純血人生 22.5






日当たりの良い庭先で洗濯物を干すの姿を見たのが全ての始まりだ。
その頃はお互いが名前さえ知らず、すれ違えば挨拶をする程度の関係であった。
二人がお互いの目を見て会話をしたのは、エルヴィンより地下牢の掃除を命じられたあの日が初となる。
その記念すべき日となる前日の夜、ナナバは馬の不調から任務が延滞になったことを審議所より帰還したエルヴィンへ報告に向かっていた。
執務室へ足を進めている途中、食堂の前を通りかかったところで何やら焦げた匂いが鼻につき中をのぞいてみると、深夜だというのに厨房はランプの光と何故か立ち昇る炎で赤々としているではないか。ナナバはあわてて厨房へと駆け寄った。
するとそこには額に汗を浮かばせながら仕切りに鍋を振るうエルヴィンがおり、普段とは似ても似つかない姿から素っ頓狂な声を上げてしまったのは言うまでもない。
なにより、厨房が大惨事となっている様に驚くしかなかった。
無駄と言えるほどの炎を使い、鍋の中で炒られているのは黒い何かである。かろうじて緑の部分が見えることから、おそらく野菜だろうと予想はついた。その隣では原型をとどめていない魚が焼かれており、またもう一つ隣では音を立てながら噴きこぼれるスープが恐ろしいほどに煮立っていた。
あまりの衝撃的な現場に、料理が趣味のナナバとしては顔が引きつってしまう。
耐え切れずエルヴィンに声をかけたはいいものの、次の瞬間。

「エルヴィン団長、団長!」

「ん?お、ナナバか、どうした?おっと、汗が料理に入ってしまう」

鍋の横に置いていた手ぬぐいで汗を拭おうと腕を伸ばせば、準備していた皿に手が触れてしまい床へと落下。
皿の割れる激しい音が食堂内に響き渡った。

「な、なにしてるんですか団長」

「いやな、がそろそろ帰ってくるだろうから夕食をだな。ああ、皿が……」

「あああ!危ない!素手で割れた皿を触っては駄目ですよ!」

ナナバはエルヴィンに、そこから一歩も動かないでください、と指示を出し、あわててホウキとチリトリを用意した。
皿の破片を回収し、指示通り一歩も動かず未だ鍋を振るうエルヴィンを呆れた表情で見上げる。

「……その野菜、いつまで炒めているつもりですか」

「野菜についているかもしれない菌が消滅するまでだ。の胃袋に入るのだから、念には念をだろう」

「野菜にそこまで有害な菌はついていませんよ。それに炒めすぎると栄養分が消えてしまい逆効果です」

「そうなのか?」

「ええ」

ナナバの言葉にエルヴィンは鍋の中で黒くしおれる野菜を見つめては、の為にしたことが裏目に出てしまった、などと悲しげにつぶやき出す始末だ。
その姿は調査兵団の団長と思えないほどの哀愁をただよわせており、ナナバは更に顔を引きつらせた。
(団長が鍋を前にして悲しい表情をするなんて……)
見てはいけないものを見た気がふつふつと湧いてくる中、話題を切り替え本題である任務が延滞になったことを告げる。
仕事の話となった為かエルヴィンは表情を切り替え、うなずいた。

「任務が延滞ということは、明日の朝は時間があるんだな?」

「はい、特には」

「ちょうどいい、頼みたいことがあるんだ」

「私に、ですか?」

「巨人になれる兵士が明後日に調査兵団の兵舎へと立ち寄ることとなっていてな」

「巨人になれる兵士……まさか、あのうわさになっている少年が!?」

「そうだ」

それゆえしばらく放置されている地下牢の掃除をしてくれないか、とエルヴィンは言う。
巨人になれる者が兵舎へ来るなど危険なのでは!?そうナナバは考えたが、口元に手を当て言葉にはしなかった。
エルヴィンが決めたことに口出しをしたところで何もならないのが現実だ。それに報告では本人自身も巨人になれる体質だと今まで知らなかったと聞いた。極めつけには巨人になれるとはいえ104期の新兵であること。後輩を大切にしたいと思う気持ちは先輩兵の中でも特にナナバは強く持っている方だ。
回収した皿を見つめながら顔をうつむかせるナナバに、「にも頼むつもりでいるんだ。掃除用具などは彼女から聞き出してくれ」とエルヴィンは言葉を付け加える。

「……さん、ですか?」

「ああ、あまり面識は無いか?」

「挨拶をする程度です」

「そうか。気前の良い子だぞ、心配はいらないさ。二人で気軽に掃除をしてくれ」

さて、もうひと踏ん張り料理を頑張るとするか!などと兵服のジャケットを脱いでは腕まくりをし出すもので、ナナバは静かに食堂を後にした。
ナナバの知る限り、という人物は兵団のサポート役であり、リヴァイと親しい関係にあるということしか情報としては知らない。
リヴァイと親しいといっても、家族なら兄妹なのか、親戚なのか、はたまた恋人なのか、それさえ不明だ。
何であれ、先ほどのエルヴィンの手料理をは食べることとなるのだろう。
明日、腹痛を起こさないよう割れた皿の破片をゴミとしてまとめながら、密かに祈るのであった。

翌朝、少々早めに目を覚ましたナナバは寝巻から兵服へと着替えを済ませ、簡単な朝食をとり、地下牢へと足を進めた。
何時から掃除を始めるかなど打ち合わせも何もしていないので、早めに行動しておけば間違い無いだろうとの考えからだ。
地上より地下へと続く階段を下りていると、次第にホコリっぽく冷たい空気へと変わり、軽く咳き込んでしまう。
最下層へたどりつき扉を開けると、更に空気が重く肺がうずいた。思わず扉を全開にし、兵服のジャケットを脱いで空気を外へと扇ぎ送り出す。
しばらくして地下の空気にも慣れてきた頃、開けていた扉を閉め、地下牢の中をのぞき見た。
あらゆる拘束具が散らばっている中で、中心にベッドが一つ置かれている。それを見て、ナナバは鉄格子を鷲掴んだ。
いくら巨人になれる体質とはいえ、新兵をこのような牢に放り込むなんて、と心が痛んだのだ。

「……あれ、ナナバさん?」

地下牢には似合わぬ女性の明るい声。
声のする方を振り向けば、扉前で足元をふらつかせながら両手いっぱいに掃除用具を抱えるがいた。
言ってくれれば手伝うのに!そう心でつぶやきながらへと駆け寄り、掃除用具一式を奪い上げる。
その瞬間である。
の髪がふわりとなびき毛先がナナバの手元をかすった。つい目を奪われ、立ち往生してしまう。
(うわ、綺麗な髪……)
ぼんやりと見とれていれば、ナナバの顔を見上げてきた目と合い反射的にそらしてしまうのであった。
地下牢の掃除は何からすれば良いかと少々上ずった声でその場をまぎらせ、牢の前へと足を進める。

二人で他愛ない会話をはさみながら掃除をしていると、「人気があるにも関わらず何故誰とも親密な関係にならないのですか」とはナナバへ質問を投げかけた。
質問に対し、「憎しみの塊みたいな人間を恋人にするのは嫌でしょう」そう答えを返すと、何とは床へ頭をこすりつけ土下座の体勢をとってきたのだ。
この展開にはナナバも目を見開いて驚き、あわてふためいてしまう。
ただ、綺麗な髪を床へ散らしながら頭を下げる姿は、ナナバの心を揺さぶるのに十分な根拠であった。

地下牢の掃除をした日より、の姿を見かけると目で追いかけ、仕舞いには無意識に後をつけ物影より眺める日も増えた。
その中で、やはり気になるのはリヴァイの存在である。
同じ部屋で暮らしている、この事実にナナバの胸は痛みと嫉妬が渦を巻き、夢にまで見るようになるのだ。
勇気を出し話しかけようとしても何の話題をもちかければ良いか考え付かない上に仕事もあるので、一日に一度も姿を拝まずに終わる日もある。
気持ちを上手く整理できていない日々を過ごしていると、ある日、とんでもない事件が起こった。
がさらわれたのだ。
調査兵団の幹部である、エルヴィン、ハンジ、ミケの三人はがさらわれたことに対し、落ち着きながらも重い空気を張り巡らせ焦りを見せていた。
焦るのは当然の事であるが、エルヴィンの指示にナナバは首をかしげることとなる。
エルヴィンはミケへ、「見世物小屋を片っ端から探ってくれるか」と指示を出したのだ。
(見世物小屋……?)
いても立ってもいられないナナバは手伝わせてくれと志願し見世物小屋を探ることとなるのだが、いくら考えてもふに落ちないでいた。

結局、は見世物小屋ではなく地下街へさらわれていたようで、リヴァイとエレンが救出したとハンジから報告を聞かされる。
「地下街」と聞き更なる疑問が浮上したが、後日、壁外調査を目前とした日に本人から事実を告げられるのであった。
――東洋人であると。
東洋人は莫大な値で売れると有名な話で、何故わざわざ兵舎で働いている女性を連れさらったか、見世物小屋を探った理由、地下街へさらわれた理由、疑問に感じていた全てが繋がった。
その日、意外な答えを見い出されたところで、ナナバは頭上付近から鋭い視線を感じるようになる。
しかし気付かないふりをし、隣へ座ると楽しい会話を繰り広げていれば、彼女の頭上へと雑巾が降ってきた。
犯人はリヴァイであり、三階の窓から木を伝い下りてくる古参の仲間を無表情で見つめる。
案の定、睨まれる展開となるのだが、ナナバはリヴァイの眼光に屈せず視線をそらさなかった。
(……悪いけど、ここであっさり引くような人間ではないよ)
ナナバの目が気に入らないとでも言うようにリヴァイは舌打ちをし、その場を離れたのだが。
ふとへ視線を移すと、去って行くリヴァイの姿を優しい表情で見つめており、胸が黒くざわついた。

壁外調査から帰還した日より、ナナバはと過ごす時間をいくらか得ることができた。
以前にエルヴィンがへ手料理を作っていたことから、是非自分の手料理も食べて欲しいと考え、二日に続けて振る舞った。
それはそれは幸せな時間であり、気前の良いはナナバの最大のワガママまで叶えてしまう。
同じベッドで一夜を共に過ごしたのだ。
ベッドへ入り数時間後、ナナバは熟睡できず浅い眠りから目を覚まし、隣ですやすやと眠るの髪を好き放題に触っていると。

「う……ん……」

「(あ、寝言……)」

「やめて、よ、リヴァイの……バカ」

「……夢の中でもリヴァイ、か」

との会話は楽しい、わくわくする、もっと笑顔が見たい、喜ばせたい、仕草が可愛い……ナナバの心には完全に熱い火がついていた。
けれど、人生そう上手くいかないものだと彼は知っている。








――そう、私は知っている。
次々に死んでいく仲間を見てきた者は、皆知っていることだろうけれど。
私もその一人にすぎない、ということを。

今、巨人に手足を掴まれているようだ。片足を千切られ、あまりの激痛に他の部位は痛みを感じなくなった。
ただ、胸だけが痛い。
様々なことが、悔しくてたまらない。
このどうにもならない状況の中、悔しさに縛り付けられて私は死ぬのだろうか。

涙の浮かぶまぶたを開くと、巨人共の頭の隙間から憎らしいほどに綺麗な満天の星空が視界に飛び込んできた。

「……ああ……さんと一緒に見たかったな」

次の瞬間、視界いっぱいに巨人の口内が映しだされ、意識を手放したのであった。









*22.5 END*









-あとがき-
22.5話、ご覧くださいまして、ありがとうございます!
ナナバさんの最期を書き上げたくて、ちょっとした寄り道でした。何と言いますか、ハッピーが皆無でしたね。おおう。
純粋なように見せかけて、実は物影から見ていたという……すみません。
余談ですが、連載の中で甘さ担当ナンバーワンはナナバさんであるように思います。笑

純血人生第2部も残りわずかでございます。
ありがとうございました。