純血人生 11





リヴァイは私の口元から流れた唾液を拭き終えると、おもむろに上着の裾を掴んできた。
反発する暇もなく捲し上げられ腹部の脇を見つめるなり眉間のシワを深くする。
何を見て不機嫌になっているというのだ。視線の先を自分自身でも見てみると、ろっ骨の合間合間に赤黒く痣のように変色したへこみが左右にそれぞれ四つ出来ていた。それを見て、ああ、と思う。先ほどエレンに抱きしめられた際についた指の痕だろう。
ここまで力を込めてしまうほどに思い詰める過去を背負っていると言うのか。それに加えて巨人になれる身体に不安が募っているに違いない、子供ながら良く一人耐えているものだ。
エレンの生き様に少なからず感心の意志を湧かせていると、リヴァイはその場から立ち上がり鉄格子へ近付いた。比例するかのようにエレンは鉄格子から後退し、まるで化け物が目の前にいるような恐怖に満ちた表情を浮かばせ始める。
「何を怖がっているんだ、こっちへ来い」鉄格子の合間から片腕を突っ込み壁の奥にへばりつく部下へ手招きをするリヴァイだが、当の本人は震えるばかりでこちらへは来ない。痺れを切らしたのか仕舞いには「命令だ」と言い放ち、エレンは恐る恐る鉄格子の側へと足を進めてきた。
リヴァイの指先がエレンの体に触れる所まで来ると、すかさず服を鷲掴むなり腕を引く。その反動に足元をすくわれエレンの顔面は鉄格子へと叩き付けられた。
床へ崩れ落ちるエレンの鼻と額からは血が流れ、口内も切ってしまったのか口の端が赤くにじみ出す。しかしそれだけでは終わらない、必死に鼻を押さえる姿など気にすることも無く毛髪を掴んでは無理に立たせ、何故か鉄格子ごと抱き締めた。
途端、エレンは大悲鳴をあげる。腹部の脇にリヴァイの指が喰い込む様子が斜め下からまじまじと見え、あわてて立ち上がり鉄格子の合間へ腕を突っ込んだ。リヴァイの手を上から掴みエレンの体から放すよう力を込めて引くが、ビクともしない。

「おい、邪魔だ。後ろで大人しく見てろ」

「エレンが痛がってるでしょ!」

「お前がされたことを同じようにしてやってるだけだろうが」

「何でもいいから放してあげて、お願いだから!」

「ガキには一度痛みを覚えさせねぇと、また同じことをする。口出しするな」

エレンの顔を見れば目尻から溢れる涙がこぼれ落ち、助けを求めるかのようにこちらを見てくる目と合った。
(……やめて、放してあげてよ!)
エレンは悪気があって私にあのような行為をしたのではない。おそらく思い詰める感情が、ああさせてしまったのだ。それを罰するように痛みを与えるなんて、黙って見ていられるわけがないだろう。
もう一度力を込めリヴァイの手を全力で引いた。放してあげてくれ、と。
そこへ、「何この状況!」そう元気の良い声が地下に響いたかと思えば、扉前で驚いた表情を浮かべるハンジさんがそこにいた。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、小走りでこちらへと駆け寄って来る。

「なになに、泣いちゃって!あら、エレンも泣いてる!?ちょっとその涙採取させて!」

「おい、黙ってろ」

「はいはい、冗談だよ。リヴァイ、何があったかしらないけどやりすぎなんじゃないの」

「うるせぇ、さっさと地上へ戻れ」

「そうもいかないよ。ねえエレン、明日の涸れ井戸での実験だけどさ少し早めに出発しようと思うんだ、早起きできる?」

ハンジさん、この状況で普通に話しかけるとは……さすがと言ったところだろうか。もちろんエレンには返事をする余裕など無い。
そんなやり取りにリヴァイは呆れたのか、それとも気が済んだのか、やっとエレンを解放した。
当のエレンは床へ崩れ落ち、腹部を押さえながら乱れた呼吸を必死に整える。大丈夫であるか声をかければ、申し訳ありませんでした、と弱々しい口調で丁寧な言葉が返ってきた。

「エレンよ、お前は自分の立場を分かっているか」

「……はい、反省します」

「よし、明日の出発は早朝だそうだ。さっさと寝ろ」

そう言い捨て、私の腕を掴むなり地下牢を後にした。ハンジさんが、「後は私にまかせて」とウインクを飛ばしてくるが、あらゆる意味で心配である。扉から出る際、エレンを見れば顔をうつむかせていたので表情が分からなかった。また泣いていなければいいが。
地上へと続く階段を上っているところで掴まれている腕を放せと言わんばかりに振ってやれば余計に力を込めてきた。血流を制限された指先は感覚が無くなっていく。痛いなあ、そこまで強く掴むことないじゃないか。
結局、腕を引かれるがままいつもの部屋へと帰ってきた。空腹などは消えてしまい疲ればかりが押し寄せてくる。
すると、部屋へ入るなり引かれていた腕を勢いよく放り投げられ、咄嗟にバランスを取れず尻を強打する形で床へ着地することとなる。尻に激痛が走り、更にはお手洗いを我慢していたあの腹痛が便乗するかのように再びうずき始めた。何の体罰かと顔を引きつらせていれば、私の体をまたぎ腹部へ腰掛けてきた。潰される感覚に自分でも驚くような汚い声を上げてしまう。よりにもよって何故この体勢!?

「お前、エレンと初対面じゃねぇだろ。どこで会った」

「それより痛い、重い!どいてよ、リヴァイのバカ!」

「いいから答えろ」

「……エレンとは、調査兵団が壁外調査へ行くのを見送りに行った時に初めて会ったの」

「なるほどな。で、俺の勘だが、その額の傷もあいつにつけられたんじゃねぇのか」

本当にリヴァイはどこまでも鋭い。
額にかかる前髪を持ち上げられ、カサブタになっている傷口を指先で撫でてきた。くすぐったい感触に首を振れば、その行動が気に食わなかったのか頬をつままれる。
やはりあの時、隠さずに全て話すべきであった。このまま隠し通す選択肢もあるけれど、やめておこう。これ以上隠し事をした所で良いことなど一つもなさそうだ。
「エレンに暴力したら駄目よ」そう忠告してから静かにうなずけば、呆れるような溜め息を吐かれる。

「お前は俺との約束を破った」

「え……」

「数日前、全て隠さずに話すと言い切ったのは誰だ」

「もちろん、隠さず話してるよ。今回だけだって」

「約束に今回だけもクソもあるか」

確かにそうかもしれないけれど、こちらの気持ちも少しは理解してほしい。
エレンと出会った数日前、あの時彼は訓練兵だった。その為いずれリヴァイのような上官と何がしら関わりがあった際に不都合だと考え言いとどまったのだ。実際、ここまで近しい上官と部下の関係になるとは思ってもいなかったが。そのせいで逆に裏目に出てしまった。
しかし、悔しい。リヴァイが言っていることは全て正論だ。何も間違ってなどいない、結局は私の落ち度である。

「改めて約束するよ、もう何も隠さないから」

「どうだろうな」

「本当だって!」

「……分かった、信じてやる。だが次は無いぞ、いいな」

真正面から鋭い眼光で見つめられ身震いをしてしまった。もし、また同じように約束を破ったら、おそらく私への信用は大欠落するだろう。十分に気をつけなければならない。今後は、どのような些細なことも隠さずに告げるとしよう。だって後が、怖い。
少なからず反省の意志を抱いていると、リヴァイは横へ移動するなり私の体を抱き上げソファーへと運んだ。先ほど投げ飛ばされた扱いが信じられないほどに、優しく降ろされる。リヴァイも横へ座り、「はあ、毎日疲れる」などとつぶやいてきた。
……それよりも、だ。この近すぎる距離感は何、ものすごくせまい。
押しつぶすかのごとく体を密着させ座ってくるものだから何をふざけているのかと少々腹立たしく思えた。反対側は広々とスペースが空いているじゃないか、もう少し離れて座ってくれてもいいだろう。

「……リヴァイ、せまいよ。座りにくい」

「は?太ったのか?」

「違う!どうしてそうなるの!」

「うるせぇな。一週間ぶりなんだ、これぐらい我慢しろ」

そう言って私の肩に頭を乗せてきた。
一週間ぶり、と言われて何のことかとハテナが浮かんだが、すぐに理解する。
そういえばそうだ、巨人がトロスト区へ侵入して来たあの日から約一週間となる。走り回っていたもので時間の過ぎ方が麻痺しているな。
私でこの有様なのだから、兵士長を務めるリヴァイは数倍多忙な日々を過ごしてきたのだろう。
そう考えていると何故か私の太ももに手を置いてきた。……ん、なんだこの手は。とりあえず上から手を添え、「お疲れさま」とささやいておいた。

「お疲れさまじゃねぇ」

「は?」

「俺が今何を考えているか当ててみろ」

「リヴァイの考えてること……掃除したい、とか」

「違う。もう昼間にしておいた」

「ありがとう。じゃあ、そろそろ寝たい、眠たい、そのへん?」

「違う。どうしてこいつは俺に甘えてこねぇんだクソ野郎、だ」

待て待て待て。
そのクソ野郎って私のことだろうか!?この場に二人っきりなのだから必然的にそうなるけれど。久々に意味不明を発動をされ、頬がこれでもかと引きつった。
第一深い関係でもないのに甘えるだなんて、甘え……なんだろう、恐ろしい図しか思い浮かばない。

「甘えるのは、無理かな」

「エルヴィンには甘えれるんだろう、お前」

「エルヴィン?」

「俺がいない間に一緒に寝たらしいな、本人が言ってたぞ」

「ちょ、痛い!痛い!太ももの肉を掴むな!」

何でもかんでも力任せに感情を現わしてくるクセ、どうにかならないのか。ああ、太ももがじんじんする。
エルヴィンと寝たあの日は遺体回収をした日であった。精神面が沈んでいる時に部屋へ来るよう誘われたら、心のよりどころも欲しくなるだろう。私だって人間である。それに加えて全てを優しく包み込むエルヴィンだ、甘えたくもなる。
黙り込んでいれば次は頭を掴まれ引き寄せられた。顔面をリヴァイの胸板にぶつけ、一瞬呼吸困難となる。
(いちいち痛い!)

「その日、遺体回収の作業を手伝ったらしいな」

「あれ、知ってたの?」

「全て聞いてる」

「そっか」

「遺体と対面してどうだった」

「そりゃもう、辛かったよ」

「泣いたのか」

「泣いてはいないけど、悲惨な遺体の映像が頭の中で繰り返されてね」

「……肝心な時にそばにいてやれなかったんだな、俺は」

「へ?いや、こればかりは私の精神面の問題でしょ。リヴァイが気負うことないじゃない」

「うるせぇな、俺の感情を踏みにじるな」

そうは言っても、何故私のことでリヴァイが落ち込む必要があるのだ。それに、そこまで私は弱くない。あの日エルヴィンに声をかけられずとも、難なく一人の夜を過ごしていただろう。
すると、手を軽く持ち上げられた。今朝まで拘束具のはまっていた手首は無理に外そうと試みたせいで紫色に変色している。その部分を優しく撫でてきた。次にお手洗いを我慢していた腹部、更にはエレンに抱きしめられた際についた指跡、今日痛みに耐えた箇所を全て撫でられ一言。
「ふざけんな」そう耳元でささやかれた。
……ふざけんな、って、え、怒ってるの!?

「心配かけさせやがって」

「もっと気をつけるよ、ごめんなさ、んん!?」

ごめんなさい、を言おうとすれば口元を手で封じられ最後まで言えなかった。
リヴァイの行動が理解できず顔を見上げれば、何やら怪しげな笑みを薄く浮かべていたので背筋がゾッとする。

「謝罪するぐらいなら、俺に甘えてみろ。それで許してやる」

「結局甘える話に戻るんだ!」

「なんでもいいから甘えてこい」

「じゃあ……離れてほしいなあ、苦しい」

「却下だ」

「なんでよ!」

「可愛げがねぇ」

なんて言い様だ!私に可愛げを望む方が間違っているだろう。
それに、「甘えてみろ」だなんて突然そのようなことを言われても困る。少なからず私が人に甘えたいと思う時は、先ほど思い返していたように精神面が疲れた時だ。今もエレンのことを気がかりではあるが、精神面まで犯すほどの悩みではない。むしろエレンの精神面が心配なところである。
(……エレン、大丈夫かな)
エレンも子供心が抜けきれず誰かに甘えたかったのかもしれない。鉄格子を鷲掴み頭を打ち付ける姿は衝撃だった。どのような闇を抱えているというのか。過去に起きた何かがトラウマになっているのは確かだ。癒してあげれるものなら、精一杯癒してあげたい。
思考が脱線しエレンのことを考えていると、「早くしろ」そう声がかかった。だから、早くしろと言われても何をすればいいのだ。

「ねえ、例えばどう甘えればいいの?」

「抱きついてこればいいだろ」

「はあ?」

「抱き返してやるから」

「なに、抱きつかれたいの!?」

「悪いか」

驚いた、リヴァイが自らこのような恥ずかしい台詞を言ってくるなんて。
とはいえ、ここで拒否の態度を示すと確実に機嫌を損ねるだろう。もう、どうにでもなれだ、覚悟を決めよう。
恐る恐るリヴァイの背中に腕を回し顔を首元に軽くうずめてみた。案の定抱き返され、優しい腕の力にホッとする。
意外と甘え上手だな、などと言ってきたので背中をグーで小突いてやった。……それにしても、リヴァイって背は高くないけれど身体は分厚い。兵士らしく鍛えられた身体をしているのは知っていたが、ここまガッシリとしているなんて。
しばらく無言で抱き合っていると、静かな寝息が聞こえ始めた。やっぱり疲れていたんだね、って。いやいや、この体勢のまま眠るつもりだろうか!?
次第にリヴァイの体重が遠慮も無くのしかかってくる始末であり背中を叩いて、起きろ、と叫ぶが反応は無い。

「寝るならベッドで寝ないと」

「……」

「リヴァイ、ねえ、起きて!私お風呂もまだ入ってないのに」

「……」

いいや、絶対聞こえているだろう。だって、ほら、逃れようとすれば抱きしめる力を強めてくる。狸寝入りもいいところだ!
しかしどれだけ叫んでも目は開かず、挙句の果てに可笑しな体勢のままソファーへ押し倒され息苦しい夜を過ごすこととなった。

今日受けた痛みよりも翌日の筋肉痛の方が大変であったのは言うまでもない。






*NEXT*






-あとがき-
兵長とてもわがまま!すみません。
エレンが今後どうなるか……そう簡単に引き下がる子ではないのは確かです。笑
ご覧いただきまして、ありがとうございました^^

次回は、事件が起きます。