純血人生 13






調査兵団の兵舎内には研究室があり、そこは甘い香りで充満していた。
深夜にも関わらず焼き上がった菓子を取り出し怪しげな笑みを浮かべるのは分隊長の位を持つハンジである。
取り出された菓子は異様な型をしており、ハンジの興奮材料ともなる代物だ。
「これは巨人の指で、こっちは生首、そして切断された耳、ああ、私の想像力に限界は無い!」息を荒くしながら一人で叫び、この喜びを誰かに分けてあげようと出来立ての菓子を冷ましもせずに小包へ詰め始める。もちろん小包を渡す人物はだ。
つい先日も巨人の眼球や唇の型を想像して焼き上げた菓子をプレゼントしているのだが。
(小包を開けた時の表情ときたら……!)
ハンジは更に呼吸を荒くし呪いのような鼻歌を研究室に響かせながら小包を真っ赤な細いリボンで可愛く縛った。
もっとも前回はバターを入手できなかった為に代用として食用可能な薬品を使用した上で生地を作った。味に問題は無かったにせよ、まがい物に違いはない。今回は嘘偽りなく正真正銘の焼き菓子である。
どのような表情を見せてくれるか変態さながらに心を躍らせ、壁にかかっている時計に目をやった。時刻を見るなり目を見開き、あわてて研究室を飛び出してはの部屋へと向かう。いつの間に日付が変わってしまったのか、菓子を作ることに熱中していたゆえ気付かなかった。下手をすればが寝ている時刻である。もしそうなら扉を叩きに叩いて起きてもらうけど、そう心でつぶやき静まり返る廊下を軽い足取りで走った。

いざ到着したものの、部屋前で棒立ち状態だ。
扉をいくらうるさく叩いても何の反応も無い。風呂かトイレにでも入っているのだろうか。
数十分後、もう一度扉を叩きながらの名前を呼んでみたが結果は同じであった。部屋にいないとしたら食堂だろう、そう思いつき食堂へ直行した。しかし人影の一つさえ無く、奥の厨房も奇妙なほどに静まり返り一切気配が無い。
兵舎内で他に行く場所と言えば洗濯物を洗う水場か、近頃はエレンの寝床である地下牢へも足を運んでいた。ましてやこのような時間帯に誰かの部屋へ行くなどという行為をするような子では無い。おそらくたまった洗濯物を洗っているか、地下牢の掃除をしているに違いない。何でもかんでもこぎ着けるように結び付けそれぞれの場所へと向かった。
だが残念なことに予想は外れ、裏庭でトレーニングに励む兵士を数名見た以外に誰の姿も見かけずに終わる。
妙につのる不安を退けるかのごとく今しがた調べた地下牢の鉄格子に背を預け、最後にを見た記憶を引っ張り出すことから始めた。
トロスト区の避難民を対応するべく兵舎から出て行く姿を今朝方見たのは覚えている。まさか、まだ帰ってきていないというのか。ここまで遅くに帰ってくることは今まで無かったはずだが。ハンジは再び駆け出しある場所へと向かった。
階段を上りきった廊下の先にある部屋、執務室の前で足を止めノックもせず扉を勢いよく開けては調査兵団の団長である人物の名を呼ぶ。

「エルヴィン、ちょっといいかな」

「ん、どうしたハンジ。めずらしく焦った顔をして」

「避難民の対応って深夜を過ぎることもあるの?」

「サポート側の話か?」

「うん」

「ああ、深夜から朝方にかけて勤務する者もいるが」

「なるほど、そういうことか!いやあ、がまだ帰っていないようでさ」

「……が帰っていない?」

「扉を何度叩いても反応が無くてね、はあ、久々に焦ったわ」

「いいや、おかしいぞ」

エルヴィンは持っていたペンを机に置き、その場から立ち上がる。
「何がおかしいの」さも当然のように聞き返すハンジに、「には深夜から朝方にかけての勤務をさせないよう俺が話を通してある」と答えた。
どれだけ遅くとも日付の変わる頃には必ず帰って来るはずだ、そう言葉を付け加え眉間に深くシワを寄せては引き出しからカギを一つ取り出す。そのカギをハンジに手渡し、リヴァイとが使用する部屋のカギであることを告げた。一応部屋の中を確かめて来いと言いたいのだろう。ハンジはカギを握りしめ、執務室を後にし全速力で廊下を駆け抜ける。

走りながら考えていた。帰っていない他に心当たりがあるとすれば部屋の中で倒れている可能性もある、と。どちらにせよ最悪のパターンだ。
大概の人間は不安に駆られると苦痛な想像ばかりが思いつき脳裏でリピートされる。現在のハンジもそうであった。
(……駄目だ、不安になったところで何も現状は変わらないのに)
カギを握る拳を更に強く絞めつけ、自分の頭部へと振り下ろす。殴った部分から痛みが広がり、少なからず頭が冷えた。
部屋前へ到着し念のために扉をノックしてみるが先ほどと変わらず反応は無しだ。
汗ばむ手で扉のカギを開け中へと入る。予想通り明かりは点いておらず、風呂場、トイレ、ベッドの下、綺麗に片付いた部屋を隅々まで調べたがどこにも気配は無い。
やはり、帰ってきていない。ここまで捜して見当たらないとなれば、言い切れるだろう。
急いで執務室へ戻るとエルヴィンに加え、そこにはミケがいた。

「ハンジ、部屋の中はどうだった」

「誰もいなかった」

「そうか。とりあえず今ナナバが避難民のいる広場へ馬で駆けつけている。確認をした上で、十分もしないうちに戻って来るだろう」

さすがはエルヴィンだ。どういう状況であれ行動が早い。
予想通り、ナナバは十分もせずして執務室へ姿を現した。そして息を切らしながら、「数時間前、既に帰ったとのことです!」と告げられる。
その場にいる全員の不安が、本物の焦りへと変わる瞬間であった。
ナナバを除く三人は、が東洋人であると知っているゆえに、今この現状で何が起きているか明白と言えるだろう。
「誘拐なら身代金を要求してくる。人売りにさらわれたのなら地下街だろう、あとは見世物小屋の悪趣味な経営者か」エルヴィンが最悪の予想を次々と特定し始め、ハンジは人間が持ち合わせる私利私欲の汚さに寒気がした。
東洋人が賊の間で高く売れるとウワサだっているのは有名な話だ。純血、混血、何であれ東洋人の肩書を持つ者は賊や裏取引をする経営者にすれば最高の品物というわけである。
……今どこにいるの)
ハンジは手のひらに爪を喰い込ませながら拳を震わせた。ここでジッとしていても仕方がない、行動しなければ。
途端、ナナバが遠慮がちに口を開き、夕飯時に同期と会話した内容を発言し出した。
何でも、駐屯兵団の兵士が調査兵団の兵舎付近をぶらぶら歩きまわっていた、と。更にはその兵士、何故かハーネスを装着していなかったとのこと。ハーネスとは立体機動装置に不可欠な固定ベルトの通称名である。
兵服の下に固定ベルトを装着していないなど、訓練兵でもありえない話だ。エルヴィンは、「がいなくなったことと関わりがありそうだ」と、ナナバの発言を大いに評価した。

「さて、こちらからも動くぞ。まずミケ、見世物小屋を片っ端から探ってくれるか」

「分かった」

「素性を知られては後々厄介だ、顔を隠し行動してくれ」

ミケは一度鼻を鳴らし縦にうなずく。その隣で「私も手伝います」とナナバが名乗りを上げた。手分けをすればそれだけ効率が良くなる。
二人が見世物小屋を探るのなら、残るは地下街だ。ハンジは地下街へ向かう覚悟を決めていれば、「ハンジ、君は今すぐ旧調査兵団本部の古城へ向かって欲しい」とエルヴィンは予想外の指示を出してきた。

「待って、どうしてこの非常事態に古城へ行く必要があるの!?」

「地下街の情勢は複雑だ。無知な君には危険すぎる」

「……ああ、結局は地下街を良く知る者が適任ってわけか」

「理解が早くて助かるよ」

ようするに地下街へはリヴァイが向かうべきだとエルヴィンは判断したらしい。
この判断は正解だろう。誰よりも地下街を知り尽くしている者は兵士の中でリヴァイの右に出る者はいないはずだ。何せ兵士になる前は地下街に入り浸っていたのだから。
ただ、一つ疑問が生じる。

「エレンはどうするの?リヴァイの監視がついているからこそあの子は自由に行動できるんでしょ?」

「そこはリヴァイにまかせるさ。いざとなれば力を貸してやってくれ」

現場は現場にまかせると、そういうことだろう。どれだけリヴァイを信頼しているか思い知らされる一言でもあった。
エルヴィン曰く地下街にも有名な見世物小屋があるらしく、そこも探るようリヴァイに伝えてくれと言づてをハンジに言い渡した。
早急に支度を済ませた三人は、静かな廊下をあわただしく走り厩舎から自分の愛馬を引っ張り出す。兵舎の門を抜け、それぞれの目的地へと一気に駆け出した。






旧調査兵団本部の古城内、一階食堂ではリヴァイとエレンが話し合っていた。いや、話し合うと言うよりもリヴァイが一方的に質問攻めをしている風である。
どうして必要以上にへ近付こうとするのか、と。その質問に対し、エレンは一切口を開かず苦しい空気に耐えていた。
(質問には答えたくない。兵士が甘えたことを言うなと、厳しい言葉が返ってくるに決まっている)
「答えられません、気に入らないなら殴って下さい!」そう先ほどから幾度となく反発するが、「答えるまで寝させねぇからな」まるで脅しのような言葉ばかりを返される始末だ。
リヴァイが溜め息をついたところで、扉をノックする音が響いた。二人は即座に目を合わせ、このような深夜に誰だ、そう気持ちを通じ合わせる。
エレンが立ち上がろうとすればリヴァイは片手を突き出し、お前は座っていろ、とでも言うかのように行動を制した。
躊躇することなく中から扉の向こうへ声をかけると、「あ、リヴァイ!起きてたんだ!ちょうど良かった!」聞き覚えのある大きな声が返ってきたもので二人して驚く。

「お前、ハンジか?」

「そうだよ、私以外に私がいるわけないでしょ、いやもうそんなことはどうでもいい!早く開けて、緊急事態なんだ!」

リヴァイは扉にかけてあるカギを外し開けると、顔面蒼白であり髪を乱したハンジがそこにいた。その姿にただ事ではないと二人は直感する。
が兵舎に帰ってきていない事の成り行きを、ハンジは一から全て報告した。
話の途中、エレンは目を見開き血の気が引く表情を浮かべていたのに対し、リヴァイは顔色一つ変えず平然と聞いていた。

「事情は分かった」

「地下街へ行ってくれるよね」

「当然だ、すぐに向かう。エレン、お前は地下へ戻れ。ハンジ、俺が帰って来るまで班の奴らを頼む」

リヴァイは兵服を脱ぎながら食堂を後にする。
その後ろ姿を食い入るように見るエレンは数秒固まっていたが勢いよく立ち上がり後を追いかけた。
「兵長、リヴァイ兵長!待って下さい!」エレンの呼びかける声にリヴァイは振り向きさえもしない。

「オレも一緒に連れて行ってください!」

「先ほども言ったはずだ、地下へ戻れと」

「お願いします!さんが危険な目に遭っているのに、ジッとなんてしていられません!」

「うるせぇな……」

「兵長、お願いします!お願いします!!」

古城の階段をひたすら上り続けるリヴァイの前に回り込み、これでもかと頭を下げた。
その姿にリヴァイは足を止め舌打ちをするが、腕を組み少々考える体勢を取る。

「……エレン、対人格闘術の成績は何番だった」

「え、二番でしたけど」

「二番か、嘘じゃないだろうな」

「事実です!」

エレンの素性を考えれば地下に放り込んでおくべきなのだろうが、地下街へ行くとなれば二人いた方が何かと便利である、そうリヴァイは考えた。
ハンジを連れて行く手もあるが、指示を出しやすいエレンの方が現場では動きやすいだろう。

「……よし、いいだろう。一緒に連れて行ってやる。まずは着替えだ、ついて来い」

「はい!ありがとうございます!」

「地下街はウォール・シーナにある。ここからでも馬で走って八時間はかかるってことだ。急ぐぞ」

現在は深夜でも朝方に近い時刻である。よってリヴァイの推測からするとが連れ去られたのは最低でも四時間以上前だ。
もし地下街が当たりであれば最悪の事態もあり得る。一刻も早く向かわなければならない。
(裏の商売をする賊共は金と時間で勝負が決まるからな)
古城の一室にリヴァイの使用している部屋がある、そこへエレンを招き入れ兵服と立体機動装置の固定ベルトを外すよう指示を出した。
そして調査兵団のマントを裏返し象徴である自由の翼を内側に隠して羽織るよう手本を見せる。

「兵長、すみません。俺のマント地下にあるんですけど……」

「早く取って来い、その後は厩舎で待ち合わせだ。二分で出来るな」

「はい!」

エレンは部屋を飛び出し地下へと向かう。
リヴァイも階段を駆け下り厩舎前へ行くと、そこにはハンジが待ち構えており、小さな袋を三つ手渡してきた。「エルヴィンから」とのことで受け取ると、ずっしりとした重みがあり、それが貨幣であると理解する。
取引をする際に必要不可欠なものだ。特に地下街において金は力と言える。

「ねえ、エレンも連れて行くの?」

「連れて行く」

「なーんだ。リヴァイがいない間にいろいろ実験ができるチャンスだと思ってたのに」

「残念だったな」

「冗談、今は実験なんてどうでもいい」

ハンジは薄く笑い、少々明るくなりつつある空を仰いでみた。
薄暗くも優しい茜色は残酷である。地上の生物がどのような日々を過ごそうと、空は無関係とでも言うかのように綺麗な色を見せつけてくるのだ。ほら今日も、せめて曇り空なら良いものの、快晴とは。

「リヴァイ……は強い子だよね」

「ああ」

「絶対大丈夫だと私は思うわけよ」

「奇遇だな、俺も同じ気持ちだ」

そこへ息を切らしたエレンが厩舎へ到着した。
先ほどの言いつけ通りマントを裏返し羽織っている。リヴァイはエレンのフードに手を伸ばし、頭に深くかぶせてやった。
二人は自分の愛馬を引っ張り出し、騎乗する。

「二人共、頼むよ」

ハンジの呼びかけを合図に、馬は声を上げその場から駆け出した。







*NEXT*






-あとがき-
リヴァイ、平然な態度をしていますが、内心煮えくりかえっているとご想像ください。
何やら物騒なことが起きてしまいましたが、リヴァイとエレンが救出へ向かいますので少々お待ち下さいませ。笑
次回、13.5話をはさみます。