純血人生




裏側◎足と首に




上官の立場になると、食事をとる時間帯が不規則になってくるものだ。
部下達と同じテーブルで食事を済ませるときもあれば、先に食べているよう指示を出すときもある。
本日は、二人の上官が夕食を先に食べているよう部下達に指示を出したようだ。
誰にも邪魔されず打ちこむ時間が必要なのだろう。
一人は研究結果の見直しと更なる追求を、もう一人は厩舎の汚れた箇所の掃除に励んでいた。

数時間後、分厚い資料を片手に持つハンジが、研究室にかかっている時計を見上げた。
時間を見るなり小さな悲鳴を上げ、あわてて資料を閉じては食堂へと走る。
ある時間帯を過ぎると食事を片付ける決まりがあるのだ。ようするに、片付けられる前に食べておかないと朝まで空腹のまま過ごさなければならない。
(ああもう!先に食べておくべきだった!)いつもハンジはこう思うが、いっこうに改善されないでいる。
食堂へ到着すると、まだランプが点いていた。誰かがいるようだ。
誰か、といってもこの時間に食堂を利用する人物は限られてくる。おそらく、エルヴィンか、ミケか……。

「リヴァイ、お疲れ!今から食事?」

「……見れば分かるだろ。いちいち聞くな」

「その格好、もしかして今まで掃除してたの?」

「ああ、そうだ」

「へえ、感心感心!今度さ、研究室の掃除してよ。もうホコリだらけで!」

「自分でやれ」

「ええ!?ひどい!」

他愛のない会話をしつつ食事をテーブルへと運び、二人は向き合って座る。
夕食のメニューは野菜がたっぷり入ったスープとパン、この二つだ。決して贅沢のできない兵士にとって、野菜のスープはご馳走である。
ハンジは冷えたスープをスプーンですくい、口の中へと運んだ。様々な野菜の味が口内を広がり、自然と笑みが込み上げてくる。
温かかったらもっと美味しかっただろうな、とスープから湯気の出る様を想像しながら飲み込むのであった。
一瞬でスープが温まる機械とかあったらいいのにね、そうリヴァイへ話しかけたところでハンジは首をかしげる。
何故かリヴァイは食事を口にせずハンジを見つめていた。いや、睨んでいた。眉間に深くシワを寄せ、いかにも不機嫌という面構えだ。
正面でそんな顔されたら食事が不味くなる!などと遠慮もせずにハンジが文句を言うと、リヴァイは片手に持っていたスプーンをテーブルへ置き、ゆっくりと腕を組む。

「おい……てめえ、クソメガネ。最近いつ風呂へ入ったか記憶にあるか」

「風呂?えっとね、四日前だったかな?なに、また私から異臭がする?」

「異臭もするし、外見も相当だぞ。今日は必ず風呂へ入れ、いいな」

「はいはい。気が向いたら入るよ」

「待て、俺は必ず入れと言ってるんだ」

「ああもう、分かった!分かったから、巨人の話をしよう!」

「なんでそうなる」

淡々とハンジから発せられる巨人の知識の数々。
一つ一つ聞いていると頭がおかしくなるような内容に、リヴァイの食欲は失せて行く一方であった。
これでもかと呆れる表情を浮かばせるリヴァイは、ハンジの存在を無視するべくパンを小さく千切り、口へと運ぶ。
そこへ、静かな足音を立てながら長身の男性が食堂へと入って来た。
ランプの灯るテーブルへ寄って来る人物は、団長という偉大な階級を背負うエルヴィンだ。彼もまた上官ゆえに食事を後回しにする日が多い。
ハンジは巨人の話を一度区切り、エルヴィンに今から食事か問うと、彼は首を横に振る。

「食事はもうとったよ。俺は二人を捜していたんだ」

「私達を?」

「そう、これを見てくれ」

片手に持っていた一冊の本をテーブルへと置き、ページの折り曲げている部分を開けた。
本と思っていたそれは手帳であり、エルヴィンは一ヶ所を指差す。
二人は指差された箇所をのぞき込むと、「が兵舎へ来た。さあ、どうしたものか」と記入されてあった。

「なにこれ、が兵舎へ来た日ってこと?」

「ああ。片付けていたら昔の手帳が出てきてな」

「ていうか、この手帳……うわあ、ほぼ日記化してる!」

ハンジがページをめくると、「今日はがたくさん笑った」「頭を撫でたら意外にも嫌がらなかった」「悲しそうな表情をするので抱きしめてやった」など、びっしりと子育て日記のようにエルヴィンの達筆な字で書き込まれている。
は地下街から兵舎へ来た日より、とある理由でリヴァイと離され、一年間エルヴィンと共に生活をしていた。その頃の記録だろう。
横から目を細めて手帳を睨みつけるリヴァイに気付いたエルヴィンは乾いた笑いをしぼり出し、逸れた話を元へと戻した。

「まあ、その、他はあまり見ないでくれるか。それより、が兵舎へ来た日だぞ、記念日だと思わないか」

「……記念日、か」

「ちょうど明後日が偶然にも記念日の日だろう。祝ってやりたくてな」

「お、エルヴィンったら、いつもは女性に無関心なくせに!」

ハンジが茶化す間に、リヴァイの鋭い眼光は手帳からエルヴィンへと移動していた。
エルヴィンは長年の経験から、長居はしない方がよさそうだ、と頭に浮かぶ。
さっさと手帳を閉じ、「と親しい二人に伝えたかったんだ。食事中に失礼したな」そう笑顔で告げ、食堂を後にした。

「記念日だってさ。どうする、リヴァイ」

「……知るか」

「ふーん。さて!巨人トークの続きね、えっとどこまで話たっけ」

「話は終わりだ。先に部屋へ戻るぞ」

「そんな!これから盛り上がるところなのに!」

いつの間に食べ終えたというのか、使用した食器を素早く片付け、リヴァイも食堂を後にする。
一人となってしまった食堂は、冷めたスープを更に冷たく感じさせる空間であった。
(……記念日、か)
巨人を相手とした気の狂いそうな仕事をしているだけに、心安らげる存在というのは大切にしたくなるもので。
忙しいエルヴィンの心を動かし、何かしてやりたい、と思わせる力。は人を温かい気持ちにさせる特別な何かを持っているとハンジは考える。
そんなに、何かしてやりたい、気持ちがあるのはハンジも同じ。女の子が笑顔になるような、何かを。
千切ったパンをスープに浸しながら、の喜ぶ姿を想像した。












翌日の夜、またも夕食を逃がしてしまうギリギリの時間帯に食堂へと駆け込み、空いた腹を満たしていた。
ただ、本日は研究で遅くなったのではない。表通りに買い物へ出かけていたのだ。もちろん「に何かしてやりたい精神」からの行動である。
食べかけのパンを皿の上へ置き、先ほど購入してきた白い箱をそっと開けてみた。
そこには上品なデザインの黒いクツが納まっており、ハンジはこれでもかと口角を上げる。
、喜んでくれるかな……!)

「何を一人で笑ってやがる」

「へ、うわ!リヴァイ!?」

「てめえ、今何か隠しただろ」

「うん、隠したよ。リヴァイには見せたくない物だからね!」

はっきりとした返答にリヴァイは目を細めるが、さほど気にせず正面のイスへと腰掛けた。
そこでハンジはリヴァイが片手に持つ白い箱に気付き、あ、と声を上げてしまう。
箱の大きさや、横に記されている店のロゴ模様、嫌な予感が頭をよぎった。

「あの、リヴァイ、その箱は何?」

「さあ、なんだろうな」

「なんだろうな、じゃなくて!まさか、女性物のクツが入ってたりする!?」

「……待て、どうして中身がクツだと分かった」

「うわあああああ!最悪だ!」

後ろ手に隠していた箱をテーブルの上へと置き、中身をリヴァイに見せた。
へプレゼントしようと思って購入してきたの、と黒いクツを取り出しては頭をうな垂れさせてしまう。
しかしこれだけでは終わらない。偶然とは重なるもので、次はリヴァイが驚く番であった。

「おい、クソメガネ。まさか俺の後を尾行してたんじゃねぇだろうな」

「は?リヴァイの尾行?するわけないでしょ。時間がもったいない」

「なら、どうしてデザインまで同じなんだ、理由を言え」

リヴァイも箱のフタを開け、中身をハンジに見せつける。
それはハンジの持つクツと全く同じデザインと色であり、まさに二人して唖然の展開だ。

「うそ……デザインまで同じなんて……くく、あはは!あー!可笑しい!ここまでかぶるなんて」

「……こればかりは、どうしようもねぇな」

二人は話し合った結果、同じ靴をそれぞれプレゼントするのも可笑しな話なので、片方ずつに気持ちを込めることにした。
右足はハンジ、左足はリヴァイ、と。
明日の朝、の寝るベッドの横へ新しいクツを置いておこう、そのような計画まで立てる始末だ。
ハンジは右足のクツを頬へすり寄せ、リヴァイへと渡す。気持ち悪いことしてんじゃねぇ、などと罵声が飛んできたが無視である。
右足のクツを受け取ったリヴァイは、自分の持ち合わせている右足のクツを取り出し、ハンジの物と入れ替えた。

、驚くかな!起きたら新しいクツが置いてあって……、とか笑顔で言ってさ!」

「うるせぇ、勝手に盛り上がるな」

「だって、の喜ぶ姿が見たい!」

「……部屋へ戻る」

「は?まだご飯食べてないでしょ?」

ハンジの言葉に返答することなく、箱を抱えたリヴァイは食堂を後にした。
お腹空かないのかな、と少なからず心配をしたが、リヴァイのことだ、食事より大切な何かがあるのだろう。
虚しくも左足のみ残されたクツを眺めながら、ハンジはパンを口の中へと放り込む。
(……明日、楽しみだな。そうだ、部屋の前で待ち伏せしよう!)












翌朝、ハンジはリヴァイとが生活する部屋前で待ち構えていた。
この扉が開かれたら、が新しいクツを履いて出てくるはず、そう心を躍らせながら。
待つこと三十分、やっと扉が開かれたと思いきや、出てきたのはリヴァイであった。

「なーんだ、リヴァイか」

「てめえ、なんのつもりだ」

の姿を一目見たくてね、待ち構えてるんだ!」

「……朝から暇な奴だな」

「そういうリヴァイもここから動かないつもりでしょ」

「分かりきったことを聞くな」

「ね、ちゃんと新しいクツをベッドの横へ置いてくれた?」

「ああ、古いクツを片付けて、新しいクツを置いてきた」

リヴァイの返答にハンジの心臓は高鳴る。
(早く、早く姿を見せて、!)

リヴァイが部屋から出てきて二十分が経過した時、兵舎に取り付けられてい鐘が鳴り響いた。
この鐘は兵舎内で生活する者にとって仕事開始の合図みたいなものだ。
部屋の中であわただしく走り回る音が聞こえ、ハンジは頬を緩ませる。さて、そろそろ出て来る頃だろう。
案の定、部屋の扉は開き、が姿を現した……が。
の足元を見て、「あれ、あれ!?」と焦る声を発してしまう。何故なら、新しいクツではなく、今まで履いていたクツを堂々と履いていたからだ。
喜んでもらえなかったのだろうか、趣味ではなかったのだろうか、気に入らなかったのだろうか、迷惑だったのだろうか、などと様々な気持ちが浮かんでは胸が痛みだす。
廊下へ崩れ落ちてしまうハンジの横で、リヴァイとが言い合いをしている。
その間に、履き慣れてるから、との言葉が聞こえハンジは肩を落とした。どうやら新しいクツは必要とされていなかったらしい。
仕舞いにはは逃げるように走りだしたので、つい、「待って!」と呼び止めたが、困った表情を向けるだけで止まってはくれなかった。
これは予想外の事態である。
リヴァイは舌打ちをし、ハンジは廊下へ崩れ落ちたまま目に涙を浮かばせていた。
そこへタイミングが良いのか悪いのか、エルヴィンが通りかかり、妙な空気を放つ二人へと声をかける。

「おはよう、二人共。どうした、朝から廊下で」

「エルヴィン……今日はの記念日なのに、私達ったら……」

「なんだ、何かしたのか?」

「クツをプレゼントしたんだけど、気に入ってもらえなくてね。履き慣れている方がいいって言われちゃったよ」

がそう言ったと?」

「間違いなく聞こえた。もう、笑っちゃうよね。昨日食堂でさ、私達のプレゼントが全く同じことが発覚して。右足を私、左足をリヴァイと入れ替えまでしておいて、結果がこれだ」

「プレゼントがかぶるとは……。なるほどな。ただ、はそのようなことを本心で言う子ではないと思うぞ」

「……え」

「よし、二人は執務室のソファー裏に隠れていろ。俺がを連れてくるから、気付かれないようにな」

「はい!?待って待って、を連れてきて、どうするの?」

「俺が話をする。その会話をじっくり聞いていればいい」

エルヴィンのセリフに、口をきこうともしなかったリヴァイまで目を見開いた。
戸惑うことなく、の元へ行ってくる、とひらひら手を振るエルヴィンはその場を立ち去る。
半信半疑ではあるが二人は目を見合わせ、今の状況が少しでも良い方向に向くのなら、そう意志を通じ合わせた。
念のために部屋から新しいクツを持ち出し執務室へと足を進める。

無言で廊下を進んでいる最中、リヴァイは鼻をすするハンジに小さな白い布を差し出た。

「……ん、なに?」

「泣いてんじゃねぇ、うっとうしい。拭け」

「り、リヴァイが、優しい!」

「いつもうるさいてめぇがメソメソしてると調子狂うだろうが」

「ひどいな!私だって落ち込む時もあるんだよ!」

「あと、あいつに悲しそうな顔を向けるなよ、絶対にだ」

「それは分かってる」

言い合いをしている間に執務室へと到着し、二人はエルヴィンの指示通りソファーの裏へと隠れた。
いつ来るか分からない緊張に息をひそめていると、間もなくして扉は開かれる。
(……来た!)
しかし、中へ入って来る足音は一つだけだ。
二人は首をかしげていると、「はもう少ししたら来るぞ」とエルヴィンがソファーの裏へ顔をのぞかせてきた。

「ぎゃあああ!びっくりした!」

「クソメガネが……耳が痛い、叫ぶな」

「ごめんごめん!エルヴィン、驚かさないでよ!」

エルヴィンの話によると、洗濯物を片付けてからは執務室へ来るとのこと。
二人は緊張の糸を切らせ、束の間の休息のように一息吐きながらソファーへと腰掛ける。
しばらくすると、扉をノックする軽い音が部屋に響いた。
(今度こそ、来た!)
あわててソファーの後ろへ身を隠し、エルヴィンは二人が隠れたのを確認してから扉を開け、を中へと招き入れる。
(あ、入って来た…………)
(興奮するな、息を止めろ、存在感を消せ。そう言えば風呂には入ったようだな、褒めてやる)
(それ今言うこと!?)
次第にはソファーへと近付きゆっくりと腰を下ろす。その隣にエルヴィンも腰掛け、ついに会話が始まった。

「先ほどな、リヴァイとハンジの様子がおかしかったもので話を聞いたらの名前が出てきたんだ」

「あ……」

「新しいクツより履き慣れているクツの方が良いと、そう言ったそうじゃないか」

「あの……あとで、謝罪しにいこうと考えていたところで」


謝罪しにいこうと考えていた、そのセリフにハンジは再び涙を浮かばせる。
考えてくれていたんだ、と感激の嵐に陥り、何とも言えぬ感情が湧きだすのであった。
更には、リヴァイとハンジの存在が大切か、とのエルヴィンの問いには即答で、もちろんだよ!そう答えた。
これにはリヴァイも反応したらしく、片手で口元を押さえハンジに顔が見えないよう背けてしまう。
新しいクツも、これから履き慣らしていくと聞こえてきた。
ハンジは我慢できず立ち上がろうとしたところで、エルヴィンから、「……らしいぞ、良かったな二人共」と声がかかり、遠慮なく姿を現す。
まさか二人がソファーの後ろに身をひそめているとも知らず、は口を開けて唖然とした表情を数秒間浮かばせた。
その後は部屋より持ち出した新しいクツを有無を聞かずに履かせ、部屋の中を歩いてもらい、二人は満足げにの姿を眺める。
エルヴィンもプレゼントを用意していたらしく、の首元へネックレスをつけて見せた。
足元は新しいクツを、首元は輝くネックレスを。
ハンジはの全身をふと見た時、失礼ながらそれらを鎖に繋がる拘束具に置き換えて想像してしまい、ハッとする。
(……私達にとらわれているみたい、なんて)
でも、それはそれで良いとも思ってしまうのは異常なのだろうか。
がいてくれたからこそ、今まで何度も笑顔になれた、立ち直れた、元気をもらえた。これはまぎれも無い事実だ。

(そうだ、次は手首にブレスレットをプレゼントしないと!)

これからもそばにいて欲しいとハンジは願うのであった。









*END*









-あとがき-
「足と首に」怪しげなタイトルを名付けた理由……それはハンジさんの少々よこしまな気持ちが含まれていたという企みです。笑
そのうち「足と首と手に」なりそうですが……!おい
裏側をご覧くださいまして、ありがとうございました!