純血人生 15






床に横たわる男。
男の顔は引き裂かれた皮膚から溢れ出す血で染まり、その姿は恐怖でしかない。時に身体をぴくりと痙攣させ、ノドにつまる血を吐き出すかのように弱々しく咳き込む。
抱きしめてくるリヴァイの顔が真横にある中で、視界に映るのは生々しい悲惨な現場の事後であった。
地下へ続く扉の前では、エレンも男の姿を凝視している。何を考えているのか、顔は張りつけたような無表情だ。驚くほど子供らしくない表情に何故か焦りが生じ、気付けばエレンの名を呼んでいた。
エレンは視線をこちらへ向け小走りで駆け寄って来る。エレンの足音が近くで止まるとリヴァイは抱き締める力を弱め、店を出るぞ、と皆に声をかけた。
リヴァイに手を引かれ歩き出そうとすれば一歩が踏み出せず前のめりに転倒してしまいそうになり、背後からフリルに支えられる。

「危なかった……!フリル、ありがとう」

「どうしたの、段差も無い床で転ぶなんて」

「ごめんごめん、足がもつれたみたいで」

いいや、もつれるというよりも足の感覚がにぶっているのか、一歩を踏みしめるたびにヒザが笑う。情けないことに、三歩進んだところで耐え切れず床へ尻もちをついてしまった。
恐怖か、疲れか、何にせよどこまで皆に迷惑をかける気なのだ私は。
再び立ち上がろうと下半身に力を込めたところで、ヒザを伸ばしきれずに繰り返し尻もちをついてしまい羞恥に襲われる。そんな私に呆れたのか、リヴァイが抱き上げて運んでやると言わんばかりに腕を伸ばしてきた。そこまで世話を焼かせるわけにはいかないだろう、咄嗟にそう考え感覚を取り戻すべく自分の両ヒザを強く叩きに叩いた。
三人に見守られる中、今度こそ立ち上がろうと挑戦するが結果は同じ、三度目の尻もちである。同時にリヴァイの溜め息が聞こえた。
究極と言えるほど情けない姿のあまり顔をうつむかせていると、ふいに身体を持ち上げられる。
「オレがさんを運びます。早く出ましょうよ、こんな店!」エレンがそう言い放ちリヴァイの横を通り過ぎては、行く手に横たわる男を部屋の隅へと蹴飛ばした。

店を出て向かった先は出入り口付近に花の並ぶ場所であった。見覚えのある雰囲気に、フリルの店だと理解する。
リヴァイが扉を開けると低い鈴の音が鳴った。懐かしい音に、じわじわと鳥肌が立つ。店内は地下街と思えぬほど、木材をメインとしたこだわりある装飾が施されていた。そのような空間で違和感を放っているのは、何故か破壊されたテーブル。
フリルにどうしたのかと聞けば、顔をしかめながら無言でリヴァイの背中に指を差す。その質問にはエレンも苦笑いをこぼした。なるほど、あのテーブルはリヴァイによって破壊されたと考えて間違いないだろう。
その後フリルが用意してくれた食事をとり、リヴァイとエレンは仮眠に入った。リヴァイはソファーで足を組んだまま寝息をたて、エレンはカウンター席に突っ伏し可愛い寝顔を横向きにさらしている。昨夜さらわれた時間から逆算すると、二人は昨日より一睡もしていないことは明らかであった。
申し訳無い気持ちに襲われていると、フリルに小声で呼ばれる。

「さあ、ちゃん。今のうちにお着替えしましょうか」

「着替え?……あ」

下半身は調査兵団のマントを無理に巻きつけられ、上半身はリヴァイのシャツという何ともアンバランスな格好に改めて気付かされる。
閉じ込められた部屋で目が覚めた時には、既に脱がされた後であった。おかげで服がどうなったかなど予想もつかない、おそらく捨てられていそうだが。
着替えの服があるかと尋ねれば、下着も全てそろっているとの返事を返され違う意味で顔が引きつった。フリルが男性であると知っているだけに……さすがと言うべきか、何故と問うべきか。
案内された店内の奥にある部屋、そこはフリルの寝室であった。
フリルは部屋へ入るなり引き出しから着替えを取り出し、私の前でそれを広げる。

「この下着ね、買ったはいいけど私には小さくて」

「これ、どう見ても女性用の下着……」

「そうよ!だって時には絞めつけの良い下着をつけたくなるときもあるの!」

「変態発言やめてくれる!」

「……なんてね。はい、なんでもいいから早く着替えなさい」

着替えの下着と服を私に手渡し、フリルは部屋から出て行った。
一人部屋に取り残され静かな空間の中、服のボタンを上から外していく。途端、フリルと久方ぶりに会った事実をようやく実感し始め、顔がほころんだ。
フリルと出会った十数年前、彼はリヴァイの友人であり、男性だった。もちろん今も性別上は男性だが、今のように女性の格好をしているのではなく、男性そのものの風貌をしていたのだ。それが突然、胸がこぼれ落ちんばかりに膨らみを増し、顔は化粧をして現われたもので、子供ながらに唖然としたのをいまだに覚えている。
何があったのかは知らないけれど名前もゴルドンからフリルへと改名し、ゆくゆくは女同士だからとリヴァイが不在の時は一緒に風呂へ入るようにもなった。時に花をくれるときもあった。おしゃれをしなさい、と輝く腕輪をプレゼントされたこともある。
謎多き人物だが、子供の私に対して優しく接してくれた数少ない内の一人だ。
過去の記憶を懐かしみながら着替えを済ませ扉を開けると、部屋前にフリルが立っており再び部屋の中へと押し込まれる。

ちゃんも少し寝た方がいい」

「いやいや、大丈夫だから」

「いいから、私のベッドを使って寝なさい」

簡単にベッドへ押し倒され、すかさず布団をかけられた。
何なら子守唄でも歌ってあげようか、と声をかけてくるフリルに思わず笑ってしまう。

「眠たくないのに」

「まぶたを閉じていれば眠たくなってくるでしょ。今のうちに身体を休めておかないと」

そう言いながら優しい手つきで頭を撫でてくるもので、言われた通りまぶたを閉じ寝る体勢を取ってみる。
次第に撫でられている気持ちよさから意識がふわりと軽くなり始めた。気付けば静かに扉を閉める音が聞こえ、フリルが部屋から出て行ったのだと知る。
それからは目が冴えてしまい、ベッドの上でシーツを乱してしまうほどに何度も寝返りをうった。

数時間後、リヴァイに呼ばれフリルの見送りを受けながら地下街を出ることとなる。
震えが完全に治まった足で歩き出そうとすればフリルに後ろから抱き締められ、元気でね、そう耳元でささやかれた。続いてエレンを抱き締め、極めつけにはリヴァイにまで腕を伸ばそうとした瞬間、脇腹を蹴られ低い悲鳴を上げた。
(……ああ、痛そう!)
下着と服、そして救出に力を貸してくれた事に頭を下げ、手を振る。笑顔で振り返してくれる姿を目に焼き付け、ウォール・シーナの壁門へと足を進めた。
地下街を出ると空には月が出ていた。さらわれてからというもの、時間は早くも丸一日が経とうとしている。あっという間であった。

ウォール・シーナの壁門が見えてくると、私とエレンに壁門の外で待っていろとの指示を出し、リヴァイは憲兵団が管理している厩舎へと向かった。
数分後、二頭の馬を連れたリヴァイが姿を現し一頭をエレンへ引き渡すと、素早く自分の愛馬へと騎乗する。
「俺の前に乗れ」そう言うなり差し出してくる腕を掴めば、勢いよく引き上げられた。バランスがとれず右側に傾いていると、後ろから伸びてきた片腕が私の腹部に巻きつき支えとなってくれる。リヴァイは器用にもう片方の手で手綱を握り、馬の腹を蹴った。腹を蹴られた馬は一気に駆け出した。

馬の振動にやられたのか尻と腰に激痛が走る中、何度か休憩をはさみつつ駆けていると、遠くにウォール・ローゼが見え始めた。
このまま兵舎に直行するのかと思いきや、どうやら旧調査兵団本部の古城へ向かっているらしい。
空が明るくなり始めた早朝、初めて訪れる古城へと到着した。その風貌は古城というだけあり、まるでおとぎ話に出てくるような建築物である。
あまりの大きさに見上げていると、どこかから叫び声が聞こえてきた。リヴァイは舌打ちをし、「うるせぇのが来た」と暴言を吐く。
何のことを言っているのか首をかしげていると、誰かがこちらへと両手を上げて飛び跳ねるように走ってくる姿を目撃した。

ーーー!!」

「……ハンジさん!」

ハンジさんは馬へ騎乗する私の左足へ一目散に飛び付き、そのまま引き下ろすかのごとく力を込めてきた。その行動にリヴァイは、「危ないだろ、放せ」と怒声を上げ腹部に巻きつける腕に力を込めてくる。左足と腹部の間が引きちぎられる感覚に悲鳴を上げると、先に力を緩めたのはリヴァイであった。案の定、足を引かれるがままにアンバランスな姿勢で地上へと引きずり降ろされては、ハンジさんに全身で受け止められる。

……だよね、顔、見せて」

「うん、ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」

「間違いない、だ、戻ってきた……戻ってきた」

顔を包むように両頬に手を添えられ、真正面から見つめてくる。ハンジさんの顔は腫れた目から涙が溢れ、目の下にはくまが浮かび、鼻水がこれでもか垂れていた。
思いきり抱き締められ、無事で良かった、と鼻声で何度もささやかれる。
どれだけ心配をかけてしまったか、自分自身の情けなさと、何よりハンジさんの優しさから溢れる気持ちが目頭を熱くさせ、顔を隠すように強く抱き返した。

その後、リヴァイとエレンは任務がある為に古城へ残り、私はハンジさんの馬へ騎乗し兵舎へと帰還した。
兵舎は二週間後にせまる壁外調査を控えていることもあり、作戦の暗記、最終訓練、様々な準備から兵士達は忙しく動き回っている。
とりあえず全て把握しているであろうエルヴィンに謝罪をしに行きたいと馬を厩舎に繋いでいるハンジさんに告げれば、今は兵舎に不在らしく、帰ってきたら一番に報告しておくよ、そう返事を返された。
古城を出る際に、今日一日は身体を休めるようリヴァイに言われたので大人しく部屋へと足を進めていると、食堂前の廊下を通りすぎ階段を上っていたところで後ろから名前を呼ばれた。
下を振り向けば、ナナバさんが端正な顔をゆがませ階段を駆け上がってくる。追いつくなり私の両手をにぎり、無事でしたか!と声を上げてきた。

「いつ兵舎へ!?」

「さっきハンジさんの馬で……ごめんなさい、まさかナナバさんにまでご迷惑を」

「無事ならそれでいい。あの、今度ゆっくり話をしませんか。聞きたいことが山ほどあります」

ナナバさんの誘いを断る理由も無く縦にうなずけば、近いうちに声をかけます!と言うなり、駆け足で食堂へと戻って行った。おそらく今は忙しいのだろう。
(……聞きたいこと、か)
階段を上りきり廊下の端まで歩く。リヴァイと私が生活をする部屋はそこにある。
昨日ぶりに部屋へと足を踏み入れた途端、ふと目まいが起こった。額に手を当てベッドへと急ぐ。
倒れ込むようにベッドへ身体を預けまぶたを閉じると、外で訓練している兵士達の声がかすかに聞こえてきた。しばらくして体勢を仰向けに変え、窓から外を見上げれば綺麗な青空が広がっていた。小さな綿雲達が青空を堪能するべく、のんびりと流れて行く。
長い溜め息を吐きながら寝返りをうち、再びまぶたを閉じた。視界が暗くなると頭に思い浮かぶのは恐怖と反省、この二つである。
もし地下街でリヴァイとエレンが私を見つけ出せずの状況であれば、今ごろ知らない男に抱かれている最中だったかもしれない。あの男に唇を押しつけられただけでも気持ち悪かったのに……駄目だ、考えるのはよそう。
今回の一件で自分が東洋人であることを思い知らされた。東洋人である事実をつい最近教えられただけに実感していなかったのは確かだ。これからは自覚を持たなければならない。身の危険よりも、迷惑をかけてしまわないように、だ。にぎり拳で頭を少々強めに小突き、一人反省会である。
次第に自分のベッドの柔らかさに眠気が増し、もうすぐ眠りにつけるところまで行くのだが、なかなか寝付けない。おかしい、眠気はあるのに眠れないなんて。
何度めか分からぬ眠気で意識があいまいになってきた時、何かが頭に触れた。
……手、だろうか。頭上から首元までを優しく撫でてくる。ああ、フリルか。
寝ぼけた頭は昨日撫でられたフリルの手を思い浮かべるが、どこかで現実味のある意識がここは地下街ではないと言い張ってくる。
そうだ、兵舎にフリルがいたらおかしいだろう。そうなると、この手は誰だ。突如として恐怖心が増し、心霊現象が一番に思い浮かんだ。まさか、地下街から良からぬものを引き連れてきたのだろうか。ジッとしていることも出来ず、最大の勇気を振りしぼり勢いよくベッドから身体を起こしてみる。
おそるおそるベッドの横へ視線を移せば、驚く表情を浮かべるエルヴィンと目が合った。

「すまない、起こしてしまったな。ノックをしても返事がなかったから、勝手に上がらせてもらったぞ」

「エルヴィン……」

「……、大丈夫か」

ベッドの脇へと腰掛けるエルヴィンは身体を傾け、私の座高に合わせるように正面から顔を見つめてきた。
その顔はハンジさんと同じく目が腫れ、クマが浮かび上がっており、申し訳のない気持ちが溢れるばかりであった。仕事の疲れもあるだろうに、心労を上乗せするかのごとく心配をかけてしまったのは明らかである。

「あの、エルヴィン」

「なんだ」

「……ごめんなさい」

「謝罪の意味が分からないな」

「だって、私のせいで迷惑をかけたでしょ」

「違う。俺の監視が甘かったせいでこうなった」

謝罪を述べるのは俺の方だ、そう言いながら優しく、優しく、抱き締められた。
エルヴィンの大きな身体に包み込まれ、恐ろしいほどの安心感からノドの奥が熱くなる。目頭に溢れ出すのは、もちろん涙だ。
怖い思いをさせたな、と背中を叩いてくる仕草は子供時代の記憶と重なる。
「……そこで、考えたんだが」私が過去の懐かしさに浸っていると、少々低い声が頭上から降ってきた。

、これから兵舎を出る際、夕方以降は一人での外出を禁止にする」

「はい?」

「いいな、必ず守れ」

「……待って、それはいくらなんでも無理があるよ」

「無理なもんか。できることなら兵舎から出るなと言いたいところを我慢しているんだ」

「いやいや、外で仕事がある時はどうすればいのさ!?帰りが遅くなるときもあるのに」

「手の空いている者を迎えに行かせる、現場で待っているといい」

「そこまでしなくても大丈夫だから!」

「ならば、大丈夫と言いきれる意味を聞かせてもらおうか。俺を納得させてみろ」

その言葉に言い返すことができず、口ごもってしまう。まるで親に言いくるめられる子供だ。
大丈夫と言いきれる意味なんて、知らない人に声をかけられたら走って逃げる、ぐらいしか思いつかない。このような返事をすれば、それこそ子供だろう。
何か良い言葉は無いかと必死に考えるが、気持ちが焦りなかなか出てこない。
すると抱き締める力を強め、「心配なんだ、言うことを聞いてくれ」と、かすれる声でささやかれる。ここまで言われると断ることもできず、縦にうなずくしかなかった。
良い返事に満足したのか、そのままベッドへ寝かされ布団を丁寧にかけられる。今から壁外調査についての打ち合わせがあるらしく、ゆっくり休むよう私に言いつけ静かに部屋を出て行った。
夕方以降は一人での外出を禁止、となると仕事と生活を共に見直す必要がある。そもそも夕方って何時頃だろうか。午後5時?6時?もっと早い?
本日何度目か分からぬ溜め息をつき、窓の外を見上げる。先ほどと変わらずふんわりとした綿雲が流れていた。
(雲は自由だなあ……)
雲をうらやむ目で見続けていると、突如として窓が激しく揺れた。
今の、なに。
突風だろうか。しかし窓の近くでそびえ立つ木は葉っぱ一枚さえ揺れていない。今度こそ心霊現象か、と恐怖のあまり顔が青ざめ心臓の鼓動は足先にまで響きだす。
更には追いつめるかのごとく窓が叩かれ始め、そのたびに木枠の部分がきしむ音を立てた。
(どうしよう、さらわれた時よりも今の方が怖いかもしれない……!)
すると、窓の外から聞き覚えのある声が私の名を呼んできた。

さん!部屋にいますよね!?いるなら窓を開けてください!早く!」

「……エレン!?」

切羽詰まるようなエレンの声にあわてて窓を開けると、数センチしかない窓淵に指先だけでぶら下がっていた。
あまりの衝撃に悲鳴を上げてしまい、急いでエレンの腕を掴む。引きずり上げるように全力で力を込めると、上半身の半分が上がったところで後は身軽に窓を這い上がってきた。窓枠から部屋の中へ入ろうとすれば足を踏みちがえたのか何なのか、私の上へと覆いかぶさり何故か腹部に抱きついている。

「エレン、何考えてるの!危ないことして!」

「決まってるじゃないですか、会いたかったから来たんです!オレ何か間違ってますか?」

「間違ってはいないだろうけど……でも、いつ兵舎へ戻ってきたの?今日は古城で任務があるんでしょ?」

「あの後、打ち合わせに出席するよう兵長に伝令がきて。今回の一件もあり班全員で兵舎へ帰還することになったんです」

先ほどエルヴィンも打ち合わせがあると言っていた。
なるほど、幹部の話し合いというわけか。

「ねえ、どうして壁を登ってきたの?」

「壁じゃなくて木です。木から窓淵に飛び移りました」

「飛び移……危険すぎるでしょ!普通に兵舎の中から階段を上がって来ればいいのに。それに良くこの部屋だって分かったね」

「兵舎の中を気軽に歩けるような立場じゃないので……。部屋の場所は兵長の目線で分かりました」

「リヴァイの?」

「兵舎に帰還するなり、しばらくここの窓を見上げてたんです。簡単でしたよ」

さらりと告げるなり身体を起こしたエレンは、ベッド横の床へと座りこちらを見上げてくる。その表情は笑顔であった。
地下街で見た無表情など考えられないほどに良い表情であり、思わず私も笑顔になってしまう。

「床に座らないで、こっちへおいでよ。ベッドの脇に座ればいいから」

「いや、ここでいいです」

「遠慮なんてしなくていいのに」

「違います、我慢してるんです」

何を我慢しているというのか。まあ、エレンがそれで良いなら何でも良いけれど。
とりあえずエレンに言いたいことがあるので、私も床へと座り向き合うよに正座をした。そしてゆっくりと頭を下げる。
そんな私の態度にエレンは戸惑いを見せてきた。それでも頭を床にこすりつけ、今の思いを言葉にしてみる。「助けに来てくれて、ありがとう」と。
本来なら私がエレンの元へ出向き礼を言うのが礼儀なのだろうが、引き延ばすのも可笑しな話なので、この場を借りることにする。

「そんな、やめてくださいよ!さん、頭を上げて!」

「エレン、本当にありがとう。今度何かお礼させてね」

「へ、お礼……ですか?」

「欲しいものがあれば言ってよ。食べたい料理とかでもいいし。何でもいいよ」

「何でもいいって、本当に?」

「うん!遠慮なく言ってね」

「か、考えます!」

その場から勢いよく立ち上がったエレンは、顔を私に見えないよう背けるなり駆け足で窓から出て行ってしまった。途端、何やら外で豪快な音が鳴り響き、あわてて窓から下を見てみるとエレンが地上で倒れており、またも悲鳴を上げてしまう。
しかし何事も無かったように身体を起こしては、こちらへ手を振り厩舎の方へ走って行った。
(……大丈夫だろうか!?)

エレンが出て行ってからというもの、もう一度ベッドへ横になりまぶたを閉じてみるが一向に眠気は来ない。そんなことをしているうちに空は暗くなり始め、いつの間にか兵士達の威勢の良いかけ声も聞こえなくなっていた。
兵舎へ帰ってきたのが昼過ぎ、今は夜。その間ベッドで時間を費やしていたというのに、何故か逆に身体がだるく感じる。毎日動き回っていると、それが普通になるのだろうか。身体を起こし首や肩を回してやると、なまった筋肉が引き伸び気持ちが良い。
少しでも動こうと乱れたシーツを整えていれば、部屋の扉が開いた。中へ入ってきたのは、もちろんリヴァイである。

「リヴァイ!……あの」

「今から掃除するぞ」

「はい?」

「俺はここを掃除する。お前は風呂場だ」

帰って来るなり何を言い出すのだ。
呆然と立ちつくしていると、その間にもリヴァイは兵服を脱ぎ掃除スタイルへと変身する。この格好になるということは本気で掃除するつもりだと理解し、指示通り風呂場へと向かった。良い方に考えよう、これは身体を動かせる良い機会かもしれない。
脱衣所に置いてある掃除道具一式を取り出し、風呂場の溝に入り込むカビを掘り起こしてやろうと気合いを入れる。しかし、綺麗好きな誰かさんのおかげでカビなど一つも生えていなかった。見渡せば掃除する場所なんて無い。結局私はここへ何をしに来たのだ。
両手にタワシを持つ自分に吹き出しそうになっていると、リヴァイの掃除している部屋から木の裂けるような破壊音が聞こえた。
何事かとあわてて駆けつけてみれば……本当に破壊していた。私のベッドを。

「待って、待って待って!リヴァイ!それ私のベッド!何してるの!」

「ああ悪い、足がすべってな」

「嘘つけ!思いっきり蹴ってるじゃないの!」

「うるせぇな、どっちでもいいだろ」

「どっちでも良くないわ!もう!」

「よし、掃除は終わりだ」

破壊されたベッドを部屋の隅へとやり、リヴァイは何事もなかったように風呂へ入って行った。
(あれ、掃除は終わりって、私のベッドを破壊することが掃除だったの?意味不明だ……!)
先ほどまで身体を横にしていたベッドが、中心部分から真っ二つに破壊され、無残に裂かれた木板は凶器のようにトゲとなっている。このようなベッドで寝るとなると拷問でしかない。
しばらくして風呂から上がったリヴァイは、いつも通りソファーへと腰掛けくつろぎ始めた。おいおい、謝れよ、私に謝れよ、と心の中でつぶやくが声には出せず。
気分を落ち着かせる為に無言で風呂場へと向かい、頭から水をかぶった。
リヴァイが意味不明を発動するなど今に始まったわけではない。いい加減、私も慣れないと、だ。
しかし怒りを抑えるのはなかなか大変なもので、いつかリヴァイのベッドも破壊してやる、そう心の中で復讐計画を立ててしまう。
風呂を上がった後、いつもなら自分のベッドへ腰かけるのだが、そのベッドが無残な姿となっている為にリヴァイのベッドへと腰掛けた。何故かリヴァイもソファーから立ち上がり、私の横へと腰掛けてくる。

「……気分はどうだ」

「最悪」

「最悪?まあ、そう簡単に恐怖心はとれねぇか」

何か話が食い違っている気がする。
リヴァイの言う気分とは、地下街から帰ってきて少しは落ち着いたか、そこを聞きたいのだろう。私ときたら、ベッドを破壊された気分をそのまま言ってしまった。

「ごめん、違う!もう何ともないよ」

「は?別に隠す必要もねぇだろ。正直な気持ちを言えばいい」

「本当だって、リヴァイ達が助けに来てくれたから、今となれば結構平気」

「……そうか。ならいいんだが」

するとリヴァイが手に持っていた手ぬぐいで私の髪を拭いてきた。さっさと乾かして寝るぞ、と言いながら。
そこで気付く。寝ると言っても、私は今日からソファーで寝ることになるのだろうか。
(駄目だ、また怒りが湧いてくる……!)

「ねえ、私は今日からソファーで寝ればいいの?結構ひどいことするよね、リヴァイ」

「今日からは俺と一緒のベッドで寝る。それでいいだろうが」

「……え」

「なんだ、ソファーも破壊してほしいのか」

「いや、いやいやいや、ええ!?」

結局、髪を乾かし終えそのままベッドへと引きずりこまれた。
これから毎日リヴァイと一緒のベッドで寝るだなんて、私をどこまで睡眠不足に追い込むつもりだろうか。恐ろしくて熟睡などできる自信がない。
こちらの気持ちなど知る由も無く真正面にある顔は私を見据え、お前は運が無いな、と言い放ってきた。……リヴァイは私を怒らせたいのだろうか。
まあ、確かに運が無いと言われればそうかもしれない。今だって破壊されたベッドがそれを物語っている。

「東洋人として産まれ、変な奴らに目をつけられ、結果悲惨な目に遭う」

「その通りだけど……人種ばかりはどうにもならないよ」

「何より俺と出会ったことだ、一番運がねぇな」

「は?」

「俺に目をつけられて、可哀相に」

そう言いながら、頬を撫でてきた。
今の会話に疑問が浮かぶ。リヴァイに出会ったことを運が無いの一言で言いきる意味が分からない。そのような考えしたことも無い。
リヴァイはどういう意識で私と接しているのだ。
「勝手に私の運を決めつけないで」と、気付けば口走っていた。

「リヴァイのことを悪く言わないでよ」

「それを本人に言うか、お前は」

「だってそうでしょ!リヴァイはね、優しいの。いつも私を見てくれてる、大切にしてくれてる、本当にありがとう!バカ!」

「……泣くな、俺が泣かしたみたいだろ」

「リヴァイが変なこと言い出すからでしょ!」

涙がぼろぼろとこぼれ、しゃくり上げる呼吸を繰り返していると、胸元に引き寄せられ抱き締められた。
ハンジさんやエルヴィンに抱き締められた時と比べものにならぬほど涙が溢れ、何故か悔しくなりリヴァイの寝巻へ涙と鼻水を遠慮なく押しつけてやった。
まさか、このような弱々しい姿を見せることになるとは。
ふと心許した今、「あの男に唇を押し付けられた時こそ、運が無かったよ」と言ってみる。

「私にすれば初めてだったのに、まさかあんな形で奪われるなんて」

「……初めて?」

「うん、初めてだったの」

「違うだろ」

「え、いやいや、初めてだよ。そんな仲になった人なんていないし」

「子供の頃は額や頬にしていたんだが、気付けば口にしていた」

「待って、何それ、何の話?」

の寝顔にな。気付かなかったか?」

「……はい!?」

衝撃的な事実に顔を見上げれば、額と頬に唇を這わされ、そのまま口へと重ねられる。一瞬のことだった。
「さあ、寝るぞ」と岩のごとく固まる私の頭を撫で、リヴァイは次第に寝息をたて始める。
(今、今、何が起こった?あれ?混乱しているの私だけ!?)




――人生とは何が起こるか分からないもので。





とりあえず、明日は究極の寝不足である。








*END*








-あとがき-
第15話、ご覧いただきまして、ありがとうございました!
ついにリヴァイ兵長が!行動に!出ました!笑
最後の最後に少しは甘さを出せたでしょうか……!?
少しでも楽しくご覧いただけたのでしたら、最高の喜びです。
これにて純血人生の第1部は終了となります。

本当に、本当に、ありがとうございました!!!!