床に倒れ込む私の上へまたがったリヴァイは、胸倉を掴むなり頬を打ってきた。
打たれた衝撃で口内を噛み切ったのか生ぬるい血が舌にこびりついてくる。
ノドへ流れ落ちてくる血に咳き込み始めると、三発打たれたところでリヴァイの手は止まった。
ぼやっとする視界のまま顔を正面に向ければ、リヴァイの目が泳いでいる様を見た。
自分で殴っておいてどこか否定しているような、そんな目に見えた。
揺れる瞳を細めるなり、頬にかかる私の短い横髪に手を添えてくる。
添えられた手は頬を伝い口元まで下りていき、口内から血が漏れていたのか親指で口の端をこすられ不快極まりなかった。



記憶7



「ありがとう」と「ごめんなさい」を言おうとしただけなのに、なぜ殴られたのだろうか。
リヴァイに気持ちを伝えることがこれほどに難しいとは考えもしなかった。もしかすると、喋るな、との意味を込めて殴られたのかもしれないが。
今更だが改めて思う。どうして私を拾ったのかと。逃げては捕まり、拘束具で縛られ、殴られ、美味しい焼菓子を与えられては、また殴られ。本当に、何が目的なのだろうか。
まったく理解ができず目を泳がせるリヴァイを呆然と見ていると、ただ悲しくなった。悲しくて、悲しくて、吐き気が込み上げるほど胸が痛んでくる。しかし、不思議と涙はあふれてこない。
すると頭の奥から何かが千切れる音が聞こえた。ぶちぶちと、無理に引き千切られていくおぞましい音。どんな希望を持っても無意味だと言い聞かされているかのような、そんな音に聞こえた。
お互い口を開こうとせず二分ほど沈黙の間となったが、リヴァイはのそのそと立ち上がるなり、力なく床へ横たわる私を抱き上げた。その際に鼻を二度鳴らし、「風呂に入ったのか」と先ほどよりは優しさを込めた声で聞いてくる。うん、の返事をするのも面倒でまぶたを閉じれば、それ以上は何も聞いてこなかった。
そのままベッドへと移動し、靴を脱がされ寝かせつけられた。成されるがままであった。かたくなにベッドを拒否し何をするにも床で過ごしていたが、もうそんなことはどうでもよい。
久々のベッド上で薄っすらまぶたを開けてみる。ランプの影がゆらゆらと映る天井が見えた。天井から少し視線をそらすと、こちらを見下ろしながらアスコットタイを緩めるリヴァイと目が合った。一秒もせずして視線をそらされ、シャツを脱ぎ、風呂場へと向かって行く。一人となった静かな空間は頬の痛みを強調させた。今までにリヴァイの平手と拳を何度も受けてきた頬。地下街でリヴァイではなくエルヴィンやハンジさんと先に出会っていたら、この頬を撫でられるような、もっと明るく笑顔のあふれた人生もあったのではないかと、ふと思うときがある。
でも、あの場にいたのはリヴァイだった。
こんなことを考えたってどうしようもないと分かっていながらも考えてしまうのは、誰かに甘えたいという気持ちがあるからだろうか。掃除を頑張れば頭をなでてもらいたい、手を繋ぎながらお散歩したい、何よりたくさんの笑顔を向けてほしい。
そう、甘ったれた感情が自分を辛い方へ、辛い方へ招いているのだ。このような感情がなければ、何をされてもそれが普通となり、どのような理不尽も受け入れられたのかもしれない。
……いいや。今更、何の期待をしているのだか。
そこへ、下着姿のリヴァイが風呂から飛び出てきた。呆然とそちらへ視線を向けると、不機嫌な表情を浮かべこちらへと近付いてくる。
「お前、どこで風呂に入ったんだ。風呂を使ったあとがない。俺が掃除をした昨日のままだ」と少し口早に言い放ってきた。
そりゃそうだろう、私は美形さんの部屋で風呂に入ったのだから。だが、言わなかった。言ったところで、どうこうなるわけでもない。
リヴァイは先ほどよりも目を泳がせていた。そこまで動揺する理由は大体検討がつく。部屋から出たのか、そう言いたいのだろう。
ハンジさんに手を引かれあっさりと部屋を出た、ただそれだけだ。今回は逃げ出す為に部屋を出たわけではない。私自信、そのような気持ちは一切なかった。何も責められることはないはずだ。
リヴァイに背を向け寝返りをうった。頬が枕にすれ皮膚が脈打つかのようにじん、じんと痛み出す。この調子だと本格的に痛みが現れ始めるのは深夜から朝方にかけてだろう。……いやな慣れだ。
さっさと風呂へ戻れ戻れ、と何度も心でつぶやいていると背中に何かが触れた。リヴァイの指先だ。そのとき、気持ち悪いと思った。

――触るな!

つい大きな声を上げてしまい、あ、と直後に情けない声も出てしまう。
昨日、同じセリフを吐き捨てたことで殴られたというのに。なんて学習能力のない。
まあ、これ以上殴られてもどうってことはないのも事実だが。殴りたければ殴ればいい。だが、「もういい」そうつぶやく声と、数秒後には風呂の扉が閉まる音が聞こえた。
再び静かになった部屋。次第に、胃の辺りがチクチクと痛み始める。
もういい、とはどういう意味だ。やけに心につっかえる一言じゃないか。痛みが不快で仕方なく、胸から胃にかけて拳で軽く殴った。
しばらくして風呂から上がったリヴァイはこちらを一切見ずに部屋のランプを一つだけ残し、残りの全てを消した。私に寝ろと、そう言いたいのだろう。
本人は髪の水気を拭き取りながらソファーへと腰かけテーブルに積み上げていた書類と向き合い仕事を始める。どうせ今夜もソファーに座ったまま寝るに違いない。リヴァイはベッドで眠ることがほとんどない。ここ数日中にふと目覚めた真夜中、ソファーに腰掛けたまま目を閉じているリヴァイの横顔を何度か見た。地下街にいた頃もベッドで寝ている姿を見たことがない。いつも座ったまま浅い睡眠をとる。目つきの悪さは寝不足からきているのではないかと思うほどに、寝不足の塊と化した人だ。しかも、かすかな物音ですぐに目を覚ます。先日も肩にかけていた羽織りが床へ落ちた音だけでまぶた薄っすらと開けたので、あわてて寝たふりをしたほどだ。起きているときも、寝ているときも、何をしていても神経をそこらじゅうにはりめぐらせたような、そんな生き方をしているのがリヴァイだ。
……気分が悪い。
これ以上リヴァイのことを考えるのはよそう。枕に頬が触れないよう身体を仰向けにし、素直にまぶたを閉じた。
眠れるかは別として、視界を遮断するだけでも幾分か気分が楽になるだろう。意識をそらせ。
静かな空間の中、時折として皿の上にカップを置く音が聞こえてきた。
地下街にいた頃から聞き慣れている音だ。あまり認めたくはないが、私の子守唄でもある。
加えて書類のめくる音も心地が良く、意識がふわりと軽くなるのがわかった。ああ、今なら眠れる。

真っ白な世界の中で、違和感を感じた。
妙な感覚が身体をむしばんでいく。言葉では言い表せない、何かだ。巻きついてくる、ほら、目には見えないのに何かが確実に巻きついてくる。
白い世界の中に灰色の空間があり、そこへ手を伸ばした、伸ばせる限り伸ばした。
ハッとし、目を見開いた。
見開いた目に映る世界は真っ白でもなく灰色でもなく、見覚えのある天井に薄暗く映る奇妙な影であった。
額がやけに熱く手を添えようとすれば何かにぶつかった。ぶつかった途端、額から熱が引いた。だが、数秒もせずして再び熱が降り注いでくる。更には額に伸ばした手を掴まれ、何故か動かせなくなった。
不思議な事態に何度かまばたきを繰り返していると、上から下、上から下と腫れている頬を触られている感覚に気付き、天井に映る影が人影であることを理解した。
あわてて首を横に振り息を荒くすると、「どうした、怖い夢でも見たか」などと呑気にささやく声が聞こえた。
私が振り向くよりも先に顔をのぞきこんできたリヴァイは、落ち着けと言わんばかりに頭から頬へかけて何度も撫でおろしてくる。
そんなリヴァイの唇は湿っておりランプの光を淡く反射していた。嫌な予感がし、先ほど触れることのできなかった額に手を添えれば同じく薄っすら湿っており、ゾッとしてしまう。

「あの、リヴァイ。今、なにしてた?」

「……シーツが乱れていたんでな、直していたところだ」

「うそ、違うよね、私の額にキスしてたんじゃ」

「寝ぼけた頭で何言ってやがる。ほら、さっさと寝ろ」

表情一つ変えず、あっさりと誤魔化されてしまったが、腫れた頬に触れてくる指先は格別に優しかった。
次第にその指先は肩まで下りていき、ぽん、ぽん、と小さな子供を寝かせつけるように優しいリズムを刻んでくる。
「眠れそうか?」などと気遣う言葉まで聞こえ、ふと昔の記憶が浮かんだ。
地下街なのか別の地なのかは不明だが、下水の流れる地で両親と暮らしていた頃。私はよく悪夢にうなされており、その都度両親は肩や背中を、ぽん、ぽん、とさすってくれた。「何も怖くないからね、大丈夫よ」と心を癒すおまじないを一言添えて。
昔の記憶をぼんやり思い出していると、「大丈夫だ、怖い夢を見ないようずっとそばにいてやる」なんて言ってくるものだから、とあることに気付いてしまった。
親だ、親の行動とそっくりだ。
こちらからすれば逃げているのだが、行方不明となったわが子を捜さない親はいない。心配をかけたことに対して叱るのは一般家庭では普通だろう。その際、少々の罵声も、頬を殴ることもあり得る。
わが子を躾けるため、部屋の中へ閉じ込めることもあり得る。
わが子が口と閉ざし食を三日も放棄すれば、どうにか食べさそうと行動に出ることもあり得る。
わが子を喜ばせるため、たまに菓子などを与えることもあり得る。
わが子が寝付けないとなれば、優しい言葉をかけることもあり得る。
――今までのリヴァイの行動、親が子供に対して取る行動に結びついてくる。
ようするに真似事だ、リヴァイは親の真似事をしているのではないだろうか。
あくまでも予想だけれど、当たっている可能性は高い気がする。リヴァイの行動を思い返せば、尚更。
試しに、子供が親に甘えるかの如く「手をにぎってほしい」とお願いしてみた。

「手をにぎってくれたら、ぐっすり眠れそう」

「……こうでいいのか?」

リヴァイはためらうことなく、私の片手を自分の両手で包み込んだ。
驚いた、本当ににぎってきた。寝る前、思いきり頬を殴ってきた同じ手だとは信じがたい。 しかし、どうして親の真似事などを。非現実的な人生から少しでも気をそらすためか。それとも意外にも趣味なのか。単に気晴らしか。飽きるまでの家族ごっこならざる暇つぶしか。何にせよ、私はただ利用されていただけになる。
リヴァイに拾われてから兵舎へ連れてこられた今も、ずっと疑問に思っていたこと。そう、何故、私を拾い、側においているのか……。
優しく包み込まれている片手から生ぬるい体温が伝わり寒気が走った。
自分なりの答えが出た今、改めてリヴァイの顔を見てみる。目が合うなり、眠れそうにないならミルクを温めてきてやろうかと手をにぎりしめる力を強めながら言葉をかけられた。
私が手をにぎってほしいなどと過去にない甘え方をしたせいで、リヴァイは機嫌をよくしているように見える。
ミルクを飲んだところで眠れるわけがないだろう。最悪なことに気付いてしまったというのに。
やめてくれ、親の真似事など、不快極まりない。この男は何を勘違いしているのだ。
拘束具をつけられ、部屋の中に閉じ込められ、殴られ、食事をとらなければ無理に口内へ押し込まれ、挙句の果てに優しくされ……。
今後もこの気持ちの悪い親の真似事に付き合わなければならないのだろうか。おそらくリヴァイのそばにいる限りは当分続くのではないか。これからも我慢して、我慢して、我慢して、生きていくのか……そう、彼が飽きるまで。
私はどうすればいい。
逃げ出したところで必ず捕まる。扉から逃げようと、窓から逃げようとそこらじゅうに兵士がいる兵舎で逃げ切れるわけがない。実際のところ兵舎でなくとも捕まるものは捕まる。地下街にいた頃がそうだった。逃げても逃げても何度逃げても捕まって、殴られるのだ。
なら、他に手はあるか。エルヴィンかハンジさんの部屋へ逃げ込んだところで、いずれ見つかる予想が簡単につく。
他に、他に……。
ああ、ない。思いつかない。捕まる予想ばかりついてしまう。リヴァイから逃れる方法など、あるのだろうか。あるなら教えてほしい。
にぎられている手に震えが走ると、リヴァイは何を思ったのか「今夜はずっとにぎっててやるから、安心しろ」と励ます言葉をくれた。
……耐えきれない。

翌日より見知らぬ兵士が部屋へ訪れ、何故か昼食を持ってきてくれるようになった。
毎回、リヴァイ兵士長から残さず食べろと伝言を預かっています、と私に告げ兵士は部屋を去って行く。
私は言いつけ通り全て食べた。絶対に残さなかった。これはリヴァイの言いなりになったわけではない。そうでもしないと、もし私が残しているのを見つけて兵士の方がリヴァイに何か言われてしまう可能性を考えたゆえの行動だ。その上、リヴァイが持ち帰る夕飯も全て食べた。無理にでも食べさせようとする親の真似事を受けないためだ。だが、言いつけを従えば従うほど、新たな親の真似事がお披露目されるのであった。
風呂に入れば髪を乾かせと力まかせに拭いてくる。使った食器を洗えば冷えた手をあたためてくれる。少しでも気に入らないことがあれば相変わらず頬を打ってくる。日に日に吐き気がひどくなった。
ある日、昼食時にいつものスプーンではなく、フォークが添えられていた。
人間、魔が差すなど一秒もあれば十分である。
頭の奥から何かが無理に引き千切られている音が聞こえてきた。この音、聞き覚えがある。確か先日も……。
小さな音はどんどんと大きくなり、頭から足の先まで、ぶち、ぶち、と響き渡る。
気付けばフォークをにぎりしめており、自分の左腕を思いきり刺していた。口の端から唾液が垂れ落ちるほどの痛みであったが、足りなかった。もう一度刺した。それでも足りずまた刺した。
脳裏に浮かぶ「死」を連想しつつ、全ては「今」を逃れたくて、左腕をめった刺しにした。
左腕が血だらけになり、上手く刺さらなくなったところで手を止めた。痛みで左腕が動かない。でも意識ははっきりしていた。
結局は食器を片付けにきた兵士に見つかりフォークを取り上げられてしまうのだが。直後、不機嫌な表情を浮かべたリヴァイが部屋へ飛び込んできたのは言うまでもない。
左腕が血だらけにも関わらず、リヴァイは私の頬を打ってきた。こんなときまで親の真似事か。
しばらくすると血も止まり、刺しに刺した左腕が赤紫色に変色し小さな穴だらけになっている様を目の当たりにした。痛々しい腕が自分の心を露わしているように見え、直視できなかった。
更に翌日、勢いづいてしまった私はリヴァイが仕事へ行ったあと、部屋の隅に置かれている花瓶に目が止まった。
花瓶の前までいき、持ち上げ、思いきり床に叩きつけた。大きな音と共に花瓶は割れ、中でも一番鋭く尖った破片を掴み上げる。昨日めった刺しにした左腕の包帯をはぎ取り、二度、深呼吸をした。
そこへ待ち伏せしていたかの如く、昨日に昼食を持ってきた兵士が部屋へと入ってくるなり私を取り押さえた。破片を没収され、「愚かなことを!」と叱りつけられる。その言葉まで親の真似事に思えた。
この日、部屋へリヴァイが帰ってくるまでの間、私を取り押さえた兵士がずっと側にいた。
その間に三度も左腕の消毒をしては包帯を巻き直してくれたのだが、夕暮れの陽が窓から差し込む中、兵士はあることをぽつりとつぶやき私の肩へ手を添えてきた。「自分の腕を刺す勇気があるなんて相当だ。これだけ勇気があればなんでもできるんじゃないですか?その勇気を良い方へ使わないともったいないですよ」と。
突然降ってきた声に兵士の顔を見上げると、口元は微笑んでいるのに、悲しげな表情がにじみ出ていた。
更に言葉は続き、「後輩の兵士が、先日の壁外調査で巨人に上半身を喰いちぎられ下半身だけが地上に落下する光景を目の当たりにしました。ちょうどあなたと同い年くらいの女性兵です」などと私の目を真っすぐ見つめながら告げてくる。
何となくだが兵士の言いたいことがわかった。ようするにもっと自分を大切にしろと、そう言いたいのだろう。
上半身を喰いちぎられるなど私には想像もつかない世界だが、そのような言葉をぶつけてきた心優しい兵士に言い返したい。幼い頃から一人の男に人生を振り回されて育ってきた私の気持ちがわかるか、と。
それを言葉にするだけでも嫌なので、結局は返事の一つもせずに黙り込んでしまったのだが。

夜、兵士と入れ替わりで仕事を終えたリヴァイが部屋へと帰ってきた。今、扉前の廊下で何やら兵士と話をしている。おそらく私が花瓶を割った報告をしているのだろう。
今夜も殴られるのかと枕に顔を埋め重い溜め息を吐いていると、リヴァイが部屋へと入ってきた。
いつもなら仕事から帰ってくると何をするにもまずジャケットを脱ぐはずなのに、今日は懐のポケットを探りながら私のいるベッドへと一目散に歩み寄ってくる。ベッドの真横で足を止め、汚物を見下ろすかのような表情をこちらへ向けながら、ある物をベッドへと投げ捨てた。それは小さなナイフであり、思わず凝視してしまう。そんな私に、「死にたいのなら死ねばいい」そう声が降りそそいだ。非情な一言を吐き捨てると、ベッドから遠ざかりジャケットを脱ぎ始める。
(死にたいのなら死ねばいい……?)
身体の底から怒りが湧いた。自分をここまで追いつめた元凶に死ねばいいと吐き捨てられナイフを渡されるなんて。
頭の奥から例の音が聞こえてくる。ぶち、ぶち、ぶち。何かが無残に引き千切られていく。
私はすぐさまナイフを手に取り、ためらうことなく腹部を二度突き刺した。さすがは刃物だ、すんなりと刃の根元まで刺さり見たことも無い大量の血がごふりとあふれ出す。意識など簡単に遠ざかった。リヴァイがあわててこちらへ近付いて来る姿を目の端でとらえ、この非常事態だが頬がゆるんでしまう。いい気味だ、本気でそう思った。こいつが焦るなんて最高に愉快じゃないか。自分で死ねばいいと言っておきながら……、バカだ。








――手があたたかい。頭が気持ちいい。時に髪を梳いてもらっている感覚が地肌から伝わってくる。
どこからか何度も何度も名前を呼ばれ、その声は耳をくすぐってきた。
あまりにも名前を呼ばれるものだから薄っすらまぶたを開けると薄暗い空間で、「、起きろ、ふざけんな、クソが、、おい、」そうリヴァイの声がすぐ側で聞こえ、何故だかにぎられている手をにぎり返し目を覚ました意思表示をしてみた。呼吸をするたびに腹部に痛みが走り、額に嫌な汗が浮かぶ。
荒くなる呼吸を整えながら薬品の臭いが染み付いているベッド上であることに気付き、リヴァイの部屋ではないことを理解した。

「……リヴァイ、ここ、どこ?」

「ここは医務室だ。てめぇがナイフで腹を突き刺したの、覚えてるか?」

「うん」

「……もし、喋れるなら答えてくれ。そこまで死に急ぐ理由を聞きたい」

死に急ぐ理由とは、つまりは私が自分を傷つける理由ということだろうか。死にたいわけではない、ただ逃れたいだけなのだが。
いいや、これは良い機会かもしれない。今、私が胸にとどめている気持ちをきっちりと伝えてみよう。今言わなければ今後も同じことが繰り返されるに違いない。言葉をかわすことで改善される可能性もある。
リヴァイの反応が怖いが、腹に響かないようゆっくりと小さな声で質問に答えてみせた。
逃げ出しても捕まる、部屋に閉じ込められて、拘束具で手足の自由を奪われ、殴られ、食べ物を拒否したら口に突っ込まれ、生きているのか死んでいるのか分からない日々を過ごすのならいっそうのこと……、そう考えていたら、つい自分を傷つけていた。ねえ、リヴァイは親の真似事をしているんでしょ?お願いだから親の真似事なんてしないで。気持ち悪いよ、やめてよ、耐えられない、と少々嫌味を交えながらも正直に述べた。

「親の真似事?なんだそれは」

「だってリヴァイが、私を躾けるかのように殴ったり、食事を無理にでも与えてきたのはそういうことなんじゃ」

「勝手に決め付けるな。親の真似事などした覚えはない。俺は自分のしたいようにしているだけだ」

「じゃあなに、リヴァイはどうして私を拾ったの。それに、ただ拾っただけの人間を調査兵団の兵舎にまで連れてくるのはおかしいでしょ」

「落ちていたものを拾うのは俺の勝手だろう。答えるまでもない」

「やだ、ちゃんと答えて」

「……なら聞くが、お前、昔から決まった寝言を言い続けていることに自覚はあるか?まあ、寝言だから知らんで当然だがな」

「寝言?私、なんて言ってるの?」

「一人はいやだ、一人にしないで、一人は怖い、一人は嫌い、一人は辛い、一人さびしい、一人は」

「も、もういい……。え、私寝言で、そんな、子供みたいなこと言ってるの?」

「たかが寝言だろうが、お前の一つの本音だと俺は思ってる」

「私の本音?」

「ああ。だから、お前を一人にする気はない」

お前が逃げても必ず捕まえ、頬を打ち俺が側にいることを覚えさせ、一人でカラに閉じこもろうとしても無理に食事を与え、さびしそうな寝顔をしているお前の額にキスをした。俺は自分のしたいようにしているだけだ、そうリヴァイは言い切った。
私の寝言を真に受けて、一人にしないために今までずっと行動していた……?今の話だとリヴァイの超絶なる不器用な優しさが全面に表れているとしか思えない内容で混乱してしまう。今までの異常なまでの行動は、全て優しさということだろうか。

「あの、じゃあ、私にナイフを渡したのはどうして」

「いざ刃物を見たら怖気づく思っていた。怖気づくぐらいなら自分を大切にしろと叱ろうとも考えていた。刃物を自分に突き立てる奴はそうそういない。だがお前は本気だった。腹に傷が残ったら俺の責任だ」

「……ナイフがなくても、ガラスの破片で同じことをしていたと思う。花瓶を割ったのもそう。今のままじゃ私は今後も同じことをするかもしれない」

「自ら死ぬってのか?俺を睨む目はいつも生きているがな。よく分からんクソガキだ。一人が怖いくせに」

「睨みつけていたのは、それだけリヴァイに抵抗があるってこと、わかって。それに、もうガキって年齢でもない」

「十分ガキだろ」

「……リヴァイだってガキのくせに」

「待て。俺が、ガキ?」

「だって、その身長……は?え、どうして怖い顔するの」

「そうか、死にたいのなら手伝ってやるぞ」

身長の話となりリヴァイが急に不機嫌な表情をするものだから、変な笑いが込み上げ噴き出してしまった。
呼吸が乱れ腹部に響いたが、一度笑ってしまうとなかなか止まらず、涙まで浮かびあがる始末である。
次第に笑いは収まったのだが、涙は止まらなかった。あふれて、あふれて、こぼれ落ちた。寝ている体勢なので、頬や耳や、あらゆる場所へ流れ落ちていく。手で拭こうとしても腹部に痛みが走り思うように動かせない。すると、リヴァイの手が伸びてくるなり、私の目元を袖口で丁寧に拭ってくれた。とても優しい手付きに一段と涙があふれ出し、逆にリヴァイがあわてだしたので、またも笑いが込み上げてくる。
涙が止まるまで数十分もかかり、リヴァイの袖口は湿りに湿ってしまった。さすがに怒り出すのではないかとはらはらしたが、顔をしかめることもなく通常通りであり安堵の溜息をもらしてしまう。
そこへ勢い良く医務室の扉が開いた。
めずらしくリヴァイが穏やかなのと対象的に、恐ろしい剣幕のハンジさんがずんずんと近付いてくる。
ベッドで横になっている私の隣で立ち止まり、かけていた布団をめくられ腹の傷をまじまじと見つめてきた。更にはフォークで刺した左腕の包帯をはぎ取られ、どのような状態になっているかじっくりと見ては顔を歪ませた。最後には眉を吊り上げ、私を睨みつける。

「ハ、ハンジさん、あの」

「おいハンジ、いい加減にしろ」

「リヴァイは黙っててくれるかな。……ほんっとにもう!」

さんざんリヴァイに殴られて腫れている私の頬を一発だけ打ってきた。初めてハンジさんに打たれた。
直後、腹部より上の上半身を覆いかぶさるように抱き締められ、「のバカ!が傷ついたら悲しむ奴もいるってことを覚えとけ!バカ!っんのバカ!」そう叫ばれ唖然としてしまう。だが、徐々に胸が熱くなり、止まった涙は再びあふれ出した。

「ごめん、ハンジさん、ごめんなさい!」

「……おい、待て。お前、ハンジにはやけに素直だな」

「だからリヴァイは黙ってて!、今度同じようなことをしたら許さないよ。もし約束をやぶったら身動きとれない薬を体内と血液に流し込んで光を遮断した部屋に閉じ込めて可愛くおねだりができたら食事をあげる刑に処してやる……わかった!?それが嫌ならもっと笑顔で日々を過ごしなさい!」

「ひっ、は、はい……」

「あとリヴァイもね、もうを殴るのは絶対に駄目だ。いい大人の男が女の子を殴るなんて。ずっと黙認してたけど、限界!」

「お前も今殴ってただろ」

「女同士はいいの!」

「意味がわからん」

「あのねリヴァイ、言葉だよ、言葉。表情や行動だけで相手に理解しろってのは酷な話だ。だからね、そういうときは言葉を使うの」

ハンジさんは私を抱き締めたまま、言葉はすごい力を持っているんだとリヴァイに言い聞かせ、巨人にも言葉が通じたらどれだけ素晴らしいかと熱弁し始める。そのとき、ふと先日エルヴィンから聞いた言葉を思い出した。
――「リヴァイは心が疲れているのだと、俺は思う。ある意味、病だろう?」
その病の原因は確実に私が大きく関わっているのだと遠回しに言われているように感じた。
私がリヴァイに心を開くことで改善されるのだろうか。一日のうち、一度でも笑顔になる日々が訪れるだろうか。
更にハンジさんの言葉も思い出した。
――「リヴァイをどう思うかは自由だよ。でも、『ありがとう』と『ごめんなさい』はきちんと言える人間になろう」
そうだ、まだ言っていない。お互いすれ違いの連続で辛い方へばかりに感情が傾いていた。
私もきちんと言葉で伝えなければいけない。ありがとうとごめんなさい、両方を言うつもりであったが、今はあえて欲張らず片方の言葉のみ言ってみよう。声を裏返しながらリヴァイの名を呼び、「この前……焼菓子、ありがとう。とっても美味しかった」と弱々しくも言ってみた。
目を見開き黙り込んでしまうリヴァイに焦り、また食べたいのでございます、などと必死に妙な丁寧言葉を絞り出す。
私たちのやりとりにハンジさんは耐え切れず大笑いし始め、私も焼菓子買ってきてあげるからね!と頬をすり寄せられた。そんなハンジさんの首根っこを掴んだリヴァイは勢い良く後ろへ引きはがし、溜め息を吐きながら私の左腕を優しく掴み上げる。どうやら、先ほどはぎ取られた左腕の包帯を巻き直してくれるらしい。

「……焼菓子の他にも美味そうなのがあった。食べたいか?」

「へ……あ、た、食べたい」

「よし、全部買ってきてやる」

「全部?あの、まって、全部って」

「遠慮するな。お前はもう少し甘えるぐらいがちょうどいい」

「甘えるとかそういう問題じゃなくて、その」

「紅茶を淹れて一緒に食べるんだ、いやか?」

「紅茶はわかった、そうじゃなくて全部ってまさかお店の全部ってわけじゃ」

「わかりきったことを聞くな」

少しずつでも心を開く決心はついたが、リヴァイの思考についていけない気がする。
左腕の包帯を巻きながら、「焼菓子と砂糖をまぶしたあれと」などとぶつぶつ独り言を言い始め、そんなリヴァイの姿が面白いのか腹を抱えてハンジさんが床で笑い転げており……なんというか、異様だ。まあ、久々に柔らかい空気が流れていることは実感した。

日々少しずつ増えた笑顔は、腹部の傷を治癒するかの如くいい薬となった。
リヴァイに渡されたナイフだが、わざと内臓にまで行き届かない小さなナイフを選んだらしく、おかげで命拾いしたらしい。結局リヴァイは最悪の事態を計算した上での行動だったのだ。後々聞いた話なので、怒りも湧かなかった。とはいえ、ナイフを突き刺した部位が首や手首でなく腹で良かったともつぶやかれ、ハッとした。もし助かるすべのない部位から血が噴き出していたら、今ごろこの世にいなかっただろう。最悪の事態を想定すればするほど恐ろしくなり血の気が引いていく。お互いの顔を見合わせ溜め息をもらしたのは言うまでもない。どっちもどっち、というやつだろうか。

医務室からリヴァイの部屋へと戻った日、私はあることを提案してみた。部屋にベッドを二つ置かないか、と。
いつもリヴァイは座ったまま眠る姿が印象的だが、健康上にはよくないと私でもわかる。だからと言って一つのベッドで二人が眠るには狭すぎる。
リヴァイは私の提案を受け入れ、翌日ベッドが運び込まれた。
元より置かれていたベッドの真横にぴたりとくっつけられたもう一つのベッド。近すぎやしないかと反論したが、「眠るとき、近くにいた方がさびしくないだろ」さも当然のように言い返され何も言えなかった。心の奥底で、その一言をとても嬉しく感じたのは自分だけの秘密にしておく。

これがリヴァイと心を開くまでの記憶だ。
今後生きていく中で大切な皆と関わり、無数の記憶が残っていくのだろう。

第一歩を踏み出そう。
試練ともいえる人生は、これから始まるのだ。









*END*










-あとがき-
記憶第七話、ご覧いただきまして誠にありがとうございます!!
過去編の最終話でございました。
最初は三話ぐらいで落ち着かせようと考えていたのですが、まったくもって収まりきらず七話まで引き伸びてしまったという能無しです。
とはいえもっと書きこみたい箇所が四か所あったのですが、しつこすぎるかな、との気持ちもあり削りました。
そのへんは、いつか短編として書ければいいなと思っています!
ここまできたら過去編よりもっと前の地下街の話も書きたいな……一話完結で(ほんまかいな

最後までお付き合いくださいまして、改めてお礼申し上げます。
今後ものろりのろりですが更新していきますので、宜しくお願いいたします。

2014/10/21 ゆうひgori