シンドリア城 5
私の胸から離れようとしないアリババくんの頭を向こうへ向こうへ押しやっていると、モルジアナさんが現れて簡単にはぎ取ってくれた。
何事かと焦るアリババくんはモルジアナさんの顔を見るなり大人しくなり、ごめんなさいごめんなさいと謝罪しまくっている。
「アリババさん、何考えてるんですか。自重してください」
「つ、つい興奮しちゃって……今後気をつけます」
アリババくんってモルジアナさんに逆らえないんだ。へえ、覚えておこう。
それより、と言葉を続けるアリババくんは真剣な顔付きになる。
「マスルールさんは上手くやり過ごせたか?」
「はい。でも安心はできません。今も探しています」
するとモルジアナさんは私に近付き、先ほどは放り投げてすみませんでした、と頭を下げてきた。
その姿勢に感激した。アリババくんとは大違い!なんて礼儀正しい女の子なんだ!
もう済んだことだし気にしないでね、そう言葉を返すと控えめな笑顔を見せてくれた。くぁっ!可愛いなこの子!!!
そんなモルジアナさんの足を見て驚いた。小さな傷が無数に刻まれ、薄っすらと血が浮き出ている。
「足、たくさんケガしてるじゃない!」
「こんなの平気です。そのうち治ります」
「ここに座って。 座 り な さ い 」
無理に座らせ、懐に入れていた布で血を拭きとった。ああ、キレイな足なのに、こんなに傷をつけて。
よく見ると生傷よりも古傷が圧倒的に多く刻まれているではないか。古傷の上に古傷が重なり、腫れあがっている箇所も多い。
どういう人生を歩んできたのかは知らないが、苦労を重ねてきたに違いない。
脹脛(ふくらはぎ)から太ももへ移動すると、モルジアナさんは股をぎゅっと両手で隠し足を閉じた。いやいや、女同士なのにそこまで恥ずかしがる必要はないでしょう。
「……あの、もういいです」
「駄目だよ、太ももからも血が出てるじゃない。恥ずかしがることないよ」
「いえ、そうではなくて」
そんな私達のやりとりを見てクスクス笑うアリババくん。何が可笑しいんだ。
そうか、アリババくんがいるから恥ずかしがってるんじゃないの!?
「アリババくん、ちょっと向こう行ってて!モルジアナさんが恥ずかしがってるじゃない」
「さん違うって。モルジアナは男だから」
「……はあ?」
「元は女だけど、呪いで男にされたんだ」
「へ、それ本当なの!?」
モルジアナさんに聞くと、顔をうつむかせ微かにうなずいた。
もう、怒りしか湧いてこない。こんなにも可愛い少女になんてことをするんだ悪趣味魔法使い野郎め!!
即座に足から手を引き、謝罪した。呪いに気付かず嫌な思いをさせてしまった。早く呪いを解いてあげないと。
「モルジアナさん、そのふざけた呪い私が解いてもいいかな?」
「はい。あなたがアラジンの呪いを解いたとアリババさんから聞いて、解いてもらおうと考えていました。ありがとうございます」
それなら話が早い。
少し我慢してね、そう断りを入れ抱きしめた。するとモルジアナさんの体が震え出し、私の体を抱き返してくる。
ん、怖いのかな……?子供をあやすように背中をポンポン叩きながら耳に噛みつこうとした。すると抱き返してきた腕が私を痛いほどに締め付け地へめり込むように押し倒された。
叩きつけられた背中から砕けるような痛みが全身へ広がり、声を上げることさえできない。
「モルジアナ!お前、なにしてんだ!」
「ハァ……っハァ…わ、わかりません、体が勝手に、うぅ熱い……っハァ」
「これも呪いか!?モルジアナ、落ち着け、さんはお前の呪いを解いてくっ」
アリババくんがモルジアナさんの腕を掴み止めに入ったが、その腕によって吹っ飛ばされた。
王宮の壁に激突し、そのまま力なく地へと倒れる。アリババくんの名を何度も叫んだが反応は無かった。
その間にも乱暴に私の服を鷲掴みにし、力を込めてくる。やめて、そんな声は服の破れる音で阻止された。
モルジアナさんの血走った目からは涙があふれて、こぼれた。
「手が、体が勝手に……スミマセンッ、スミマセン……」
「大丈夫、こんなの何ともないよ、モルジアナさん、呪いに負けないで!」
逃がさないようにと私の体を押さえつける力は、すさまじいものだ。
押さえつけられている箇所は骨が砕けたのか、ただ麻痺をしているだけなのか、もう感覚がない。とにかく圧倒的な力の差にどうすることもできない。
ただ抱きしめて耳を噛めば呪いが解けるのに、そんな簡単なことさえできないなんて非力もいいとこだ!
モルジアナさんの分厚い手が愛おしそうに私の顔をなでてくる。どうすればいい、考えろ、考えろ!!
「モルジアナ、そこまでです」
その声と同時に、モルジアナさんの体を黒いヒモのようなものが何十にも締め付けた。後ろから現れる一つの人影。人影から伸びてきた手はモルジアナさんの首元を直撃した。私の体を押さえつけていた力は弱まり、覆いかぶさるように倒れ込む。
「え、モルジアナさん?モルジアナさん!?」
「心配はいりません。気を失っているだけです。さあ、今のうちにモルジアナの呪いを解いてあげてください」
言われるがままにモルジアナさんの体を抱きしめ、耳に噛みついた。すると苦しそうな表情から安らかな表情へ落ち着きを見せ、胸元に膨らみが増した。私の顔をなでていた手も、少女特有のなめらかな手となり地へ横たわっている。呪いが解けたのだと安堵した。
まあ、安堵しているのも束の間だ。
先ほどの危機的状況を助けてくれた人影がこちらへ近付き、倒れ込んでいる私を抱き起こした。
大丈夫ですか、などと優しい声をかけてくるその人は、まぎれもなくジャーファル様だった。
月明かりに照らされたジャーファル様は口元を血で汚し、おぞましい姿にしか見えない。
「……地下牢から出て来たのですか」
「ええ、あなたが腕に巻きつく鎖をほどいてくださったので、足に巻きつく鎖は自分でほどくことができました」
「人を食べる呪いをかけられているとマスルール様から聞きました」
「その通りですよ。今の私は人喰鬼です。せいぜい気をつけてくださいね」
などと恐ろしい台詞を吐きながら、着ていた服を脱ぎ私の胸元へ押し付けてきた。そこで服を破られていたことに気付き、慌てて前を隠す。
女性は大変ですね、と笑顔のジャーファル様に驚いた。地下牢での出来事を忘れたわけではないが、まるで別人のような柔らかい表情に少なからず安心してしまう。頭を下げ、服をお借りすることにした。
「さてさん、一緒に来てください。呪いを解いていただきたい方がいます」
「どこへ行くのですか?」
「王の元ですよ」
王様!?
先ほどアリババくんから王様へ近付くなと忠告されたばかりなのに。だからと言ってジャーファル様の言葉を拒否する勇気もない。
え、どうすればいいの。
私が固まるように考えていると、ジャーファル様が顔をのぞき込んできた。
「何か気にかかることでも?」
「あ、いえ、王様と、そう!王様とお会いしたことが無いので緊張すると言いますか、怖いと言いますか」
「大丈夫ですよ。優しい方なので怖がる必要はありません。まあ酒癖は最悪最低ですけど。さあ行きましょう」
あの酒癖さえなければ素晴らしい王なのに、とつぶやくジャーファル様は強引に私の肩を掴み歩き出そうとする。
一歩一歩進むごとに焦りが増すばかりだ。アリババくんのあの台詞が何度も頭の中で再生される。
『誰かの体をしぼって血を抜き取っていた』
王様、一体どんな呪いにかかっているのさ!?ああ、嫌な予感しかしない。
忠告を受けながら何の計画も無しに王様の元へ飛び込んでいいのだろうか。いいわけないだろ!!ただでさえ私は非力なのに!!
よし、決めた。この場を逃げよう。
肩を掴まれた状況でジャーファル様から逃れるには、まず話をそらす所からいってみようか。
「……あの!王様の元へ行く前にジャーファル様の呪いを解かせてください!」
「いいえ、遠慮します。王より先に呪いを解いていただくなど、心が痛いです」
素直に解かれとけよ!!!と心の奥底で毒づいたことは封印するとして。
そう簡単にはいかないよね。次だ、次の話題。
「それじゃあ、モルジアナさんとアリババくんをベッドへ運んであげたいのですが!あのまま外で寝かしておくのはちょっと……」
「あとで私がしておきます。まずは王の元へ行きましょう」
「私ノドが渇いてしまって、お水を飲みに行きませんか?」
「飲み物でしたら王の部屋にいくらでもあります」
「そう言えば、私王宮へ入ったの初めてで!もっと見て回りたいな〜なんて」
「なるほど、王と会うのが嫌ですか」
「い!いやいやいや!そういうわけじゃ…………はい、嫌です」
言ってしまった!でもこれでいいよ、嘘をついた所で逃れる術は無い。
はあ、と溜め息をこぼすジャーファル様は歩む足を止めた。そして私と向き合い体勢をかがめる。
「とりあえず、逃げれないように足からいくか」
「え?」
「さん、隙あらば逃げようと考えているでしょう。厄介事は前もって阻止しておこうと思いまして」
「阻止って、待って、待ってください、足からって、足をどうするつもりですか」
「ちょうどお腹も空いてますし、食べようかと」
「私の足を?」
「ええ、そうですよ」
非現実的な会話を平然と笑顔でされるものだから混乱してきた。
足ね、ジャーファル様は私の足を食べようとしているのね。足が最高潮に危険だということは理解できた。
これはもう、イチかバチかで走って逃げるのが賢明かもしれない。すぐに捕まる予想がつくけど!!
それでも、と覚悟を決め思いっきり地を蹴った途端に足首を掴まれて盛大に転んだ。くぅぅぅ捕まるの早っ!!!!
「ほら、逃げようとする」
「痛ぁぁっ!!顔面打ったじゃないですか!!」
「先ほどよりまともなお顔になりましたね」
「それどういう意味ですかっ」
冗談で言っているのか、本気で言っているのか全く真相が読めない。
ジャーファル様って、もしかして性格悪いのかな。いやいや、呪いのせいかもしれないし。
「さて、あなたに選択する権利をあげましょう」
「はい?」
「二択です。大人しく王の元へ行くか、私に足を食べられるか。さあ、選んでください」
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