純血人生 22







耳を引きちぎりたくなるような報告を聞くことになる、前日。

ナナバさんが部屋を出て行ってからというもの、結局眠ることができずベッドの中で何度も寝返りをうつばかりであった。
人の部屋とは主がいてこそ落ち着いていられるもので、主が不在になると途端に妙な不安が押し寄せてくる。
結局三十分もせずしてベッドから起き上がり、寝巻として借りた服を脱いで自分の服へと着替えた。
窓を開けて空気の入れ替えをしながら、少々乱れているシーツと掛け布団を正す。
ベッドの横に設置されている小さな台の上では、昨夜部屋へ入るなり手渡された花瓶と、刃物と、ヒモが朝日を浴びながら虚しく存在感を放っていた。
それらを見つめていると、次第に笑いが込み上げてくる。
「身の危険を感じたら、これで私を殴るなり刺すなり絞めてくれればいいから」そう告げてきたナナバさんの表情は真剣そのもので、女性に慣れていないんだな、と失礼ながら即座に理解した。
二日続けて手料理をご馳走になり、うなじは見せない方いいと髪をほどかれ、一人で眠れそうにないとの誘いから一緒のベッドで睡眠をとった。
一連の出来事を思い返すと、そわそわする何かが心を揺さぶり頬から耳にかけて熱くなる。
更にナナバさんは、私に想いを告げると言ってくれた。たまらず心臓が高鳴ったのをはっきりと覚えている。

――けれど……

何故だろう。先ほどから、一人の人物が今の状況を蹴り破るかのように頭の中をかき乱してくるのだ。
(……頭の中が、リヴァイだらけ……)
子供の頃破いた服を繕ってくれた器用な手、不機嫌な表情を浮かばせながらしつこく問い詰めてくる性格、掃除や草むしりを必死にしている姿、もっと俺に甘えろと言い放ってきた口元、地下街へ助けに来てくれた時、全裸だった私にあわてて服を着させてくれた優しさ、自分と出会ったことを不幸だと告げてきた弱々しい声。
次から次へとリヴァイと過ごした記憶が浮かんできては、先ほどとは比べ物にならぬほど心臓が高鳴り、身体全身を熱くした。
リヴァイのことを考えながら、ふと正したベッドを見下ろすと、恐ろしいほどの恐怖が徐々に湧いてくるのであった。
……もし、今ここへリヴァイが来たらどうする、ナナバさんの部屋で突っ立っている姿を見られたらどうする、何を言われる、もしかすると殴られるかもしれない、突き放されるかもしれない、邪険に扱われるかもしれない。
兵舎にいるはずのないリヴァイが、どこかで自分を見ているかのようで、熱くなった身体は一気に冷め、震えだす。
急いで開けていた窓を閉め、廊下へと出た。ナナバさんから預かったカギを取り出し扉のカギを閉める。そして、自室へと走った。
階段を駆け上がり、廊下を走り抜け、リヴァイと共に生活をする部屋の中へ勢いよく足を踏み入れる。
息を切らしながらベッドの中へともぐり込んでは、リヴァイの枕を思いきり抱き締めた。
凍えそうなほどに冷え切ったベッドだが、それさえ愛しく思える私はどうかしているのだろうか。
リヴァイと出会い、私は彼に満たされて生きてきた。良いことも、悪いことも、何もかも全て。
言うなれば、私の人生はリヴァイという大木から成り立っている。彼に拾われたからこそ、様々な実のなる枝が、「今が」あるのだ。
このような考えを持つ私に想いを告げられたとしても、おそらく……。
そんな私の気持ちを見抜いてか、ナナバさんはこう言っていた。思いきりふってくれていいからね、と。
さすがだな、と思う。心の器が大きい上に、相手をよく見ている。
リヴァイと今の心地良い関係を崩したくないが為に、何かと見て見ぬふりをしている私などとは大違いだ。
ああ、考えれば考えるほど、自分が情けない人間に思えてならない。
ナナバさんを放っておけず一緒のベッドで寝て、何もなかったにせよ一夜を共に過ごしたのはまぎれも無い事実である。
逆の立場に置き換え、リヴァイが女性と一夜を共にしたと知ったら私はどう思うだろうか。……案の定、少し考えただけで涙があふれた。
(ごめん……ごめん、リヴァイ、ごめん、ごめんね。……ナナバさん、ごめんなさい、ごめんなさい)
リヴァイの枕に顔をうずめ、二人に謝罪を何度も繰り返した。

二時間後、私は兵舎に取り付けられている鐘の音で飛び起きることとなる。
いつの間に眠ってしまったのか、胸元に抱いていたリヴァイの枕は私の顔からあふれ出た涙か鼻水かヨダレか何かで、しっとりと濡れていた。
先ほどとは別の意味で、ごめん!と繰り返すが、後々のことを考えると背筋が凍りついてしまう。見つかれば罵声を浴びること間違いなしだ。
放っておけばシミになってしまう可能性もあるので、とりあえず枕カバーは洗濯するべきだろう。
あわてて身だしなみを整え、取り外した枕カバーを片手に持ち部屋を後にした。
仕事に私情を持ち込むことは好かないので、気持ちを切り替え今日の洗濯物を取りに行くと、そこにはいつもの量に比べて三分の一にも満たない洗濯物が置かれていた。
エルヴィン達と共にウォール・シーナへ行っている兵士から、ナナバさん達のように別の任務へ就いている兵士。
現在兵舎にて待機している兵士は、前回の壁外調査で負傷した者などを含め、ごくわずかであった。
まあ、いくら量が少ないとはいえ仕事は仕事。洗濯カゴに全て詰め込み、井戸のそばへと運ぶ。
井戸の水を汲み上げ、湿った枕カバーと兵士達の洗濯物を丁寧に揉み洗い、シワがつかないよう時間をかけて干したが、すぐに終わってしまった。
洗濯カゴを片付け、昼食の準備を手伝い、その後は兵舎内の草むしりから廊下の掃除、思いつく限りの箇所を徹底的に掃除した。
何がしら時間を持て余してしまうと、今の私は余計なことを考えてしまうと目に見えているので、とにかく身体を動かすに限る。

夕方、乾いた洗濯物を取り込み、そろそろ夕食の準備を手伝おうと食堂へ足を進めていた時だ。
外より大きな声が響き、何事かと窓を開けて顔をのぞかせば、「緊急事態だ、伝令を伝えにきた!」と馬に騎乗した兵士が兵舎の門付近から呼びかけている姿を見つける。
急な呼びかけに人手の薄い兵舎内も騒然とし、皆が皆外へと駆け出した。私も同様に外へと掛け、伝令が何であるか聞き耳を立てる。
その伝令とは、ウォール・ローゼの南西に巨人が現れた、との内容であった。
あまりの急な事態に私は唖然とするばかりであったが、兵士達は即座に理解し最悪な状況であると口々につぶやき始める。
ウォール・ローゼに巨人が現れたということは、またしても巨人によって壁が破壊されたことになるのだろうか。
とにもかくにも「南西」と聞き、一番に思い浮かんだのは昨夜ナナバさんと交わした会話である。
新兵とウォール・ローゼの南区へ行くとナナバさんは言っていた。となると、巨人と遭遇している確立も高いのでは……。
ふと、壁外へ行き、帰還せず、真っ白な姿で別れを告げに来たペトラの姿が脳裏をよぎった。
生死と常に向き合うのが調査兵団の使命であるのは分かっているけれど、それでも、必ず生きて帰ってきて欲しいと祈るのは当然だろう。
誰かが死ねば、生きている者の背負う辛さが積み重なるばかりだ。
南区へ向かった兵士達の安否を祈っていると、サポート側の上官から肩を叩かれた。
なんでも、調査兵団の兵士は南区へ向かった者を除き、全員がウォール・シーナへ出向いているとのこと。
おそらく巨人を発見した南西に一番近い「エルミハ区」を拠点としウォール・ローゼへ向かうはずだ、そう上官は言う。
今すぐ食糧と野戦糧食、刃、ガスの補給ボンベを幌馬車に積むよう指示が出された。
ようするに、準備が出来次第エルミハ区へと向かうということだろう。
数十分後、トロスト区の避難民を対応していたサポート側の先輩や同僚達が息を切らせながら兵舎へとやってきた。
地下街へさらわれて以来、兵舎の外へ出る仕事から外されていたので、皆とは久々に顔を合わせることとなる。
大変だ、大変だと騒ぎながらも、私の姿を見つけるなり皆がこちらへ駆けつけてくれ、ほんのひと時だったが笑顔であふれた。
とはいえ現状を考えると笑っていられる余裕は無く、食糧、刃、ガスの補給ボンベを手分けして幌馬車へと積み込んでいく。
間もなくして準備が整うと、休憩する間も無く兵舎を出立した。
サポート側の私達は物資を詰め込んだ幌馬車内へ乗り込み、狭い幌の中で少々会話を弾ませていた。
途中、速度を上げて道を走行していると、幌の間から、馬に騎乗した兵士を先頭に集団で歩く人々の姿が見えてきた。その人達を見て横にいた先輩が、トロスト区の避難民だ、とつぶやく。
トロスト区の避難民も大変である。以前の騒動で住まいが破壊されこちらへ避難してきているというのに、またも巨人が現れたというのだから。
今は避難民だけでなく人類が皆、壁の奥へ、奥へ、逃げるしかないのだろうけれど。
つい数年前まで百年の平和が続いていたというのに、今ではウォール・マリアを放棄し、最悪の場合はウォール・ローゼも……。

ウォール・シーナの壁門が見えた頃、辺りは暗闇と化し、月の輝く夜になっていた。
幌馬車の手綱を握る兵士が、「もうすぐ到着しますよ」と声をかけてきたので、私達は物資をまとめ、すぐにでも降りられる準備をする。
エルミハ区の壁門をくぐり、避難する者達を避けて人通りの少ない道から更に奥へと走行を続けた。しばらくすると徐々に速度を落とし、馬が足を止める。
ご苦労様です、との声と同時に後ろ部分の幌がめくられ、調査兵団の兵士二人が軽く頭を下げてきた。
まるで私達が来るのを予測していたかのような待遇に首をかしげると、エルヴィン団長が兵舎より物資の補給が来るだろうと我々をエルミハ区へよこしたのです、そう告げられる。
それには驚くしかなかった。打ち合わせも無しに予測で兵士を動かすなど、頭のキレる者にしか出来ない行為だ。
エルヴィンが調査兵団の「団長」として慕われている意味を、改めて思い知らされる。
私達と兵士で物資を幌馬車から全て降ろし終え、息をつく暇も無くガスの補給を教わることになる。これは私が自ら申し出たことだ。
人手が少ない今、何事も協力し合わなければならない。
裏を返せば、巨人の討伐をする戦闘技術は欠片も持ち合わせていないので、戦闘に直接関わる何かで手伝えることとなると、ガスの補給ぐらいしか無いと思いついた結果だ。補給の間に兵士達が少しでも身体を休めてくれると良いのだが。
補給の仕方は意外にも簡単で、数分で覚えることができた。
もうじき調査兵団の一行が到着するので補給を手伝ってあげてください、と補給の手順を教えてくれた兵士に言葉をかけられ大きくうなずく。
もちろんだ。この非常事態で役に立てることがあるのなら、何でもする心構えだ。
兵士の言葉通り次々に調査兵団が到着し、野戦糧食、替えの刃、ガスの補給、松明を備えた上で、壁上へ行ける西側のリフトの準備を始める。
私も同様にあわただしく動き回っていると、「あれ、さん!?」と声がかかりそちらを振り向けば……。

「……あ、あ、エレン!」

「どうしてここに!?」

「ウォール・ローゼの南西に巨人が現れたって伝令がきてね。上官の指示でエルミハ区へ物資を届けに来たの」

「そうだったんですか……さん」

ガスの補給をするフリをしてください、とエレンは抱え持っていた立体機動装置からガスボンベを取り外し、接続部分を途中まで緩める。
ガスボンベの中身は満タンらしく、補給をする必要は無いとのことだが。何故、補給をしているフリをする必要があるのだろうか。
するとエレンは私との距離を詰め、ガスボンベを手渡してきた。手渡されたのでそれをしっかり受け取ると、掴んだ手の上から手を重ねられ、古城の地下牢で言いそびれたことを今言ってもいいですか、そう耳元でささやかれる。

「そう言えば、何か言いかけてたね」

「あの、この騒動が終わったらオレに、さんの時間を五分、や、やっぱり十分ください」

「……は?十分?」

「ダメですか?」

「いやいや、十分と言わずに二十分でも三十分でもあげるよ。会話がしたいんでしょ?」

「まあ、その……」

「とりあえず、分かった!近いうちに時間を作ってお話しようね」

私が笑顔で返事をすると、エレンは眉を垂れ下げ、うつむいてしまう。
手に込める力を強めてくるので、「どうしたの」と声をかけてみるものの、返事は無い。一体何を思い詰めていると言うのか。
このままではいけないと考えついた私は、重ねられている手を持ち上げ、彼の頬に添えた。そして、白い肌がむき出しになっている耳をつまんでやる。

「……この非常事態に、何て顔してるの!しゃきっとしなさい!」

「ええ!?」

「ほら、ガスボンベもちゃんと装着して、刃の補充はできてる?」

「あ、はい、大丈夫です!」

「よし!……そうだ、私の血で汚れたシャツは?」

「……持ってますけど」

「ちょっと貸して」

「え、どうしてですか」

「奪ったりしないから、貸して」

エレンは手を差し出す私に、しぶしぶ懐からシャツを取り出し、渡してきた。
手渡されたシャツを思いきり抱き締め、エレンを守るよう祈りを込める。
その行動にエレンは目を見開き驚いていたが、どうせ手放さないのなら、このシャツが少しでも彼の役に立てばいいと考えついた上での行動だ。
そこへタイミング良くハンジさんの声が響き、あわててシャツをエレンに返せば、「……ありがとう、さん」と一瞬だけ私の肩へ顔をうずめ、即座に距離を取った。

!物資を持ってきてくれたんだってね、ありがとう!」

「とんでもない!ハンジさんはガスの補給しなくて大丈夫?」

「補給はさっき済ませたんだ。……今夜は何かと大変な夜になりそうだけど、サポート頼むよ、

「うん、できることなら何でもするからね」

お互いうなずき合い、ハンジさんは立体機動装置にガスボンベを装着するエレンに声をかけ、難しい単語が飛びかう作戦内容を話し始めた。
おそらくエレン達は今からウォール・ローゼへと進出するのだろう。できることなら行って欲しくは無いが、そのようなワガママを言えるわけもない。
やはり私には皆が無事に帰還してくれることを祈るしかないのだ。
ハンジさんとの会話を終えたエレンが軽くストレッチをしていると、二人の若い新兵が駆け寄って来た。見覚えのある顔に、あ、と思う。
以前、トロスト区から壁外調査へ行く調査兵団の見送りに行った時、エレンと一緒にいた訓練兵の二人だ。
(そうか、調査兵団に入団したんだ……)
同じ兵舎にいながら全く気付かなかったということは、顔を合わせぬほど二人がよっぽど忙しい日々を送っていたのだと予想がつく。
入団して間もないというのに、立派なものだ。
「エレン、そろそろ出発みたい」そう黒髪の女の子が言えば、「覚悟を決めなきゃね」と金髪の男の子が額に汗を浮かばせながら小さな声でつぶやき、拳を握りしめた。
その後、めずらしくもハンジさんの怒鳴り声が聞こえ、辺りにいた者達は騒然とする。
声のする方へ目をやれば、何やら一人の男性に、「話すか黙るかハッキリしろよ、お願いですから!」と食って掛かっている最中であった。
男性はいかにも困った表情を浮かばせ、目を伏せている。
ハンジさんに攻め寄られ切羽詰まった男性の首元にマリア、ローゼ、シーナの紋章をつけていることから、ウォール教に関わりある人物だということは一般人の私でも分かった。
ウォール・ローゼを破壊されたかもしれないという危機的な状況で、何故ウォール教の人物が兵団に連行されているのか。
疑問に思いながらも男性がどのように口を割るか見つめていると、その後方より、こちらに視線を向けている人物と目が合う。
視線が合った途端、反射的に勢い良く立ち上がってしまい名前を呼びそうになったが、現場の空気をかき乱す行為だと気付き口元を両手で押さえた。
直後、ウォール教の男性が言い放った話の内容にエレン達は目を見開きあわてて駆け出して行く。ハンジさんも後を追い西側に設置されているリフトへと駆けて行った。
取り残されたウォール教の男性は、額に手を当て、低い唸り声を上げながら地へと崩れ落ちた。
はたから見れば痛々しい姿に見えるが、後方にいる人物は男性の服を掴み上げ、立て、と苛立った声で指示を出す。
二人は近くにある荷馬車に腰掛け、避難している人々の重い足音や絶望的な会話が聞こえる中で、無言の間を過ごした。

二時間が経ち、避難をする人々の波が落ち着き始めた頃、待機する兵士達に食糧を配給するよう指示が出た。
兵舎から持ち出したパンを幌馬車より降ろし、拠点に集まる兵士達へと渡していく。
パン一切れで兵士の腹を満たせるとは到底思えないが、皆表情に出さず礼を述べてくる姿勢は素晴らしかった。
もちろん荷馬車に腰掛ける二人にもパンを渡しに駆け寄れば、いつの間にガスの補給手順を覚えたんだ、と声がかかる。

「……ああ、リヴァイ達が来る前に兵士の方から教わったの」

「もう二度とガスの補給作業を手伝うな」

「はい?どうして」

「あのガスが何から取り出されているか、お前は知らねぇだろ」

「ガスはガスじゃないの?」

「違う、元は氷爆石だ。名前の通り、俺らでさえガスのコントロールを誤れば死ぬ可能性だってある」

もう一度言う、二度とガスの補給作業を手伝うな、そう言いきるリヴァイに鋭く睨みつけられ身体が震えた。
役立ちたいと思う気持ちは裏目に出ていたというのか。まさかリヴァイの機嫌を少なからず損ねていたとは予想外である。
詳しい知識は持ち合わせていないので反論することもできず口から出てきた言葉は、ごめんなさい、の一言であった。

「分かればいい」

「……これ、配給してるパンなの。食べてね」

パンをリヴァイに手渡し、ウォール教の男性にも差し出すが、意識を失っているかのように一点を見つめたまま動こうとしない。
司祭はさっきからずっとこの様だ、とリヴァイは目を細めて呆れた表情を浮かべる。
(この人、ウォール教の司祭なんだ……)
ポケットから小さな布を取り出し、男性の座る横へ広げた。その上にパンを置いてやり、食べてくださいね、と一応声をかける。

「聞こえたかな?」

「さあな」

「まあ、お腹空いたら食べてくれるよね。……それじゃあ」

「待て、もう行くのか」

「そりゃ、まだ配給してる途中だから」

「少し休憩していけ」

「まあ、とりあえず配給し終えてから休憩する、って、うわ!ちょっと!何するの!返して!」

ふいに腕を掴まれ、パンの入っている袋を奪い上げられた。
奪われた袋取り戻すべく叫ぶ私など気にもせず、自分の座る横のスペースを軽く叩き、ここへ座れと視線で合図を出してくる。
久々にリヴァイの自分勝手な行為に腹立たしく感じたが、どこかで嬉しいと感じる気持ちもあった。
こうなると言う通りにしなければ不機嫌をさらし出してくるので、大人しくリヴァイの横へ腰を下ろす。
すると、少し開いていた距離を肩が触れ合うまで詰めてきたので即座に立ち上がった。司祭が目の前にいるのに、堂々と何をしているのだ。

「……おい、座れ」

「あの、リヴァイ、ここは私達の部屋じゃないよ!?誰に見られてるかも分からないのに!」

「誰に見られても問題ねぇだろ」

「私は恥ずかしい」

「……そうか。なら手だ、貸せ」

ゆっくりと右手を差し出せば、周囲には見えない下の位置で手を繋いできた。
力強く握られ、痛いよ、とつぶやくと、これぐらい受け止めろ、そう言い返される。

「……足の調子はどう?」

「どうってことない。そのうち治ると言っただろう」

「そっか」

「そうだ」

「ねえ、リヴァイ」

「ん」

「……なんでもない」

「そうか」

「リヴァイ、あの……」

「だから、なんだ」

「いや、やっぱりなんでもない」

今の私は昨夜の出来事から、再び罪悪感で支配され始めていた。
この罪悪感から解き放たれるには、ナナバさんと一夜を過ごした事実をリヴァイにきちんと言うべきだと答えも出ている。
でも、それを聞いてリヴァイは何と思うだろうか。確実に勘に触る話であるだけに、やはり言い辛い。
だからと言って隠し通すようなことだけはしたくない。なら、言うしかないだろう。
自分と葛藤する中で、次第に顔をうつむかせる私を不思議に思ったのか、リヴァイは、「どうしたんだ」と低い声でささやきながらのぞきこんでくる。
あまりの緊張に、リヴァイの手を震えながら握り返していた。

「……おい、お前、俺に何か隠しごとしてんだろ」

「な、え、どうして?」

「態度で分かる。さっさと言え」

「そんな、ちょっと待って!」

「隠しごとはしねぇと約束したよな。ほら、全て吐け」

「……できれば、怒らないで聞いてね」

「話の内容による」

そして、私は恐る恐る話し始めた。
ただ、ナナバさんの名前は出さずに伏せ、仲の良い兵士と、そう言い替えておいた。
リヴァイの目を見ることはできず、後ろめたい気持ちで、口を開く。
仲の良い兵士の方に一人で眠れそうにないと告げられて、放っておけず……一緒に寝ました、と。
話を聞いた途端、繋いでる手の力が少し弱まり、顔を見なくとも唖然とするリヴァイの表情が手に取るように分かった。
何と言葉を返されるか、唇を噛みしめ、構える。

「……一緒に、寝た?」

「殴りたいなら殴って。蹴ってくれてもいい。何発でも受け止める!」

「待て、お前……何かされたのか?身体は、大丈夫か?」

「ああ、その心配はいらないよ。何もされてない」

「何もされていないと言い切れるか?寝ている間に何かされている可能性だってある。お前はいつも無防備で、どうしようもねぇのに」

「そこは信じてよ。本当に何もされてない。それに、相手の気持ちを考えてくれる人だから、ありえないよ」

「……お前はバカだ。まったく、一人で眠れそうにないと言われて簡単に一緒に寝る奴があるか」

その気持ち悪いほどに優しい性格をどうにかしろ、とリヴァイは頭を抱える。
私のことで困り果てるリヴァイの姿を見て全身が熱くなった。胸が痛くなった。リヴァイを困らせている原因が自分であることに腹が立った。
何度も謝罪を繰り返し、朝考えていたことをそのまま告げる。

「逆の立場に置き換えて、リヴァイが女性と一夜を共にしたと知ったら……そう考えただけで、涙があふれてきて」

「俺が、お前以外の女と?」

「うん……そんなの、辛い!でも、私は同じようなことをした」

「お前以外の女と寝るなんて、まあ、吐き気がするが。お前はそれが現実となれば、辛いんだな?」

「辛いに決まってる。もう、ごめんなさい!」

「そうか。なら、お前は俺をどうしたいんだ?」

「……え?」

「ようするに、俺が他の女と仲良くしてたら嫌なんだろ?」

「仲良くするぐらいなら、別に」

「正直に言え、嫌なんだろ?」

「……嫌だ」

「よし、それを前提にもう一度聞くぞ。お前は俺をどうしたいんだ?」

俺をどうしたいんだ、って……私は、リヴァイをどうしたいのだろうか。
一番に思いついたことと言えば、これからもそばにいて欲しいという考えだが。その答えだと単純すぎるのではないだろうか。
何と答えれば良いか首をかしげていると、ヒザの上に置いていた左手を持ち上げられ、繋いでいた右手と重ね合わせると包み込むように握られる。

「以前にも言ったが、俺は一生お前を想って生きるだろう。お前はどうなんだ、俺を想って生きてくれるのか?」

「リヴァイを想って……」

「そうだ」

「私の人生は、これからもリヴァイがいてくれないと困るよ。ずっと、一緒にいたい」

「今の言葉、ウソじゃねぇだろうな」

「もちろん、本音」

「……そうか。俺と、ずっと一緒にいたい、か」

「え、待って、なに、もしかして嫌なの!?」

「逆だ。嬉しいに決まってんだろ」

握られていた両手を引かれ、肩を抱き寄せられた。
こんな場所で抱き寄せるな!と小声で叫びながら咄嗟に突き放そうとしたが、リヴァイの力には敵うはずもなく。
大人しくなった私の耳元で、「お互いを大切に想い、触れ合い、支え合う存在を何と言うか知っているか」と、問うてきた。
その問いに対し思いつく言葉がいまいちだったので、答えを聞き返すと。

「愛し合ってると、言うらしい」

近距離で目を見つめながら、そう告げられた。
一気に心臓は高鳴り、全身の鳥肌が立ってしまう。
「愛し合う」という言葉をリヴァイの口から発せられたという事実が何とも非現実的であり、何故か目頭を熱くさせた。
お互いがお互いを……。

「リヴァイ、ありがとう」

「俺のことは好きか?」

「……ちょっと待って、そんなサラッと聞かないでよ!」

「好きかどうか聞いてるだけだろうが」

「もう私にこれ以上恥ずかしいセリフは無理。今日は勘弁して、お願い!」

「逃げようとするな」

「だって、ひっ、あ!ちょっと!」

遠ざかろうとする私に罰を与えるかのごとく耳を甘噛みされ、背筋から肩にかけて妙な寒気が走った。
あまりにも好き放題するリヴァイに怒りを露わにすれば、「もう一歩踏み込んだ関係にならないか」などと真顔で詰め寄られ、非常に困る展開へと追い込まれる。

「リヴァイ、いい加減にして!さっきも言ったけど、ここ外だよ!誰が見てるか分からないんだよ!?」

「それより答えろ。もう一歩踏み込んだ関係になるか、ならないか」

「もう一歩踏み込むって、何それ、どう踏み込むの」

「お前も大人なら、それぐらいのことは自分で考えろ」

「……言おうとしてることは何となく分かるけど、もし断ったら?」

「ここで押し倒す」

「ちょっと待った!それ答える意味が無いよね!」

身の危険を感じ取った私は、奪い上げられたパンの袋を取り返し、全力でリヴァイから離れた。
その際、司祭の足を思いきり踏んでしまい、嫌な汗を浮かばせながら頭を下げる羽目に。それでも司祭は一点を見つめたまま全く動かなかったのだが。
足がもつれ荷馬車から転げ落ちるように地へ降りると、大きな手に腰を掴まれ、大丈夫かと声をかけられる。
声の主はエルヴィンであった。

「リヴァイ、今からピクシス司令のいるトロスト区へ向かうことに決まった。……憲兵団の気が変わらないうちにな」

「そうか、分かった」

「壁の穴が破壊されたとしたら、トロスト区からクロルバ区の間に違いないだろう。いざとなれば戦闘に入れる準備をしておいてくれ」

「了解だ」

エルヴィンはリヴァイから私に視線を移し、も我々と共に行動してもらう、と言い放ってきた。
その発言にリヴァイは即座に反論したが、「共に行動してもらう」という意味を考えると嬉しくなり、私はエルヴィンに大きくうなずいた。
しかしリヴァイは納得しないのか、巨人が自由に走りまわってるかもしれない場所へを連れて行く意味が分からない、そうエルヴィンへ食ってかかる。
それに対しエルヴィンは、東洋人のをエルミハ区へ置いていく方が危険だ。地下街がすぐそこだというのに、と言い切った。
納得のいくエルヴィンの言い分にリヴァイは舌打ちをし、顔を背けてしまう。
エルミハ区を出立することが決まり、私達は兵舎より持ち出した物資を再び幌馬車へと詰め込んだ。
同じサポートをする先輩や同僚達とは、ここでお別れとなる。
緊急事態ゆえウォール・ローゼの住民はウォール・シーナ内の旧地下都市へ避難することとなり、そちらの対応へ就くよう指示を出されたらしい。
兵士達と共に巨人のいる壁の向こう側へ出立する私を大袈裟に抱き締め、見送ってくれた。
エルミハ区を出発する合図がかかり、私は幌馬車へ乗ろうとしたのだが。エルヴィンに呼び止められ、リヴァイのいる荷馬車へ乗るよう指示を受ける。
急いで荷馬車へと走り、リヴァイに手を引かれながら乗り込んだ。
道中、寒くないか、と声をかけられリヴァイは羽織っていた上着を、私の肩へとかけてきた。

「いやいや、私は平気だから。リヴァイのその格好の方が見てるだけで寒いよ」

「いいから、使え」

「いいってば。ほら、返す」

「夜風に当たって、お前が風邪を引かないか心配なんだ。俺の気持ちを理解しろ」

「私はそこまで弱くないよ」

「……本当にお前は甘えるのが下手だな」

「はい!?」

「もう喋るな。俺は寝る。巨人が来ないか見張ってろ」

「えええ!?」

結局は上着を受け取らず、私の肩へ頭を乗せ寝息を立ててきた。
正面にいる司祭は、不気味なほど一点を見つめたままである。
ガタガタとサスペンションが取り付けられていない荷馬車に揺られながら、夜空を見上げた。満天の星空は、いくつもの流れ星がせわしなく遥か彼方へと流れていく。
兵舎より南区へ出立したナナバさんや新兵達、それにエレンやハンジさん達も、皆無事であることを祈りに祈った。

荷馬車に何時間も揺られ、空は太陽が支配する昼に近い時間帯となった頃、私達はトロスト区へと到着した。
巨人に出会うこともなく快適な走行が出来たと調査兵団の兵士が口々につぶやく反面、「壁外調査も似たようなもんか?拍子抜けだな」などと軽い口調で憲兵団がぼやき、リヴァイは目を細める。
私は幌馬車に積み込んだ物資の確認をしに荷馬車を降り歩いていると、「先遣隊が帰ってきたぞ!」との大きな呼び掛けに皆が反応した。
しばらくすると、エルヴィンとピクシス司令、そして息を切らした先遣隊の兵士を中心として集まり、報告が始まった。
なんでも、巨人が現れたというのに壁に穴などの異常は見当たらなかったとのことだ。
更に、新兵の中に三名の巨人がいたと、先遣隊の兵士は大声で告げる。しかもその内の二名はウォール・マリアを破壊した超大型巨人と鎧の巨人であると。
(新兵?新兵って……)
脳裏にナナバさんの姿が浮かんだ。
新兵を引きつれ南区へ行くと言っていたが。南西から巨人が現れ、壁に穴などの異常は無く、新兵三名の正体が巨人となると……これは、ナナバさんにとって最悪の事態と考えて何らおかしくはないだろう。無事なのだろうか。こればかりは無事と祈るしかない。
大丈夫、ナナバさんは巨人狩りのスペシャリストでもある。そう簡単にやられはしないはずだ。
ナナバさんの安否を祈っていると、更に過酷な一言が言い放たれた。調査兵団は超大型巨人、鎧の巨人と交戦したらしく、その後決着がつき、「エレン・イェーガーは、鎧の巨人に連れ去られました!」と。
エレンが、連れ去られた!?
皆が騒然とする中で、リヴァイは舌打ちをし、痛むはずの足を自分の手で一発殴った。
報告が終わるとエルヴィンは、「エレンの救出へ向かう、戦闘準備だ!」と皆に呼び掛け、交戦があった場所へと移動を開始した。
先遣隊の兵士は私達の乗っている荷馬車へと乗り込んだ。目の瞳孔が開き、尋常では無い。
息を切らす兵士の背中をさすり、持ち合わせていた水を差し出すと、「……調査兵団のミケ分隊長は生存不明。ゲルガー、ナナバ、リーネ、ヘニングは死亡。同行していた新兵より報告……くそ、団長に言い忘れていた」そう小声でつぶやき、両手で顔を覆ってしまう。

――ナナバさんが、死亡?

聞きたくも無い残酷な現実に絶望し、私は無意識に耳へ手をかけ、引きちぎろうとしていた。
その行為にリヴァイがいち早く気付き、腕を乱暴に鷲掴まれる。
あの温かい手料理の味が消えるかのように、震える歯で噛み切った下唇から血があふれ、口内には鉄の味が広まった。









*NEXT*









-あとがき-
第22話をご覧くださいまして、ありがとうございます!
久々にリヴァイが積極的な回でした。笑
次回は22.5話として、ナナバさんの最期を書き上げたいと考えています。
ありがとうございました。