純血人生 13.5







必死に逃げていると、足首をひねり派手に転んでしまった。
不思議なもので焦れば焦るほど早く走れない上に、足がもつれる。ここ数ヶ月で学んだことだ。
後ろから追いかけてくるアイツに追いつかれては逃げ出した意味が無い、早く起き上がって走れ、走るんだ。
身体を起こしヒザを立てると先端部分から赤黒い液体がじわじわと溢れ出し、めくれた皮膚の周りには細かい小石がいくつかへばりついていた。
素早く小石を払い除け這い上がるように身体を起こしていると、背後から伸びてきた太い腕が無防備な腹部へ一瞬にして絡みつき小さな悲鳴を上げてしまう。
「そんなに俺から逃げたいか」そう耳元でささやかれ、頬へ手が伸びてくるなり一発張り手を喰らわされる始末だ。
殴られた頬を両手で押さえながら後ろを振り返れば、眉間にしわを寄せたリヴァイと目が合い更に頭を小突かれる。

結局は飛び出した部屋へと連れ戻されソファーへ投げ飛ばされた。
今回で何度目か分からない。とにかくリヴァイの元を離れようと計画を立てては失敗の連続であった。
以前、母を助けようとスコップ一本を振りかざしリヴァイへ挑んだ末、呆気なく頭を踏みつけられ意識を手放すこととなったわけだが。あの日、意識を取り戻した時は頭の手当てをされている最中だった。頭を触る手をたどり顔を見上げると、そこにはリヴァイがおり、最初は誰だか分からず目つきの悪いその顔をぼんやりと見つめていた。数分かかったが徐々に記憶を取り戻し階段から下りてきては倒れる母のそばへ近付いた男だと理解する。途端、無意識にも湧き上がる感情は怒りであった。頭に触れる手を払い除け距離を取ったのは言うまでもない。
とはいえ何の運命か、その日よりリヴァイから与えられた衣食住に頼って生きる人生が始まる。
数ヶ月前のことを思い出していると、いつの間にか近寄ってきたリヴァイに足を持ち上げられ、「鈍臭いガキだ」と暴言を吐かれた。すると、皮膚がめくれているヒザを見つめるなり、傷口に爪を立ててきた。あまりの激痛に声を上げてしまう。全身で暴れるように身をよじれってやれば、私の行動が気にくわなかったのか、腹部へ腰を下ろし更に爪を深く喰い込ませてくる。その姿は意地悪な鬼に見えた。

「や、いやだ、痛い!」

「暴れるな」

「放せ!どけ!つぁっ、痛いって!」

「うるせぇな。傷口に小石がめり込んでる、このままにしておけねぇだろ」

「小石!?そんなの自分でやる、だからやめて」

「いや、もう取れた。ほら、小石が三つ」

爪の合間に入り込みそうなほど小さな石を見せつけられた。リヴァイの指先に私の血が付着しており、妙な気持ち悪さから思わず顔をそむけてしまう。乱暴もいいところだ、いくら何でも爪でえぐり出すのはひどいじゃないか。
リヴァイは水場で手に付着した血を洗い流し、消毒液と布を持って再度こちらへ近付いてきた。無言で手当てをされ、消毒液の染み込む痛さに表情を歪めてしまうが声は出さずに堪える。弱味を見せたくない私なりのプライドだ。
手当てを終えると、腰へ手をかけてくるなり一思いにスカートを脱がされた。服を脱がされる時は反抗しない。脱がされることに必ず意味があるからだ。
案の定、スカートを持ち上げては針と糸を準備し、転んだ際に穴が開いた部分を縫い始める。その姿は恐ろしくも少々母と重なる部分があり嫌いではなかった。繊細な指先はリズミカルに破れた部分を縫いつけ、思わず見入ってしまうほどだ。
そんな私に小声で呼びかけてきたかと思えば腕を引かれ、リヴァイの開かれた足の間に座らさせられる。何事かと振り向く間もなく破れたスカートと針を手渡され、後ろから手の甲を包み込むように掴まれた。

「え、なに」

「女なら裁縫ぐらい覚えておくべきだ」

「……見てる方がいい」

「甘えるなクソガキ。まず親指と人差指で針を持ってみろ」

破れた部分の端と端をつまみあげ、リヴァイの手に操作されながら細かく縫いつけていく。この縫い方を、まつり縫い、と言うらしい。本当は当て布をして縫うといいんだがな、とつぶやきながら手を進めた。
数分後には修繕され、穴は消えた。少々片側を引っ張るような型となってしまったが、誰かに見せるわけでもないので穿けたらそれで良い。
一つ覚えたな、と針を片付けながらもう片方の手で私のアゴを掴みそのまま向き合うように首を回され、「何か言うことがあるんじゃないのか?俺に」そう言いながら目を見つめられる。
(……リヴァイに言うこと?言うことなんて何も無い)
首をかしげる私の態度に呆れたのか、再び頭を小突かれた。

「あのな、世話になった奴には、ありがとうって言っておけ」

「それぐらい知ってるよ」

「なら言え。縫い方を教えてやっただろ。傷の手当てもしてやった」

礼を言え、と。いいや、矛盾しているだろう!服も、傷も、全てはリヴァイから逃れる為に走っていたせいでああなったのだ。あの事態が無ければ……そう反論したい気持ちもあるが、面と向かって強く言い張る勇気も無い。気にくわなかったら殴られると決まっている。
悔しさが溢れ返る中、顔をうつむかせ小声で礼を述べてみた。
すると、目を見て言え、と両頬を掴まれ無理に顔を上げられる。逃げ場の無い状況を早く離脱したく、もう一度「ありがとう」と言えば頬を掴んでいた手が頭に伸びガシガシと撫でてきた。
あまりの力強さに頭どころか全身が揺れ、やめろ、と叫ぶ。

――そこで、目が覚めた。

全身が揺れて……確かに揺れている。夢なのか現実なのか、薄くまぶたを開くが視界に映るのは闇だ。
ただ車輪の激しく走る音が耳については、石に乗り上げたのか度々身体が跳ね上げられる。
(車輪?何故車輪の音が聞こえるんだ)
起き上がろうと床に手をつけば、ざらつく木板の感触にハッとした。更には身体を起こすことで頭に重い痛みが走り、今がどういう状況であるか思い出し、焦りへと変わる。
避難民の対応を終えた帰り道に、馬に騎乗した駐屯兵団の兵士がエルヴィンからの指示だと言い張り私についてくるよう声をかけてきた。兵士が手を差し伸べてきたもので何の疑いも無く騎乗し、言われるがままに従っていたのだが。数十分走り続け住宅街を抜けると、大木のふもとに幌馬車を確認した。そこへ向かっているのか馬の足を少しずつ緩め、大きな声をかける。「女を連れて来たぞ」と。
そのセリフに違和感を感じ取り、即座に後ろを振り返った。兵士は目を合わせようとせず、「東洋人は柔らかいんだな、これは誰もが興奮する」そう言いながら、私の身体を支える為腹部へ回していた腕に力を込めてきた。
その後、幌馬車から二人の男が姿を現し馬から降ろされた私を拘束する。迷わず逃げる行動を取ったが簡単に捕まってしまい、直後頭に激痛が走った。そこで意識を手放したのだ。
……その後、幌馬車へ連れ込まれたというわけか。
ふらつく衝動に額を手で支えると前髪がいくつかの毛束となり固まっていた。殴られた際に溢れた血が付着し固まったのだろう。傷口はどこかと手で探ると額に近い左頭部に浅く皮膚が裂けている部分をみつけた。躊躇することなく頭に殴りかかってくるなど、常人ができるとは到底思えない。人を殴ることに慣れているからこそ手加減を知り尽くした上で出来る行動だ。日々兵士達と会話をすることで得た知識による推測だが。
次第に目が慣れ始め、微かに幌の間から差し込む月の明かりだけで荷車の中がどうなっているか把握できた。
樽や木箱が無造作にいくつか積み重なっており、車輪の振動と同時に跳ね上がっている。辺りを探っていると真横で何か動いた気配を感じ、恐る恐る視線だけをそちらへ移す。そこには幌の骨組みに背をあずけ頭をうな垂れさせる者がいた。
悲鳴を上げそうになる口元をあわてて押さえ、呼吸を整える。……驚いた、真横に人がいたなんて。
不幸中の幸いと言うべきなのか、その人物は気持ちよさそうに静かな寝息をたてていた。先ほど私を拘束した男達の一人に違いないだろう。
男から距離を取り、その姿を改めて見てみる。なんと、手には刃物がにぎられていた。またも悲鳴を上げそうになり、口に拳を突っ込むよう声を押さえる。
(寝ている今がチャンスだ、早く逃げないと……)
一歩一歩ゆっくりと後ずさり、幌の繋ぎ目部分を目指した。そこから飛び降りるしか逃げ道は無い。

「はい、残念でした」

「ひぎゃああああああ!!」

突然両肩を掴まれ後ろから声をかけられたもので、悲鳴を押さえることが出来なかった。
放せと言わんばかりに身を振いながら後ろを向けば、見覚えのある顔がそこにあり、警戒心が最高潮に高まる。その人物は兵服を身に着け、胡散臭い笑顔を向けてきた。私を騙した張本人である。
兵士でありながら犯罪へ加担しているなど、そのような話聞いたことが無い。自分が何をしているのか分かっているのだろうか。

「そんな怖い顔しないでさ、もっと気軽にいこうよ」

「……うるさい!こんなことして、兵士として恥ずかしくないの!?」

「兵士?ああ、俺のこと?」

「何を他人事みたいに、あんた駐屯兵団の兵士でしょうが!」

「またまた残念、兵士なんて頼まれてもやだね。俺は地下街の住人だよ」

この兵服は闇市で手に入れたんだ、と軽々しい口調で答えた。闇市など噂でしたか聞いたことが無いが、兵服の売買は法に触れる行為だ。
もしも発覚されたら牢獄行きの可能性もある。よくそんな代物を手に入れた上で調査兵団の兵舎付近をを馬で走っていたものだ。
そこまでして私をさらった理由を聞くと、「金のためだ」と清々しいほどはっきりとした答えを返された。

「東洋人は金になる。しかも君は純血ときた」

「……どうして私が東洋人だって知ってるの」

「君の母親は強姦されて殺されただろ?あの場所、俺の働いてた店の地下でさ」

ちなみに母の死体を処理したのも自分だと告げてきた。嘘か誠か不明だが、曖昧な過去が少なからず結びつき混乱してしまう。
もちろんリヴァイが私を引きとったことも知っていた。云わばこの男、金になる私を十年以上かけて狙っていたというのか。

「まあ、待ったかいがあったよ。成人した君は魅力的だ。一日に五人は頼む」

「は?五人って、なにが」

「男の相手さ。東洋人を抱きたいって奴は腐るほどいるからね。その都度、高額な金を巻き上げる」

結局は私の身体で金を稼ぐというわけか。東洋人東洋人って、東洋人の何を知っているというのだ。
恐怖よりも怒りが上回り、男のアゴをめがけて拳を振り上げれば、素早く身を引き寸前のところでかわされる。予想通りだ。後ろへ引いた反動を利用しこちら側から押してやればバランスを取れずいとも簡単に引っくり返った。それを良いことに幌の繋ぎ目へと勢いづけて体当たりをする。こんな奴らに捕まるぐらいなら外へ身を投げ出し重傷を負う方がよっぽどましだ。
幌を二度体当たりしたところで下部分がめくれ上がった。素早く身体を折り身を投げ出そうとしたところで、首元を何かでねじり込むように殴られた。当たりどころが悪かったのか力が一瞬で抜け落ち荷車の床へとヒザをついてしまう。仕舞いには視界が揺らぎ身体を支えていられなくなった。倒れ込む際、先ほど真横で寝ていた男が刃物の柄で殴りかかってきたのだと分かった。

次に目を覚ました時はベッドの上であった。
身にまとっていた服や下着は全て脱がされ全裸である。手首には拘束具をはめられ鎖の音が耳についた。今のこの状況、最悪の事態と言えるだろう。
また拘束具か、と働かぬ頭でぼうっと考えていると足音が聞こえてきた。咄嗟に身を起こし、周囲を確認する。ロウソクが一本ゆらゆらと揺れている室内は奇妙なほどに静まり返り、人の気配は無い。ということは訪問者か。起こした身体を寝かせ、寝たふりをした。
案の定、扉が開き誰かが室内へと入って来る。
ベッドへと近寄ってくるなり、「もう起きてるくせに」と私の脇腹をつまんできた。つい反応してしまい、声の主を睨みつければ先ほどまで兵服を身に着けていた男がベッドの脇へと腰掛けてくる。

「気分はどう?」

「……最悪すぎて頭が痛い」

「頭が痛いのは首元を殴られたからだよ。あいつ、人間の急所を知り尽くしているからね」

あいつとは、幌馬車の中で私の真横にいながら寝息を立てていた男のことだろう。急所を知り尽くしているなんて、とんでもない人間だ。
私が重い頭をさすりながら溜め息をつくと、君の両親は頭の良い人だ、と意味の分からぬ発言をしてきた。

「さっきね君の手首に拘束具をはめるとき、印が無いことに気付いてさ」

「印?」

「それさえも知らないか。東洋人はね、手首に印を彫るしきたりがあるんだ。君の母親も手首に印が彫られていたよ」

おそらく一族のしきたりよりも君の未来を一番に考えたんだろうね、と優しい笑顔で言い放たれた。
印などと言われて何のことだかサッパリだが、東洋人は何かと奥が深いと思い知らされる。東洋人でありながら自分の一族がどういった習わしがあるのかなど、全くの無知だ。
「まあ、この綺麗な髪と肌の柔らかさがあれば東洋人の象徴みたいなものだ、問題ない」そうつぶやきながら頬に手を添えられる。
触るな、と顔をそむければ無理に頭を押さえつけられ、「君はいつ暴れ出すか分からないから、先に手を打つに限るよ」そう言い、自分の口に何かを放り込み持ってきたのであろうコップ一杯の水を含んだ。途端、私の口を割るかのように唇をぶち当ててきては、含んだ水をこちらへ流し込んできた。
勢いに耐え切れず苦しさのあまり飲み込んでしまう。その際、小さな異物がノドを通って行く感触があった。しまった、と直感的に焦りが生じるが、吐き出そうとしても唾液ばかりが込み上げてくる。
何を飲ませたの、と咳き込みながら聞くが、男は唇へ吸いつき、舐め、押し込むように舌を絡めてきた。
(うぐぇ、気持ち悪い……!)
生理的に拒否反応が起こり、男の下唇に噛みついてやった。私の反撃に驚いたのか何なのか、威勢が良いと笑いながら部屋を後にした。
生ぬるく柔らかい感触が唇の周りに染みつき、手の甲で必死にこする。最悪だ、初めてだったのに。何か大切なものを奪われた意識がドッと押し寄せ、思わず目に涙が浮かんだ。
口元と涙を交互に拭いていると、ふとリヴァイの姿が脳裏に思い浮かび今までの日常が走馬灯のように駆け巡り始める。
つい昨日まで普通に過ごしていた日常が、恋しい。
私が兵舎から姿を消したという事実は、そのうち誰かが気付いてくれるだろう。少なからず迷惑をかけてしまう予想もつく。
自分の浅はかな行動がこのような事態を招いた。全ては私が悪い、何の疑いも無くエルヴィンの名を出されただけで信用してしまった、東洋人であることをきちんと自覚していなかった、挙句の果てにこの様だ。
……馬鹿野郎。

次第に強烈な睡魔が襲いかかり、眠りにつくこととなる。









――ああ、また昔の夢か。

「どうして私をいつも見つけ出すの。逃げても逃げても絶対つかまる」

「……なんとなく分かるんだ、お前のいる場所が。なんだろうな、何かで繋がれているのかもな」









*NEXT*




-あとがき-
13.5話、ご覧いただきありがとうございます!
どのような経緯でさらわれたのかを書いておきたくて、この話をはさみました。
今ごろ兵長達は馬を爆走させて地下街へ向かっているに違いありません。笑

さて、次回は地下街にて救出作戦開始!です!