとすると背後より声がかかった。さっさと扉を閉めて、手を洗ってこい、と。

「ちょ、ちょっと、エルヴィンかハンジさんのところへ行ってくる」

「意味が分からん」

「あの、ほら、そうだ、エルヴィンの部屋に私の荷物を取りに行ってくる」

「お前の荷物なら俺が適当にまとめて持ってきた。そこの引き出しに入っている、下着類は脱衣所だ」

「は?」

「もう一度言う、扉を閉めて手を洗ってこい」

「か、勝手に荷物……なら、ハンジさんにおはようって言ってくる」

「……そうか、お前は俺を怒らせたいのか」

鋭い目つきでこちらへと歩み寄ってくるリヴァイに背を向け、あわてて廊下へと飛び出た。だが、焦りから足がもつれてしまい前のめりに転んでしまう。急いで這い上がり駆け出そうと一歩を踏み出したところで、伸びてきた手に首根っこを掴まれた。
投げ捨てるように部屋の中へと放り込まれ、リヴァイは私を睨みつけながら扉を閉める。
バランスを取れずに床に尻もちをついてしまい表情を歪めていると、いつの間にか真正面へきたリヴァイにあごを持ち上げられ、頬を一発打たれた。久々の痛みと恐怖に心臓が高鳴りだす。
そのまま洗面台へと連れて行かれ、手を洗わされた。再びソファーへと戻り、二人分の朝食が並ぶテーブルを前にして手枷を外される。

「……そうだな、逃げる気なら全力で逃げればいい」

「……は?」

「ただし、次に捕まえたときは俺もお前が逃げられないように全力で対処する。その覚悟があるなら、逃げろ」

手枷を指先で撫でながら低い声で告げてきた。
部屋から逃げないように脅しているつもりなのだろうが、それは無意味である。第一、リヴァイに従う理由などないだろう。
この兵舎で今後も生活が続くのなら、エルヴィンとハンジさんが側にいてくれる日々を過ごしたい。以前と変わらず容赦なく頬を打ってきたリヴァイと生活をするなど嫌だ。
リヴァイが、分かったなと、しつこく返事を求めてくるので、スープ皿を手に持ち部屋の隅で朝食をとった。返事などする必要がない。
私の態度に溜め息を吐き、「俺は忠告したからな」そうつぶやく声が聞こえたが、もちろん聞こえないふりをした。
朝食後、リヴァイは自由の翼が縫い付けられている兵服と二枚のスープ皿を重ね持ち部屋から出て行った。
何故か手枷をはめられなかった。扉に小走りで近付き、遠ざかって行く足音が聞こえなくなったところでそっとドアノブを回すと、開いた。
先ほど、朝食をとりにいくだけでも手枷をはめられ、扉にカギをかけていったというのに……。
何か罠をはられているような気持ちの悪い成り行きに、開けた扉を閉め、ソファーへと腰掛けた。
今は逃げてはいけない気がする。勘だが、簡単に捕まる予測がつく。この日、私は大人しくリヴァイの部屋で一日を過ごすことにした。
それに、大人しくしている理由はもう一つある。
昨夜エルヴィンと会話をしたときに、私が夕食を食堂でとれるようリヴァイと話し合っていると教えてくれた。
今までのようにエルヴィンかハンジさんが夕食の時間になると迎えに来てくれるのでないかと、少なからず期待してしまうのは当然のことだろう。
エルヴィンの部屋と同様に窓から差し込んでくる日差しは、朝は爽やかで、昼は元気に明るく、夕方は優しい茜色になった。
次第に月明かりとなり、ランプに火を灯しては扉が開くのを待ち望んでいたわけだが、扉は一向に開かなかった。
朝食を食べたっきりの腹は空腹感がすさまじい。昼食は与えてもらえなかった。
恥ずかしい音を立てる腹をさすりながら扉を呆然と眺めていると、廊下から足音が近づいてくるのに気付いた。
咄嗟にエルヴィンかハンジさんが迎えにきてくれたのだと勝手な予想から嬉しくなり、扉前へ駆け寄った。
いざ扉が開いたところで、待ってたよ!と飛び付かんばかりの勢いと笑顔で対面すると、片手にパンを二つ持つ人物が目を見開き固まってしまう。
扉を開けたのがリヴァイであることに気付き、私も同様に目を見開いてしまった。

「……そんなに腹が減ってたのか?」

「ひ、あ、うん、まあそんなとこ、かな」

「嘘だな。エルヴィンかハンジが来たのだと勘違いしたんだろ」

なんて意地悪な会話なのだろう。どうやら全てお見通しらしい。
更にリヴァイは言葉を続け、夕食は食堂でどうのとぬかしていたが断った、と涼しい顔をして言い放ってきた。
唖然と入り口中央で立ちつくす私を端へ押しやり、リヴァイは部屋の中へと入り扉を閉める。
部屋の隅にある戸棚の引き出しから清潔な白い布を一枚取り出し、テーブルの上にそれを引きパンを置いた。
そのままソファーへと腰掛けるリヴァイは兵服を脱ぎながら、いまだ扉前で立ちつくす私に手を洗ってくるよう声をかけてきたが、怒りでそれどころじゃない。
何故断ったのだ。夕食を食堂で、皆で食べれると心を躍らせていた私は何だ。一ヵ月前より食堂で夕食をとるようになったのは、リヴァイとの生活が始まることを前提に、前もって食堂に慣れておくべきだと、エルヴィンとハンジさんはそこまで考えてくれていたのに。
リヴァイは自分のことしか考えていない。ここまで頑なに私を閉じ込めていったい何を望んでいるのだ。

「……なんなの、リヴァイって。どうして私にこだわるの?放っとけばいいじゃない、地下街で拾った子なんて」

「そんなこと今はどうだっていいだろ。早く手を洗ってこい」

「お金がほしいの?今までの衣食住の金を返せって言いたいの?そのへん教えてよ」

「金だ?俺が金に目がくらむ人間だと思うか?」

「知らない、リヴァイのことを知ろうだなんて思ったこと無いから」

「なら知る必要なんてねぇだろ。何も知ろうとせず俺の言う通りに従えばいい話だ。ほら、手を洗ってこい」

ソファーから立ち上がり兵服をハンガーにかけ、立体機動装置の固定ベルトを慣れた手つきで外し始めた。
この時、逃げ出すなら今だ、そう思った。堂々と部屋から出て行ってやると、反抗する気持ちが昂っていたせいなのかもしれないが、とにかくリヴァイの側からどうしようもなく離れたくて、離れたくて。
ちょうど今扉前にいる。すぐに廊下へ出られる。昨日みたいに転んだりしないよう気をつけなければ。
今の時間帯だとエルヴィンはまだ部屋には帰っていないだろう。なら、ハンジさんのいる研究室へ駆け込むまでだ。
リヴァイが固定ベルトへ視線を向けている隙に、さり気なく足首を回し、アキレス腱を伸ばした。
太ももに巻き付く固定ベルトを外す為か上半身をかがめたリヴァイに背を向け、ドアノブをもぎ取る勢いで回し廊下へと飛び出た。
昨夜の記憶を頭の片隅より引っ張り出し、食堂からリヴァイの部屋へきた道のりを思い出す。その記憶から研究室への道を繋ぎ合わせれば……。
左へ真っすぐ突き進むと階段がある。そこから二階分駆け下り右折、長く続く廊下の突き当たりが、おそらく研究室だ。
スカートを大胆に持ち上げ、必死に廊下を走った。転ばぬようにと気をつけていたが、途中何度か転んでしまい、廊下との摩擦で両ひざの皮膚がめくれた。だが、焦りが上回り痛みなど感じなかった。
階段を二階分駆け下り、右折するところで後ろを振り返ってみる。だが、そこにリヴァイはいなかった。それどころか、息切れする口元を抑えて耳を澄ませても足音さえ聞こえてこない。
(追ってこない……?)
妙に思いながらも余裕のない私は駆け足で研究室へと急ぐ。いざ目的地へたどりつき扉をノックしてみるが、無反応であった。
望みをかけハンジさんの名前を大きな声で呼んでもみたが、返事はない。
まさに、最悪である。
どうして今日に限っていないのかと、崩れ落ちるようにドアノブに手をかければ、カギがかかっておらず扉が開いた。
予想外の事態であり、急いで研究室へと足を踏み入れ扉を閉めた。
室内は暗闇でありランプの一つさえ点いておらず、人の気配など一切無い。
これは困った。目をこらしても、足元さえろくに見えない暗さに立ち往生してしまう。以前に入室したとき、暗幕のカーテンが部屋全体に取り付けられていたことを、ふと思い出した。
とはいえ、本能的にどこかへ隠れなければと気が焦り、身体をかがめ、辺りを手探りで確かめながら机らしい物の下へ入った。
ここに隠れていれば、いずれハンジさんが帰ってくるだろう。
上がった息を整え、次第に不気味なほど静まりかえる研究室は異様な空間であった。
いつもは賑やかなハンジさんが出迎えてくれる研究室であるからこそ何も感じなかったが、その名の通り、ここは研究をする部屋だ。何の研究をしているかは部屋の主から口うるさく聞かされているので、一般人の私でも知っている。それは、巨人である。
いつも熱心に巨人の話をしてくれるハンジさんは、会話の途中でも何かが閃くと叫びながら紙に殴り書きをし、頭を抱え、仮定の説を唱え始める。
私は巨人を見たことが無いので何とも言えないが、人間を食べることだけは知っていた。丸焼にして食べるのか、お鍋で煮込むのか、どのようにして食べるのかは不明だが。
……そんな人間を食べる巨人の研究をする部屋がここ、というわだ。
巨人のことを考えると妙に背筋が寒くなり、全身の鳥肌が立つばかりであった。すると、どこからかドサッと何かが豪快に落ちる音が聞こえ、突然のことに悲鳴を上げそうになるが、あわてて口元を両手で押さえ出かかった声を飲み込む。
何の音かと暗闇の中で必死に目をこらしていれば、次はうめき声が聞こえてきた。獣が低くうなるような、そんなうめき声であった。
あまりの恐怖に目を閉じ、両耳をふさぎ、机の端で身体を丸めては、ハンジさんが早く帰ってくるよう祈りに祈る。
ハンジさんが帰ってきたら何でもいいからお話しよう。ハンジさんの明るく元気な笑顔を見たい、そのあとでエルヴィンの優しい笑顔も見たい。
――二人に会いたい……。
耳をふさぐ手に力を込めていると、ふいに足首を掴まれた。
一瞬何が起こったのか理解できず閉じていた目をあわてて見開くが、開けたところでやはり暗闇であり呼吸を詰まらせてしまうほどに焦ってしまう。
掴んできた何かを振り払おうと足をばたつかせるものの、机の下から引っ張り出すかのように力任せに足首を引かれ、次の瞬間、頬を一発打たれた。「立て、帰るぞ」そう正面から聞こえたセリフは、リヴァイの声であった。

「……は、リヴァっ、やだ、私ここに残る」

「おい、どこ見て喋ってる。俺はこっちだ」

「へ、あ、暗すぎて姿が」

「俺はお前の姿がはっきりと見えるがな」

そう言って、的確に手首を掴まれた。離せと叫びながら腕を振り回したが、掴む手に力を込めてきたせいで逆に自分の骨がうなった。
やはり私はリヴァイの言う通りに従うしかないのだろうか。
暗闇の中、手首を引かれるがままに進んでいると、途端、またしても足首に違和感が走った。力強く掴まれている。先ほどもリヴァイに足首を掴まれたが、今リヴァイは私の手首を掴んで前を歩いている。なら、この足首を掴んでいる手は……というか、掴まれているせいで一歩が踏み出せない!
前へ前へ引いてくるリヴァイを呼びとめ、足首を誰かに掴まれていると震える声で伝えた。

「……ハンジ、てめぇどこで寝てやがる。汚ぇな」

「ん、ああ、あれ、どうして私床で寝てるの?って、やべ!腰と尻が痛いぃぃー!」

「うるせぇな、寝ぼけてんのか」

「机に突っ伏して寝てたはずなのに、いつの間に落ちたんだか。いたた、こりゃ思いきり打ちつけちゃったな」

この暗闇の中で、リヴァイとハンジさんが会話をしている。
なにより足元からハンジさんの声が聞こえたことに驚いた。会いたかった人が、今ここにいる。
先ほど何かが落ちたような豪快な音とうめき声……ハンジさんだったのだろうか。会いたいと思っていた人が、実は最初から研究室にいたとは。あまりに静かで気付かなかった。
身をかがめ、いまだに足首を掴んでくる手に触れてみると、「この弱々しい手はかな?」と見事当ててきた。姿は全く見えないが、笑顔をこちらに向けてくれている気がして、嬉しくなってしまう。

「ハンジさん、私の足首」

「足首?は!うわ、ごめんごめん、私ったら巨人を捕まえる夢でも見てたのかな!?」

足首が解放され、あ、と無意識に声が漏れた。何故なら、離してほしくなかったからだ。
ハンジさんの名前をもう一度呼んだところで力強く手首を引かれ、会話を中断するかのように研究室から引っ張り出されてしまう。
足をもつれさせながら廊下を数歩進んだところで、研究室より私の名を呼ぶハンジさんの声が聞こえた直後、腰と尻がぁぁぁ!と本日二度目の叫びも聞こえた。あれだけ豪快な音を立てて落ちたのだ、痛いのは当然だろう。
結局、リヴァイの部屋へと連れ戻された。部屋を飛び出してから三十分弱でこの有様である。
扉を閉めたリヴァイは私の両手を後ろへ回し手枷をはめてきた。俺の前から逃げたお前が悪い、そうつぶやきながら。
言い返す言葉がみつからず唇を噛みしめていると、ソファーへ座るよう誘導された。ソファー前のテーブル上には、布巾の上に置かれたパンが二つ。
手を洗い終えたリヴァイはソファーへ腰かけながらパンを取り、端を千切っては私の口元へ押し当ててきた。
確かに背後で手枷をはめられているので手の自由はきかないが、まさか、こんな。

「ぅぶ!やめっ、自分で食べるから手枷はずして!」

「それは却下だ」

「どうして!エルヴィンはこんなこと絶対にしなかった!」

「一緒にするな。それに俺は忠告したはずだ。逃げるなら全力で逃げろ」

「……え」

「ただし、次に捕まえたときは俺もお前が逃げられないように全力で対処する、と」

確かに、その言葉は朝聞いた。だが、それはリヴァイが勝手に決めたことだろう。私はあのとき返事もしていない。
手枷をつけられ、口元にパンを押し当てられ、初日から一方的なことをされ、とてつもなく理不尽じゃないか。
ふつふつと湧き起こる怒りから、パンを持つリヴァイの指ごと噛みついてやった。驚いてすぐに手を引くだろう、そう考えていたのだが、リヴァイは私に噛みつかれたまま平然としている。むしろ、噛みたいのなら噛めとでも言っているようで、気持ち悪いったらない。あわてて頭を反らし口内からリヴァイの指を吐き出した。
指は歯型の傷口から薄っすらと浮き出る血と私の唾液がまざり、ランプの光をにぶく反射している。リヴァイはその指でパンをちぎり、自分の口元へと運んだ。汚れている指を拭けと言いそうになったが、つい言葉を飲み込んでしまう。噛みついた私がどうこう言うことでもないだろう。
ただ、気まずさから直視できずに視線をそらすと、再び口元にパンを押し当ててきたので次は大人しくパンだけを口内へ含んだ。
無言の間が続く中、パンを食べ終えたリヴァイは私のヒザを見て表情を歪めた。同じく自分のヒザを見てみると、両ヒザの皮膚がめくれ上がり痛々しい様になっていることに気付く。先ほど部屋から逃げ出した際に転んで怪我したことを今になって思い出す始末である。

「足、どうした。転んだのか」

「……うん」

「よっぽど俺から逃げるのに必死だったんだろうな」

「だって」

「もういい、あとで消毒してやる。汚ぇ手で触るなよ」

触るも何も後ろで手枷をはめられているのだ、触るに触れない。
食後の紅茶を飲み終えたリヴァイは、宣言通りヒザの手当てをしてくれた。消毒する場面は見ない方がいいとのことで目を閉じているように指示を受け、それには従った。
しかしヒザを触られていたはずなのに、次第にその手は足首へと下りて行き、カチリと無機質な音が聞こえた。
何かと目を開けて覗き見ると、足首に足枷をはめられており、絶句してしまう。
逃げる足を縛ってしまえば怪我をすることもなくなるだろう、などと無表情で告げてくるリヴァイに恐怖を感じたのは言うまでもない。
手枷は我慢できるにしても、足枷はまずい、下手をすれば一人でお手洗いにさえ行けない。
せめて足は外してくれと懇願したが、返事はなかった。

しばらくの間ソファーの隅で身体を丸め、どうにか足枷を外す方法はないものか痛むヒザに頭を置き考えていると、大量の書類を持ったリヴァイが隣へ腰かけてきた。
聞いてもいないのに、今夜中に目を通さなければならない書類だと話しかけてきたので、相槌さえ打たず背を向けてやった。
人の手足を拘束しておいて、良く平然と話しかけれるものだ。

「なんだ、眠いのか?そろそろ寝るか?」

「……」

「そういえば、ベッドで寝るようになったらしいな。地下街にいた頃はベッドで寝ることを避けていたお前が」

「……エルヴィンは怖い記憶を打ち消してくれた、だからベッドでも寝れたの。ハンジさんもそう」

「俺と違ってあいつらは優秀だと言いたいのか」

「優秀とか、そんなんじゃない。優しいの、本当にこう、包み込んでくれるように優しかったの」

「そうか、包み込んでもらえて良かったな。さぞ甘えて甘えて、気持ち良かっただろ」

「……なに、嫌味っぽい言い方しないでよ」

「事実だろうが。甘えて受け止めてもらえて、それが心地良くて、だから今すぐその場所に帰りたくて仕方ねぇ、そうだろ」

「手足を拘束してくるような奴に、私の何が分かるのさ」

ひるむことなく睨みつけてやれば、書類から私へと一瞬だけ視線を移し、すぐに書類へと向き直った。お前の考えなど手に取るように分かると、余裕な態度でつぶやきながら。
素直に悔しかった。リヴァイの言っていることが、全て当たっていたからだ。甘ったれた奴だと言われているようで、自分がただ弱い人間に思えて、エルヴィンとハンジさんの優しさを否定されたようで、身体が熱くなった。
ソファーから立ち上がり、跳びはねながら部屋の隅へと移動した。一角に腰を下ろし、頭をうつむけ、まぶたを閉じる。
この狭い空間でも、なるべくリヴァイから離れるべきだ。近くにいたら、嫌な思いしかしない。

一睡もできずに夜が明け、床に座り込む私の隣へリヴァイは腰を下ろしてきた。手にはスープ皿を持っている。
スープをすくったスプーンを私の口元へ当ててきたので、空気をいっぱいに吸い込み思いきり吹き飛ばしてやった。食べ物を粗末にしてしまった自分に嫌気が差したが、それ以上にリヴァイの手で食事を食べさせられる惨めな自分に耐え切れない。
案の定、リヴァイは私の頬を一発打ってきた。食べ物を粗末にした罰なのだろう。
その日より、口元に当ててくる食事を断固として拒否した。エルヴィンの部屋にいた頃のように、兵士の方が食事を運んできてくれることは一切なく、朝と夜の一日に二回のみの食事であったが、どれほど空腹に襲われようが受け入れなかった。話しかけられても、どのような理不尽なことを言われようと、全て無視を貫いた。
与えられる食事を拒否し、三日目の夜。食事をとらない私にリヴァイも焦り始めたのか、実力行使で口内へパンを押しこんできたが、それさえも吐き出してやった。頬を打たれても、強烈な空腹が感覚を麻痺させ、痛みなどそう感じない。

「……いい加減、食べろ」

「……」

「おい、お前に話しかけているんだ。なあ、聞こえてるか?」

顔をうつむかせ、心の中で「聞こえている」と返事をしていると、横髪をふいに持ち上げられた。
何をするのかと顔を上げると、リヴァイは手に短刀を持っており、躊躇することなく髪の束に刃を立ててくる。反攻する間もなく短く切られた横髪はリヴァイの手中から解放されるなり服や床上へと散らばり落ちた。

「なにして……」

「髪が邪魔でお前の顔が見えねぇから、切り落としたまでだ」

別に、髪の毛を大切に手入れしていたわけではないが、身体の一部を切り落とされた感覚に襲われ、なんとも言えぬ黒い感情があふれ出してしまう。
このような仕打ちを受けてまで、これから先生きていく意味があるのか、不安になった。









*NEXT*









-あとがき-
記憶、第五話!ご覧いただきまして、ありがとうございます!
ズーンと暗く兵長が最低な第五話……いやあ、申し訳ございません;この連載の兵長、いろいろと不器用なんだと思います。
次第に明るい方へ話が向いていきますので、ご安心くださいませ。
次回は、ある人が大活躍してくださいます。純血人生本編で純愛を貫き通したあの人です。