純血人生 1






『純血の東洋人』この肩書だけで私の人生は狂った。

両親の笑顔と共に下水の流れる地で生活をしていた、これが全ての始まりだ。
この地に住む者は、布のつぎはぎや、どこからか調達してきた木材などで居住空間を確保しそれぞれの生活をしている。
私たち家族も、白が汚れて灰色になったのか、元から灰色で更に黒ずんだのか、あまり清潔には見えない布で覆われた空間の中で日々を過ごしていた。
下水の臭いに脳が刺激され何度も嘔吐を繰り返す日もあったが、そういう時は必ず両親が優しく背中を撫でてくれるので、あの臭いも嫌いではなかった。
食事は何日かに一度あるか、ないか。それでも父が日々新鮮な水を汲んできてくれるおかげで空腹など何ともなかった。新鮮ゆえに甘く感じる水は私にとって大好物。
まれに居住空間から外へ出て、そのへんに転がっている石で遊んでいると、同じ下水の地で生活をする住人達の会話が聞こえてくる日もあった。
半年前、「俺は世間で人殺しだもんな」などと、恐ろしい台詞を苦笑いで言い放つのは優しい雰囲気を持つ中年の男性だった。
数か月前、「あなたと一緒なら、下水だろうが地下だろうが大歓迎よ」と明るい声で話す女性はとても綺麗な人だった。
いつも下水の流れる側で呆然としている前髪の長い女性に声をかけてみると、「顔を焼かれたの」そう一言だけ言葉が返ってきた。
――皆、何か抱えていた。下水の地は狭いが、何かが凝縮されたように詰まった地だと、子供ながらに感じたのは確かである。
他人ごとのようだが私もこの地に住んでいる以上、何か理由があるのかと、ふと考える時もあった。しかし、両親には聞かなかった。両親の笑顔を見れば不思議とどうでもよくなってしまうのだ。
寝るときは布一枚の布団を三人でかぶり、真ん中で眠る私の頭を父が撫で、母は手をにぎってくれる。ああ、あたたかい。

下水の地が、私の世界だった。

ある日の朝、目覚めると見たこともない薄汚れた木造の天井が視界いっぱいに映った。咄嗟に起き上がり、身をかがめ周囲を確認する。
ベッドの上、狭い部屋、薄暗い明かり、木造の床は渇いた泥が引き伸びたように汚れている。しかもこの部屋、下水とは違いホコリっぽく乾いた臭いが鼻についた。
両親に挟まれて寝ていたはずなのに、薄々ではあるが何かに巻き込まれたのだと当てにならない子供の勘が働く。
すると部屋の外から数人の笑い声と女性の悲鳴が同時に聞こえ、一気に恐怖のどん底へと落ちた。今まで経験したことのない現状に背筋が無数の針に刺されているかのごとくビリビリする。
(……こわい、こわい)
異常に震えている間も女性の悲鳴は激化し、恐怖を倍増させた。
とはいえ、女性が悲鳴を上げているということは、助けを求めている……?
(助けを求めている人がいるのに、ここでじっと悲鳴を聞いているだけでいいのか、何もせず震えているだけでいいのか、いいや、部屋飛び出して助けに行ったところで返り打ちに合うだけだ、でも、もしかしたら助けられる可能性だって、ある、あるよ、きっと)
混乱にも似た意識の中で決意をし、ふと父が狩りに行く時は必ず道具を持って出かけていた姿を思い出した。無我夢中で部屋中を探りに探り始める。道具、そう武器になる物が欲しい。壁に立てかけてある腐った木の棒、朽ち果てたイス、ベッド脇には大きなツボのようなもの、そのツボに無理矢理挿し込まれているホウキ、オノ、小さなスコップ。
一番武器となるであろうオノを手に取ったが両手で持ち上げるのがやっと。これでは駄目だ。続いてホウキ、意外とどっしりしており振り回すなど到底できそうにない、こちらが振り回されてしまう予想がつく。残るは武器となるのか不明な小さなスコップ、こればかりは軽々と片手で持ち上げることができた。
スコップ一つで助けられるのだろうか。……いいや、迷っているヒマはないだろう、大丈夫、スコップは硬い、先も尖っている、十分武器になる。
早速、片手で扉を軽く押し開け、外の様子をうかがった。そこには狭い廊下が続いていた。薄暗くてよくは見えないが、廊下の先に大人の男が何人か立っているようだ。幸い私が扉を開けたことに誰一人気付いていない。
――今だ。
スコップを握りしめ、なるべく足音を立てずに飛び出し、男達の元へ向かった。
何故か男達は私が足元に来ても気付かなかった。ただ一ヶ所を見てニヤニヤ笑っている。何を見て笑っているんだ、男達が邪魔で全く見えない。
私は思い切って一人の男の足へ突き刺すようにスコップを振り下ろした。男は案の定悲鳴を上げ、こちらを睨んでくる。
他の男達も一斉にこちらへ視線を向けてきたものだから、スコップを両手で握りしめ、構えた。しかし、それ以上に私を恐怖に陥れたのは男達に髪を掴まれ体を持ち上げられている全裸の女性が、逃げて、とかすれる声でつぶやく姿。腫れ上がった女性の顔からは涙と鼻水がこれでもかとあふれ出ていた。更に身体のバランスに違和感があり、良く見ると腕と足がありえない方向に向いていることに気付く。
……ただ、ゾッとした。あの黒髪、黒い眼球、肌の色。
間違いなく母であった。
先ほどから聞こえていた悲鳴は母の声だった?毎日聞いていた母の声に、気付かなかった?……違う、自分のことで精一杯になりすぎて気付けなかったんだ。
「地獄」という言葉を聞いたことがある。信じられないほど苦痛な光景を目にしたとき、それは「地獄」だと。まさにそれだ。
一気に頭の血が湧き上がる。
スコップ一本で男達に突っ込み、蹴り飛ばされながらも何人かの足をぶっ刺し、腕が伸びてきたら皮膚を噛みちぎってやった。
足にスコップを突き立てられた奴らは床に尻もちを付きうずくまっている。そのうちの一人はうるさい足音を響かせてどこかへ行ってしまったが、残る二人は今私の目の前で、このガキが!と怒鳴り散らし今にも飛びかかってきそうな剣幕だ。
この二人を倒して早く母の元へ駆けつけたい、床で仰向けに倒れたまま動かない母を、助けないと、助けないと。
頭か額か、どこからか流れてくる血を拭えばノリをつけたかのようにベタベタとし、気をぬいたらスコップを落としかねない。この最悪な状況下で血がべたつく液体だと初めて知った。体中が異常に汗ばむ上に、目がかすむ。狭い廊下に息苦しさを覚えながらも、どうすれば目の前にいる二人を倒せるか必死に考えた。

「さっきからガタガタうるせぇ、どこのクソ共だ」

静かな足音を立てながら目つきの悪い男が階段を下りて来た。最悪だ、敵が増えた。
しかし私の前にいた男二人は、そいつを見た途端に表情を変えて焦りだした。「やべぇ、俺らだけでも逃げるぞ」などと私の存在を忘れたかのように話し始める始末だ。
そんな小声の会話が聞こえているのかいないのか、男は階段を下りながら母を凝視するように見ていた。そのまま母のそばへと寄り、腫れ上がる母の顔へ男は耳を近付ける。数秒後、何故かこちらへ振り向くなり鋭い眼光を飛ばしてきた。それが私の前に立ちはだかる男二人へ向けられたものか、私へ向けられたものかは分からない。
あまりにも昂った衝動というのは抑えられないもので、気付けば走っていた。男二人を押しのけ母に近付くそいつへスコップを振り上げた。だが、いとも簡単に足をはらわれ床に顔をめり込ませながら倒れこむこととなる。母を助けたい一心で起き上がろうとすれば、上から後頭部を踏みつけられた。骨のきしむ音が頭の中に響いてくる。痛いなんてもんじゃなかった、額と鼻が押しつぶされるような感覚に襲われ悲鳴さえ出ない。

「クソガキ、勝手な思い込みで行動するな」

「ぉ……かぁ…さ…」

「少しの間、そこでくたばっとけ」

その後、踏みつぶされる頭の痛みに耐えきれず簡単に意識を手放した。

――これがリヴァイとの最悪な出会い、十年前の話だ。







*NEXT*







-あとがき-
進撃の連載!はじまりはじまり、です!
純血人生ですが、リヴァイをメインとし、エルヴィン、エレン、ハンジ、ナナバを登場させつつ……な妄想で進撃していきます。笑
ぼちぼち更新していきますので、長い目で見てやってくださいませ。