何が悪い




隠しごとをする理由は様々であるが、あの人の場合は優しさだと言い切れる。

二日前、巨人化による実験が行われたのだが、実験が終了してからというもの、オレは丸一日眠り続け今朝目を覚ましたところである。
目を覚ました途端にベッドの横で待機していたハンジさんが、気分はどう!?身体に痛みはある!?実験中の記憶は!?と激しく肩を揺さぶってきたもので、頭がぶっ飛びそうになったのは言うまでもない。
付き添いのモブリットさんが止めてくれたおかげで何とかその場は収まったが、ハンジさんの奇行的行動には未だに慣れないでいる。
ふらつく頭を片手で支える素振を見せれば、成果は何も得られないまま実験は終了したと厳しい報告を聞かされた。
更にハンジさんは言葉を続け、巨人化実験の最中にリヴァイが負傷した、と淡々と告げてくる。

――兵長が、負傷?

眠気の残っていた頭は一気に覚醒し、何故負傷したのか言葉を噛みながら理由を問えば、「私の持っていた薬品が不意にリヴァイの顔と手にかかってしまってね」そう辛そうな表情で答えてくれた。
巨人化実験中の負傷とはいえ私の不注意から起こった事態だ、すまない、と言葉を付け加えるハンジさんは大きな溜め息を吐く。

「あの、今兵長は」

「ああ、部屋で大人しくしてる」

「部屋ですか。では、様子を見てきます。目を覚ました報告も兼ねて」

「助かるよ。ちょうどね、エレンが目を覚ましたらリヴァイの世話を頼もうと思ってたんだ」

「は?世話、って」

「本人に会えば分かる」

まさか、世話が必要なほどに大きな負傷をしてしまったのだろうか。もしそうならば大変だ、ベッドの上で呑気に会話などしている場合ではない。
あわててベッドから起き上がり、寝巻のまま靴も履かず素足で部屋を飛び出た。
廊下を掛けながら最悪の想像ばかりが浮かんできては、上官が大変なときに丸一日寝ていた自分を責めてしまう。
(部屋で大人しくしてるってことは、寝てなくちゃ駄目なほど……ああ、くそ!)
目的地である兵長の部屋前へ到着し、ノックをすることも忘れ、ドアノブをもぎ取る勢いで扉を押し開けた。

「兵長!大丈夫で……すか、って、え、な、なにして」

「……あ?その声、エレンか」

顔面を床にこすりつけるかの如く姿勢をかがませ、片手に持つ雑巾で拭き掃除をしているのはまぎれもなく兵長である。
ハンジさんの言っていた負傷の意味が理解できず、頭の周りにハテナが浮かんでしまった。
すると兵長は重々しい素振りで立ち上がり、ゆっくりとした足取りでこちらへと歩み寄ってきた。
目の前まで来ると、何故かこれでもかと目を細めオレの顔を睨み上げてくる。そのまま兵長の視線は首元へ移動し、続いて腕、背後へ回り込み服を捲し上げられ背中まで。さながら身体確認を受けている気分であった。

「あの、兵長?な、なにしてるんですか?」

「気にするな」

「いや、気にするなと言われても」

「うるせぇな……待て、おい、その足はどうした」

「足ですか?別にいつも通りですが」

「違う、何故素足かと聞いているんだ」

「ああ、兵長が大変だと聞いたので部屋を飛び出してきて……はっ!しまった!す、すみません!」

今、兵長の考えていることが手に取るように分かる。クソ汚い素足で俺の部屋に入ってんじゃねぇ、間違いなくこれだ。
素早く廊下へと退散したが、手招きをされソファーに座るよう指示が出た。とはいえ、部屋へ入っていいものか躊躇していると、グズ野郎が、などと罵声なのか怒声なのか分からぬセリフが飛んできたので、あわててソファーへと駆け寄る。
ソファーへと腰掛ければ、兵長が真正面で床にヒザをつき、オレの右足を持ち上げた。何をするのかと思いきや、真っ白な布で丁寧に足裏を拭かれ唖然である。
布が汚れることに気が引いてしまい足を少々ばたつかせてしまうと、兵長は無言のままこちらを睨み上げては、恐怖でカチンと固まったオレの足を鷲掴み再び拭き始めた。……そこであることに気付く。
顔の側へ足を近付けすぎではないだろうか。兵長の顔とオレの足裏、距離は二十センチも無い。まさか、臭いまでかがれているのでは、と不安になったので、ここは思い切って聞いてみることとする。

「兵長、あの、オレの足、近すぎませんか?そこまで顔の側へ近付けなくても」

「仕方ねぇだろ」

「いやいや、もう少し離した方が」

「見えにくいんだ」

その一言でハッとした。
ハンジさんが言っていた薬品、まさか目にもかかってしまったのだろうか。
もしそうなら、先ほどの床掃除でひどく姿勢をかがませていたのも、オレの顔を目を細めて睨み上げてきたのも、見えにくかった為、ということで理解できる。

「薬品がかかったと聞いたんですけど、そのせいで見えにくいんですよね?」

「薬品?……ああ、そうだ、薬品のせいだ」

「た、大変じゃないですか!」

「落ち着け。これは一時的に視力が低下しているのだと医師から聞いた。三週間もすれば元の視力に回復するらしい」

素足で廊下を走ってくるような奴が俺の心配してんじゃねぇ、と嫌味な口調で言葉を続ける兵長だが、必死に目を細める姿は何とも痛々しかった。
そんな兵長だが会話をしている最中も手を動かし、足指の隙間まできっちりと綺麗に汚れを拭き取られ、終始こそばゆい感覚に震えながらこらえた。
数分かけて両足の足裏を拭き終え、スリッパの上へと置かれる。
即座にソファーから立ち上がり礼を述べ改めて向き合うと、何やら兵長のシャツが傾いているように見えた。
目を凝らして見ると、理由がすぐに分かった。ボタンが一つ掛け違えており、右側の襟は突出し、左側の襟はしおれている。
これは言っていいものか、流した方が良いのか……。額に汗を浮かばせ選択肢に悩んでいれば、兵長は手にはめていた掃除用の手袋を外し始めた。
外す際にほんの少し表情を強張らる様子が見え不思議に思っていると、手袋から解放された手と腕を見て、驚愕してしまう。
なぜなら、指先からヒジにかけて、まるで火傷を負ったように皮膚がただれていたからだ。皮膚がめくれピンク色の箇所もあれば、ひどく変色した紫の箇所もあり透明の液体がてらてらと光って見える。

「へ、兵長……その手、腕も」

「これも薬品がかかったせいだ。気にするな」

「どうして包帯も何も巻いてないんですか?処置しないと!」

「あんな繊維だらけのもの巻きたくねぇ。こんなもん、空気に当てて乾燥させるのが一番だ」

「その考えはおかしいですよ!傷口から菌が入ったらどうするんですか!菌ですよ、兵長の嫌いな菌です!」

「うるせぇな……でかい声だすな」

やはり見えにくいせいか、近距離で目を細めこちらを睨み上げてくるもので、小さな子供が見れば腰を抜かしてしまいそうなほど凶悪な顔となっている。
す、少し離れてください、と困惑した態度で兵長の胸を押し、これ以上言えば機嫌を損ねるに違いないゆえ口を閉ざした。さて、どうしたものか。
指先が小刻みに震えている兵長の手は、どう考えても無理をしている。ハンジさんの言う通り世話が必要な意味がよく分かった。おそらく、この様子だと実のところスプーンを持つのも大変なのではないろうだか。それなのに、床掃除をしていた、オレの足裏をあそこまで丁寧に拭いてくれた……また、無理をしかねない。

――よし、決めた

まずは一言断りを入れ、兵長のシャツへと手を伸ばす。掛け違えているボタンを不器用な手つきではあるが全て直してやった。
兵長は、気付かなかった、と正直に告げ、ばつが悪そうにオレから視線をそらしソファーへと腰掛ける。
一息つく兵長に朝食は済ませたのかと訊ねれば、まだとっていないとのことなので少し休憩した後、二人で食堂へ行くこととなった。
だが、ここでオレは大変な後悔をすることになる。視力の低下がここまで危険なものだと気付かず甘く考えていたせいだ。
部屋を出て食堂へ行くまでの道中、平坦な廊下から階段に差し掛かる場所で、なんと兵長は少しの段差につまずき、十三段はある階段を転げ落ちてしまったのだ。元より備わっている反射神経で頭部を腕でかばい大事にはいたらなかったものの、手と腕のただれた皮膚に廊下に落ちていた細かなホコリがびっしりとついてしまい、こちらが悲鳴を上げそうになった。ある意味、視力が低下していて良かったと思えてしまうほどである。
弱々しく立ち上がる兵長は、右足の打ちどころが悪かったのかバランスを取れず尻もちをつきそうになり、あわてて身体を支えた。
呼吸の荒い様子からオレの焦りは頂点へと達し、真っ白な頭でどうすればいいか考えに考える。
(医療班の先輩に声をかければ、でも、今どこにいるのか分からない。となれば団長のところへ、いいや、団長が困るだけだ。それなら……そうか、ハンジさんだ!薬品にも詳しい!身体の知識もある!)
兵長の肩を抱き、半ば半泣き状態でハンジさんの研究室へと駆け込んでは助けてくださいと柄にもなく叫んでしまった。
状況を理解したハンジさんは即座に兵長を抱き上げベッド……なのだろうか、何やら大きな台の上へと寝かせ手と腕の消毒を始める。

「もう、リヴァイは。あれだけ部屋から出るなって言ったのに」

「そうだったんですか!?す、すみません!オレが食事へ誘って、食堂へ行くことになって、そのときに階段で……」

「自己管理のできていないリヴァイが一番悪い。少しきつめの消毒液かけてやる」

「ええ!?あ、ちょっと待ってください、ハンジさん!」

容赦なく消毒液を浴びた手と腕のただれた皮膚から白い泡があふれ出し、見ているこちらまで背筋が寒くなる痛々しい光景であった。
消毒後にハンジさんは、「弱っている今のうちに」とガーゼと包帯を取り出し指先からヒジまでを見事なほど綺麗に手当てしてみせた。
兵長は何か言いたげな顔をしていたが、黙って処置を受けている様子からして逆らう気はないらしい。
痛めた右足は捻挫と告げられ、小瓶を手渡された。中には塗り薬が入っており、小まめに塗ってやってくれと指示を受ける。
食事も食堂へは行かず部屋でとるように言われたので、まずは兵長を研究室から部屋へと戻し、後ほどスープとパン、そして一杯の水をもらってきた。

「……兵長、食べれそうですか?」

「ああ、適当に食べる」

「では、テーブルの上へ置いておきますね。あと、食堂へ行くとオレが言いだしたせいで……その、すみませんでした」

「エレン、ここへ座れ」

ソファーへ腰掛ける兵長が、自分の隣へ来いと細めた目で合図をしてくる。
素早く歩み寄り隣へ腰掛ければ、全ては俺の不注意だ、そうつぶやき痛々しい手でオレの頭を乱暴に撫でまわしてきた。
頭を撫でられるなど予想外の行動に目を見開いてしまい、妙な気恥ずかしさから顔をうつむかせてしまう。
直後、兵長はテーブルに置かれている食事へと手を移動させた。スプーンを持ち、ゆっくりとスープをすくう。
そのまま口へと運ぶが、力の入れ具合が難しいのか次第に指先が震えだし、テーブルや服の上へとスープが飛び散ってしまった。
オレはあわてて自分の服の裾で飛び散ったスープを拭き取り、大丈夫ですか、と兵長に声をかける。

「……服で拭くな。布巾があるだろうが」

「あ、すみません!つい」

「はあ、もう食事はいい。悪いが片付けてくれ」

「は?全然食べてないじゃないですか」

「ろくに自分で食事もできねぇようじゃ、食べる気にもならねぇ」

「……それなら」

このとき咄嗟に思いついた考えが、オレが食べさせてあげないと、であった。
スープ皿を持ち、スプーンですくい、兵長の口前へと運ぶ。案の定、兵長は顔をしかめこちらを睨んできたが、言ってやった。
食べるもん食べないと、治るもんも治りませんよ!と。言った後で兵長とは違う意味で指先が震えそうになったが、何とかこらえる。
すると、数秒後に兵長は小さく口を開けてくれた。
すかさずゆっくりと口内へスプーンを運んでやれば、きちんと飲み込んでくれた。
結局、パンは残ってしまったがスープは皿一杯分を飲み干す食べっぷりである。
食事をしたことに安心し、食堂へ食器を片付けた後兵長の部屋へ戻れば、何故か割れたカップが床に散らばっていた。
一難去ってまた一難……いったいこの短時間で何があったというのか。
更に驚いたのは、兵長は床にヒザをつき、手探りで割れたカップを回収しているではないか。
あわてて手を取り、破片の散らばる場所から遠ざけた。

「兵長!何してるんですか!」

「あ?紅茶を入れようとしたら、カップを落したんだ」

「……はあ、お願いですからじっとしててくださいよ。右足も捻挫してるのに」

「世話になった分、美味い紅茶を飲ませてやる。待ってろ」

「いやいや、今はいいです。それよりベッドで休んでください」

「俺は病人じゃねぇ」

「そ、それはそうですけど」

再びカップの割れた場所へ行こうとする兵長を止め、こちらでホウキとチリトリを手早く用意し破片を回収した。
あのような包帯だらけの手で破片を触るなど、見ているこちらは冷や冷やものである。
溜め息をつきながら兵長へ視線をやると、震える手で熱湯をポットへ注ごうとしている最中であり固まってしまった。
注ぎ先がよく見えないのか、ポットへ顔を近付ける無茶な様に青ざめてしまう。

「兵長!待ってください!オレがしますから、そこへ熱湯を置いてください!その手に持ってる瓶です!ゆっくりと!」

「湯を注ぐだけだ。これくらいできる」

「言うこと聞いてください!」

兵長は軽く舌打ちをし、しぶしぶ熱湯の入った厚めの瓶をテーブル上へと置いた。目の前の一難は何とか去ったようである。
ソファーに座っているよう声をかけ、兵長の見よう見まねだがポットに湯を注いでやった。
注ぎ方に何か言いたげそうな顔をしているかと思えば、ポットを少し揺すれだの、勢いよく注げだの、案の定注文をつけてきたことに頬が引きつってしまう。
戸棚に並ぶカップを適当に二つ取り出しポットの横へと置くと、何故か兵長はソファーから立ち上がりオレと入れ替わりで戸棚へと歩み寄って行った。
カップが気に入らなかったのか不安になり謝罪をすれば、お前の舌は子供だったな、と戸棚の上段部分を探り始める。
ようするに砂糖を出そうとしてくれている、らしい。だが、次第に背伸びをする始末であり、またしても冷や冷やと嫌な予感が脳裏をよぎった。
念のため、背後からいつでもサポートできるよう構えていると、兵長は奥にある白い瓶を指先で微かに掴んだ。瓶を手前へと引き寄せ後少しで取り出せそうな位置まできたとき、兵長の手がブルッと震えた。その反動で瓶が倒れてしまい、砂糖が兵長の頭上に降り……。
咄嗟に背後から兵長を覆うように抱き締め、自分の頭に瓶一杯分の砂糖が降りかかった。最後に瓶もコツンと。
(……ああ、危なかった)

「おい、エレン」

「あ、すみません!身体が勝手に」

「はあ、どうしようもないな。今の俺は何をするにも足手まといだ」

「そんなことないですよ、いつも兵長は何もかも完璧なだけで」

「砂糖も取れない上官にうんざりしただろ」

「うんざりなんてしてません。それより床が砂糖でざらざらだ。今から掃除します!オレ一人でしますので、紅茶を飲んでいてください!」

くれぐれも勝手な行動をしないよう念入りに注意をし、元いたソファーへと誘導した。
オレが掃除している間、兵長は大人しく紅茶を楽しんでいた。その後も立ち上がることなく掃除が終わるのを待ち、使ったカップを洗ってほしいと頼みごとをしてきたので、ようやく自分の立場が分かってくれたのだと大袈裟に肩をなで下ろしてしまった。

その日より食事となると部屋へ持ち運んでは食べさせ、厳しい言葉を受けながら部屋の掃除を代行で行い、着替えを手伝い、大量の書類整理も言われた通りこなした。
世話というよりも召使いのような立場であるが、それでも兵長に無理をさせるぐらいなら何でもする心構えでいる。
そんな日常が一週間経ち、ちょうど昼食をとっているときであった。

「やあ!リヴァイ!調子はどう!?」

「……うるせぇクソメガネ。食事中だ。帰れ」

「ひっどいなあ、診察に来てあげたのに。て、うわ、なに、エレンに食べさせてもらってるの!?」

「悪いか」

「はは、巨人化もできて、上官の世話もできて、優秀な部下だねエレンは……くそ、リヴァイばっかり」

「今何か聞こえたぞ」

「気のせいだよ気のせい」

ハンジさんは兵長の隣へ腰掛け、指先からヒジにかけて巻かれている包帯をほどき始めた。
一週間も経つとただれた皮膚はほぼ乾燥し、あちこちでカサブタになりかけている。ただ、ぼろぼろと皮がめくれ肌が変色している為、痛々しい見た目は相変わらずであった。そんな肌の消毒をし、透明の塗り薬を万遍なく塗り込むと、再び清潔なカーゼと包帯で皮膚を覆い隠していく。
次に階段から転げ落ちた際に捻挫した右足を診ては、こっちはもう大丈夫だね、と兵長の太ももを平手で一発殴った。

「身体は順調に回復してる。あとは視力だ。一週間前に比べてどう?見えやすくなった?」

「いいや、白くぼやけたままだ」

「そっか。一応今の視力に合わせて眼鏡を取り寄せてみたんだけど、試しにかけてみて」

「眼鏡?」

「そ、眼鏡。眼鏡は経費で落とせるからね」

ハンジさんから受け取った眼鏡を兵長はさっそくかけてみる、が。
何故かオレの顔を見るなり眼鏡を外し床へと投げ捨てた。その一部始終を見ていたオレとハンジさんは、「は?」と声をもらしてしまう。
投げ捨てるなど何かの間違いだろう、そう考え眼鏡を拾い上げようとすれば、近寄ってきた影が勢い良くレンズを踏みつぶした。

「な!へ、兵長!せっかくハンジさんが」

「足がすべった」

「えええ!?今思いきり踏みつぶしましたよね!?」

「うるせぇ、すべったんだ」

オレが驚愕していると、ハンジさんは乾いた笑いをこぼした。そしてこちらへ手招きをし、廊下へと呼び出される。
廊下の壁へ背を預け、ハンジさんは懐よりもう一つ眼鏡を取りだした。先ほど踏みつぶされたもののスペアらしい。
今は眼鏡よりもエレンがいいんだろうねあの甘ったれ、などと言いながらその眼鏡をオレに手渡してくる。

「エレンから渡した方が素直にかける気がするよ。タイミングを見計らって渡してみて」

「わ、わかりました。……あの、ハンジさん」

「ん?」

「兵長にかかった薬品ですが、詳しく教えてもらえませんか」

「どうして?」

「書庫で調べようと思いまして、望みは薄いですが早く回復する方法が見つかるかもしれませんし」

「……んん、まいったな。薬品の種類まで考えてなかった」

「は?」

ハンジさんは頭を抱え、いつか嘘はばれるものだし本当のことを言うべきか、そうつぶやく。
嘘とは何か問い詰めると、兵長に薬品がかかった件は作り話だと告げられた。

「どういうことですか?なら、兵長の視力と手や腕はどうして」

「君だよ、エレン」

「オレ?」

「巨人化実験中にね、予想外な事態が起こったんだ」

巨人化実験の日は風の強い日であった。
エレンと調査兵団の兵士達は十数名で山奥へと向かい、実験が行われた。
今回実験の目的は意思疎通の確認。巨人化したエレンが人間の言動をどこまで理解ができるか、その状態をどれほど維持できるか。
ハンジが実験の主導権をにぎり、昼過ぎ、一回目の巨人化が始まった。
結果、巨人化したエレンは足元をふらつかせ派手に尻もちをついてしまう。そのままの状態よりピクリとも動かず大木にもたれたまま三十分が経過した。
合図もなければうめき声の一つもないので、ハンジの判断により、うなじを切り開きエレンを救出。
救出されたエレンは異常な高熱であり、意識がなかった。それでも三十分後には意識を取り戻し、二回目の巨人化に挑んだ。
だが、結果は同じであり、今回の実験は終了だとハンジが決断した直後、巨人化した身体から勢いよく蒸気が発せられ始める。
更に蒸気は倍増し、気付けば辺りが見えなくなるほどにまで発せられていた。エレン救出為、うなじめがけて皆がアンカーを打ったが、向かい風と激しい蒸気に跳ね返され成す術がなく立ち往生してしまう。その状態が十分続いたとき、急に追い風の突風が吹いたのだ。
蒸気が突風に吹き上げられ、一瞬ではあるがうなじ部分に紫色に変色した背中と尻を露出させるエレンの姿が見えた。
そこで突風の風を利用し、リヴァイが素早くアンカーを打ち、エレンの救出へ向かった。


「そのときにね、あまりの高熱な蒸気に目をやられて、エレンを引っ張り出す際に手と腕がずるむけになっちゃったんだ」

「オレ、を」

「自分がそんな状態になってもエレンの心配をしてたよ。変色していた背中と尻は大丈夫なのかって」

「……そういえば実験後に初めて兵長の部屋へ訪れたとき、身体をあちこち確認されました」

「あんな凶悪な顔をしてても心配性の塊みたいな奴だから。あと本人には口止めされてるから、知らないふりしておいてね」

「あ……は、はい」

苦笑いを浮かべるハンジさんはこちらへ手を振り階段を下りて行った。
(兵長は、オレのせいで……そんな)
気付けば手に力を込めており、渡された眼鏡がミシッとうなった。あわてて力を弱めポケットへと仕舞う。
とりあえず部屋へ戻るべく扉を開ければ、すぐそこに兵長が立っていた。
どう声をかけていいものか分からず困惑していると、兵長はオレの手を引いてきた。そして、あのクソメガネが、と低い声でつぶやきソファーへ座るよう誘導される。

「兵長、今の会話聞こえて」

「丸聞こえだ」

「す、すみません、全てオレが原因だったとは知らず……すみません、すみません!」

「は?意味がわからん」

「もう隠さなくていいですよ。オレの蒸気で兵長の目と、引っ張り出す際に手と腕が」

「俺はお前が謝罪する意味がわからんと言ってるんだ」

「え、あ……え?」

「一つ聞くが、部下を助けて何が悪い」

気にするな、そう言うなりうつむかせていた頭を撫でられ胸が痛んだ。
兵長は厳しい態度の方が多いが、ふとしたときに自分の弱いところを優しく包み込んでくれるような、心優しい人だ。
これからも勝手に助けてやると、嬉しい言葉を付け足され、まるで身体に電流が走ったかのごとく震えてしまった。
この人と出会えてよかった、素直にそう思う。

――ありがとうございます……兵長

目頭が熱くなりかけたところで、タイミング良く耳を引っ張られた。沈んでねぇで紅茶を淹れてこい、と指示を受ける。
ソファーから立ち上がりお湯を沸かしに行こうとしたところで、預かっていた眼鏡がポケットから顔を出した。そこで、兵長に目をつむってくださいとお願いしてみる。
素直にまぶたを閉じた隙をつき眼鏡をそっとかけてやった。目を開けてください、そう笑顔で言うと真正面でお互いの目が合い、何故か兵長は目を見開き固まってしまう。

「なっ……クソが!」

「えええええ!?」

固まった次の瞬間には目を泳がせ、眼鏡を外すなり包帯だらけの手でにぎりつぶしてしまった。
ああ、ハンジさん、スペアの眼鏡も駄目でした……などと言っている場合ではなさそうだ。
にぎりつぶした手のひらにレンズの破片が突き刺さったのか、血が包帯に浮かんできているではないか。
あわててハンジさんの研究室へと駆け込み、助けを呼んだのは言うまでもない。

(オレだって結構心配性なのに!ああ、ったくもう!)









*END*








最後までご覧いただき、ありがとうございます!
こちらは相互サイト様への捧げものとして作成いたしました。
リヴァエレ……ひいいいいい!
愛し愛されて、めちゃくちゃにしてやりたい……と、そこまで奥深いBLは素敵な作家様の作品を拝見することで大満足してしまう性質でして、なんといいますか、自分が書く場合は単にほのぼのとしたBLとなってしまうんです。ようするに根性無しです。
信頼し合うことで気がつけば目で追ってしまうほどガツガツに意識してしまっていた、とかね、もうそんな関係が大好き。大好物。
次はハンエレ+兵長、書きたいです!ギャグで。