純血人生 24






何やら頬がくすぐったい。
ベッドの中で薄っすらとまぶたを開ければ、目の前に優しく微笑むハンジさんの顔があった。
朝だよ、と小さく声をかけられるが、朝のはずなのに部屋の中が薄暗い。
寝返りをうちながら窓の外を見つめると、雨が降っていた。
雨の日は洗濯物が乾きづらい上に、兵士達がクツの裏に持ち帰る泥で確実に廊下が汚れる。そんな想像が脳裏に浮かび、朝一番から溜め息を吐いてしまった。
(晴れてくれないかな……今日はお買い物にも行きたいのに)
窓ばかりを見つめていると、背後よりハンジさんの腕が腹部にガシリと巻きつき、「どうして私に背中を向けるのさ!あれ、待って、背中って意外に抱き心地いいかも!」と怒っているのか、喜んでいるのか、よくわからないセリフを耳元で叫ばれる。
一時的にトロスト区の宿舎へ滞在している調査兵団は、部屋数が限られていることから二人一部屋の共同生活を余儀なくされていた。
私は看病をしていた数日前の延長線として、ハンジさんと同じ部屋で過ごすことになったわけだが。
お互い仕事を抱えているので顔を合わせる時間は少しだけれど、それでも明るいハンジさんと共に過ごす時間は快適であった。
……さて、このままベッドの中でごろごろしていたい気持ちは山々だが、今日も仕事をこなしていかないと。
あくびをしながら眠い目をこすっていると、風雨を受けた窓枠がガタガタと奇妙な音を立てた。
必要以上にじゃれ付いてくるハンジさんに後頭部で頭突きをお見舞いしながら、雨は好きかと何気なく聞いてみる。

「ねえ、ハンジさんは、雨好き?」

「痛いぃ!急に頭突きはひどいでしょ!……なに、雨?嫌いなときは嫌いだし、好きなときは好きかな」

「あいまいだ……!」

は?雨、好き?」

「雨はね、好き嫌いより、降ってきたら腹が立つ」

「ええええ!?」

というのも、子供の頃、雨というだけで部屋に閉じ込められた記憶があるからだ。
その全ての元凶はエルヴィンにある。
少しでも雨が降ると、危険だ、足元が悪くなる、もしケガでもしたらどうする、と何がしら理由をつけては部屋のカギを閉められて。
一週間ほど雨が続いたときなどは、気が狂いそうになったのを今でも覚えている。
それに加えて雨が降ると潔癖のリヴァイは不機嫌になるし、どうも「雨」は腹が立つ。
ベッドのシーツを握り締めながら愚痴をこぼすと、ハンジさんは腹を抱えて笑いだした。
そりゃ、ハンジさんにしたら笑い話になるかもしれないけれど、私にしたらハッキリと記憶に残るほどの衝撃だったのだ。

「あはは!まったく、エルヴィンは甘いよね」

「そうそう、甘い……ん、甘い?」

「そんなに外に出したくないのなら、雨の怖さを叩きこめばよかったのに」

「雨の怖さって、なにそれ」

「子供は信じるからね、雨は悪魔の涙だから浴びると呪われる、とかさ、雨は巨人のヨダレなんだ、とか恐ろしさを心に焼きつければいい話でしょ」

「え……」

「そうしたら部屋に閉じ込めなくても、外に出ないと思うんだけどなあ」

今、ハンジさんの発言を目の当たりにして身震いしてしまった。
さすがはハンジさんと言うべきなのだろうか。なんというか、怖すぎて笑えない。
(だって、子供の心に恐ろしさを焼きつけるなんて絶対ダメでしょ……!ひい!)
悪魔の涙に、巨人のヨダレ。大人の私でさえ、雨が降るごとに思い出しそうな内容じゃないか。
二度目の溜め息を吐いていると、不意をつかれるかのように窓枠が先ほどより大きな音を立てて揺れ、身体をビクつかせてしまった。

ったら、風の音にびっくりするなんて!まあ、風が吹いたときは耳に気をつけて」

「耳……どうして?」

「風の中に少女の歌声が混じってることがあるらしいんだ。その歌声を聞くと……」

「うわああああああ!何言い出すの!やめてやめて!」

「うはー!最高!もっと驚いた表情見せて!興奮する!」

「興奮するな!」

その後、窓枠が音を立てるたびに何度か耳をふさいでしまった自分に泣きそうになったが。
朝から様々な会話を繰り広げ、そろそろ起きようと話がまとまり、ハンジさんは兵服に着替え始めた。
私も寝巻から私服へと着替え、少々乱れたベッドを整える。
そこで、先ほどエルヴィンの話題が出てきたことをきっかけに、「ハンジさんは最近エルヴィンに会った?」と訊ねると、「……会ったような、会ってないような」などと、あいまいな返事を返された。
トロスト区へ来てから一週間、ハンジさんの看病を含め兵士のサポートを数々こなしてきた。
息つく暇も無く忙しい日々を過ごしていたわけだが、ずっと気にかかっていることがある。
どうも宿舎にいる皆が皆、私に何かを知られてはならないと隠し事をしているように感じてならないのだ。
皆、私が側を通ると会話を止めたり、無理な笑顔を見せてきたりと、何かと不自然な態度を取ってきた。
だが、大体の予想はついていた。その隠しごと、何がしらエルヴィンと繋がっているに違いない。
皆、隠しているつもりなのだろうけれど、団長が気になるな、まさか団長が、団長は今後どう指揮をとるんだ、などと口々に団長、団長と言っているのを知っている。
おそらく、彼に何か大変なことがあったのだろう。

「ハンジさん。私、エルヴィンに会いたい」

「そうは言っても……ほら、エルヴィンは忙しいんだ!だから、今は無理かな」

「正直に答えてね。エルヴィンに何があったの?」

「や、そんな率直に聞かれても……!」

「教えて、お願い!お願いします、ハンジさん!」

「あああ!言いたいけど……ごめん、リヴァイに口止めされてるんだ」

「は?リヴァイに?」

には言うなって、指示がくだされててね。でも、そのうち分かることだから……今はあまり深く考えない方がいい」

「そのうちって、いつごろになりそう?」

「私にも分からない。今日かもしれないし、もっと先かもしれない」

ハンジさんは何度も謝罪を述べながら、部屋を後にした。
深く考えない方がいいと言われても、そんなの無理だ。家族のように接してきた彼に何かあったのだと考えるだけでも、気がおかしくなりそうだというのに。
(会いたい、エルヴィン、会いたいよ……)
だが、会いたいと私が思ったところで、どうにもならないのが現実だ。
整えたベッドに一発拳を振り下ろしたところで、宿舎の外に取りつけられている鐘が鳴り響いた。調査兵団の兵舎と同じく、今日も頑張りましょうの合図である。
どうにも気持ちの整理がつかないまま扉へ足を進めていると、窓から光が差し込み足元を照らされた。
外を見ると、先ほどの風雨がうそだったかのように太陽が顔を出し始めているではないか。
まるでエルヴィンが、何を落ち込んでいるんだとでも語りかけてくるような日差しで……いや、それはいくらなんでも都合がよすぎるだろう。
とはいえ、ほんの少しだが気分が晴れた。これはチャンスだ、気分が晴れた勢いを崩してはいけない。
部屋を飛び出し、大量の洗濯物を抱え、兵士達の合間をかいくぐりながら井戸前へと移動する。
(さあ、気合い入れて洗濯するぞ……!)

井戸の水を汲み上げ、洗濯物を揉み洗い、洗い終えたら竿に干していく。
この単純作業を何度も何度も繰り返している途中、急に門付近が騒がしくなり始めた。
間もなくして駐屯兵団の兵士達が宿舎に駆け込んでくるなり足早に廊下を突き進んで行く様子を目撃する。
その中にはピクシス司令の姿も確認でき、何やら難しい表情を浮かべながら隣を歩く兵士と会話をしていた。
今回はなんだろうか……。
トロスト区の宿舎にいると、何かと兵士達があわただしく駆け込んでくることが多く、そのたびに緊張が走る。
私の知らないところで様々なことが取り決められているのだろうな、などと客観的な考えをしながら再び洗濯物と向き合った。
私は私で目の前のことを頑張らないと、だ。

数時間後、やっとのことで洗濯物を全て干し終えた。山のように積まれていた洗濯物が、今は風に揺られて爽やかになびいている。
場所が狭いだけに、少しきゅうくつな干し方だが、こればかりは仕方ないだろう。
一仕事を終え、空に向かい背伸びをしていると、どこからか名前を呼ばれた気がした。
辺りを見回すが、ちょうど昼食の時間帯ゆえか人影一つさえ見当たらない。皆おそらく食堂にいるのだろう。
……となると、今聞こえた声は、何。
今朝方ハンジさんに聞かされた、「風の中に少女の歌声がまじっているときがあるらしい」あの話を思い出し、背筋に寒気が走る。

「ちょ、え、どうしよう、歌声とか、えええ!?」

「おい、なにおろおろしてんだ。上を見ろ」

「……ん、ああ!リヴァイ!いつ帰って来たの!?」

宿舎の二階を見上げると、窓から手招きしてくるリヴァイの姿を見つけた。
リヴァイは宿舎を離れていた為、五日ぶりの再会である。
だというのに挨拶の一つも無しに、「今すぐここへ来い」との指示を出され、鼻で笑ってしまった。まるで犬を呼び付けるような言い方じゃないか。
その命令口調をどうにかしろと文句を言ってやるつもりで口を開けば、「文句を言う暇があるなら早くここへ来い、駆け足だ」と言葉をさえぎられてしまう。
腹立たしいが、結局は指示に従い二階へと駆け付ける私も私だけれど。
階段を上りきり廊下の角を曲がった先に、壁に背を預けて腕を組むリヴァイが立っていた。

「お待たせ、何か用事?」

「……俺の予想だが、お前は泣くだろうな」

「は?」

リヴァイは私の目を真っすぐに見据え、「エルヴィンがお前に会いたがってる」そう言い放ってきた。
気にかかっていたエルヴィンの名を突然告げられ、唖然としてしまう。
(今、確かにエルヴィンって言ったよね……?)
まばたきもせず固まる私の背を少し強めに叩いてくるリヴァイは、無言で向かいの部屋の扉を指差す。
扉の向こうにエルヴィンがいるのだと即座に理解した。
勢いでドアノブに手をかけるが、途端、開けるのが怖くなりその場に立ちつくしてしまうのであった。どうしようもなく、嫌な予感しかしない。
壁外で何がしら大変な事態があったのであろうエルヴィンに、どのような顔を向ければいい?第一声は?お見舞いの品も何も無いけれど、いいのだろうか。
妙な緊張から扉前で額に汗を浮かべていると、背後にいたリヴァイが珍しく気遣う言葉をかけてきた。
今日は会うのをやめとくか、と。
しかし反射的に首を横に振っていた自分に気付き、覚悟を決める。ノックを響かせ名を名乗ると、聞き慣れたエルヴィンの声が耳に届いた。ただ、緊張のあまり何を言われたのかは聞き取れず。
汗まみれの手でドアノブを回し、ゆっくりと扉を押し開けた。床に視線を落としながら部屋の中へと足を踏み入れ、扉を閉める。数歩進んだところでベッドの位置を確認し、エルヴィンへ視線を移した。
エルヴィンはベッドの上で上半身を起こし、表情は薄っすらと笑顔であった。
いつもと変わらず優しい笑顔だが、髪や髭は手入れされておらず、頬は痩せ細り、この一週間寝込んでいたのだろうと簡単に想像できてしまう。
ここまで弱々しい姿になるとは一体何があったというのか。精神的苦痛か、それとも単に体調不良か。
一歩、一歩、エルヴィンへと近づいて行く途中、ある部位を見て私は足を止めてしまうことになる。
言葉を失うとは、まさに今ではないだろうか。
エルヴィンへと向いていた足先だが、いつの間にか踵を返し扉の方へと戻っていた。つい先ほど閉めた扉を開け、廊下へと出る。
扉の正面では、腕を組むリヴァイが待機しており、私を見て顔をしかめた。

「……涙も出ねぇってか」

「大変だ……どうしよう」

「落ち着け。お前があわてたところで、どうにもならねぇだろうが」

分かっている。そんなことは分かっている。けれど、平然と受け入れられるような事態ではないだろう。
ーーだって、エルヴィンの片腕が、途中で途切れていた。
見間違えではないはずだ。肩から上着を羽織っていて、右腕、そう右腕が無かった。

「おい、びびるのはお前の勝手だが、しっかり自分の立場を理解しろ」

「……え?」

「見ての通りエルヴィンは衰弱している。そんなあいつが、お前に会いたいと俺の前でつぶやいた。どういうことか、分かるか?」

「私も、エルヴィンには会いたかったけど、こんな」

「腕一本を犠牲にしながらも、エレンを奪い返したんだ。兵士らしく命を張ってな」

「……命を、張って」

「そんなあいつをしっかりと受け止めてやらねぇで、どうする。それとも、びびって逃げるのか?」

逃げない!と声を大にして叫びたいけれど、どこかに目をそらそうとしている自分もいた。
エルヴィンの腕、腕の先端にあるあたたかい手、子供の頃から私の頭を幾度となく撫でてくれたあの優しい手。
腕をまるごと失ってしまうなんて……辛いにもほどがある。
とはいえ、このように私が悲しむ姿をエルヴィンに知られては、彼は更に思い悩んでしまうだろうと、何となくだが予想がついた。
それだけは避けなくては。腕を失った本人が一番辛いだろうに、追いつめるようなことをしてはいけない。
リヴァイの目を見て深くうなずき、私は再び部屋へ足を踏み入れた。
扉を閉め、一歩を踏み出す。
……しかし情けないことに、足が震えに震えてしまい立っていられず、床へ崩れ落ちてしまうのであった。

「……、大丈夫か!?」

「ごめん、なんでもないの!ちょっとすべっただけ!」

「尻を打っただろう、待ってろ、起こしてやるから」

「ああ、それはいい!もう、お願い、じっとしてて!」

エルヴィンはあわてた素振りでベッドから立ち上がろうとするが、次の瞬間。ドン!と鈍く大きな音が響くことになる。
私と同様に、エルヴィンも床へ崩れ落ちてしまい、二人して尻をさする始末だ。

「……しまった、一週間寝込んでいたからか、足腰が衰えているらしい。、悪いがこちらへ来てくれないか」

これは呑気に足を震わせている場合ではない。エルヴィンの元へ行かなければ。
太ももに一発拳を振り下ろし、気合いで立ち上がった。
床に崩れ落ちるエルヴィンへと気だけは駆け足でゆっくりと歩み寄り、姿勢をかがめ、真正面から彼の顔を見る。

「エルヴィン……」

「……すまないな、心配をかけさせて。やっと会話ができるまで回復したんだ」

「そっか、回復して良かった。腕は、巨人にやられたの?」

「ああ、馬で駆けている際にな」

一体の巨人がどこからか現れて一瞬で腕をやられたよ、とエルヴィンは目を伏せて言う。
私の大好きな手が一瞬で奪われたのかと思うと、頭がカッとなった。また先日のように口元に力が入り口内を噛みちぎりそうになるが、必死に自制をかける。
ただ、あふれてくるものを止めることはできず。

「……ごめん、ごめんね」

「どうした?」

「エルヴィンの前で悲しむ姿を見せちゃいけないって、さっき決心したばかりなのに……ごめん、無理」

目からこぼれ落ちる雫は、頬からあごへ伝い、服へとしみ込んだ。
あふれてくる涙を止めようと努力しながら、ひたすら謝罪を繰り返した。辛いのはエルヴィンなのに私が泣いてごめんなさい、と。
私は何を泣いているのだ。励ましの言葉の一つもかけずに、小さな子供のように泣いて。
(泣きやめ、泣きやめ、エルヴィンが困るでしょ……)
手のひらに爪を食い込ませながら拳を震わせていれば、頭にふわりと何かが触れた。
薄く目を開け上を見上げると、それはエルヴィンの手であった。

「俺の為に泣くなど、涙がもったいない」

「ごめっ……とまらなくて」

、大丈夫だ。ほら、腕はもう片方残っている、こうしての頭も今まで通り撫でてやれる」

あたたかい手が私の頭を撫で、指の合間に髪を挟み優しくといてくれた。
何度も、何度も。
そんな優しさにあふれるエルヴィンを前にして自然と口から出た言葉は、「生きて帰還してくれて、ありがとう」であった。

「ただいま。

「うん。おかえりなさい」

ただいま、おかえり、の挨拶を遊ぶように言い合い、お互い笑みがこぼれる。
とはいえ、笑みがこぼれたところで涙は止まらず、数分かけて何とか泣きやむことができた。
その間、しゃくり上げる私の背中をさすり、涙を拭うなど、エルヴィンが片手を忙しなく動かす様は滑稽であったように思える。どちらが励まされているのか分からない状況となり、反省の嵐だ。
とりあえず、床へ崩れ落ちたエルヴィンに肩を貸し、ベッドの上へと戻ってもらった。

「悪いな、手をかけてしまって」

「それはこっちのセリフだよ。泣きじゃくって、本当にごめんなさい」

「はは!お互い様だな。初っ端から二人とも尻を打ちつけて、笑い話だぞ」

「確かに、お尻は今も痛い!」

「俺もだ」

ベッドの隣に置かれているイスへ腰を下ろし会話を繰り広げていると、話の途中で、「に頼みがある」と告げてきた。
何かと首をかしげれば、言いにくそうに視線を下へ向け言葉をつまらせる。

「なに、頼みごとがあるなら何でも言ってね」

「その、だな……嫌なら断ってくれていいんだが」

「うん」

「今後しばらく片腕の生活が慣れるまで、俺のサポートをしてもらえないだろうか」

「サポート?」

「ああ、特に生活面でな。服を着ることから、食事も、全てにおいてだ。……さすがに、嫌か?」

「分かった!何でも言って!」

「へ……いいのか?」

「いいに決まってるでしょ、遠慮なく言ってね。下着も履き替えたいときは言ってくれたらいいから!」

胸に手を当てて力強く言い切ると、エルヴィンは声を上げて笑いだした。
今の会話が笑い話なのかは不明だが、まあ、暗い顔をしているよりは笑ってくれた方がいいというものだ。結局、笑い声につられて私も笑ってしまったのだが。
幾分か雰囲気が明るくなったところで、こちらからも一つお願いをしてみることにした。

「エルヴィン……あの、こんな時に何だけど、今日ね外出許可が欲しくて」

「駄目だ」

「えええ!?即答!?」

「今朝、雨が降っていただろう。確実に足元が悪くなっている。万が一足をすべらせてケガでもしたらどうするんだ」

「もう子供じゃないんだから。ね、お願い、お願い!」

「何も今日でなくていいだろう。今度にしなさい」

「そんな……今日行くつもりで朝から洗濯物も頑張ったのに……」

「……」

「エルヴィン、お願い」

「……門限の五時までに帰ってくると約束できるか?」

「もちろん、できます!」

「……はあ、仕方ないな。足元に気をつけて行くんだぞ」

「はい!じゃあ、準備すませてさっさと行ってくるね!」

気をつけてな、とエルヴィンの言葉を受けながら部屋を出た。
部屋の前では先ほどと変わらずリヴァイが待機しており、目を腫らしながらも笑顔を浮かべる私を見て、意味が分からんとでも言いたそうな表情を向けてくる。
そりゃそうだろう、一度部屋から飛び出して震えていた奴が今は笑っているのだから。
エルヴィンとお互い尻もちをつきながら会話をしてきた、そう報告すると、エルヴィンは見た目より元気そうだな、と呆れるような溜め息を吐いた。

「はあ、まったく……俺はもう少しエルヴィンと話がある。お前は仕事に戻れ」

「あ、私今から外出するの」

「外出だと?外出許可は取ったのか」

「もちろん、エルヴィンに」

「……あいつ、よく許したな。まあ、気をつけて行ってこい」

「うん、じゃあ行ってきます!」

「おい、分かってるだろうが五時までには帰ってこいよ。いいな」

「……それエルヴィンにも言われたよ」

口をそろえて五時五時と、私を小さな子供と勘違いしているのだろうか。
地下街にさらわれた後日に定められた決まりごととはいえ、門限など堅苦しいだけである。しかし裏を返せば、それだけ心配をしてくれているのだということも十分に理解している。ありがたい話と受け止めるべきなのだろう。
外出の支度をする為、一度ハンジさんとの共同部屋へ戻った。
支度をすると言っても外出用の服は持ち合わせていないので、せいぜい髪をとく程度だが。
兵舎より持ってきた小さなカバンに財布などを詰めていると、突如として勢い良く部屋の扉が開いた。「あー疲れた」と首を回しながら部屋へ入って来るのは、ハンジさんだ。

「あれ、!ん、カバンなんか用意して、お出かけでもするの?」

「ちょっとお買い物に」

「そっか。うん、息抜きしておいで」

「……ハンジさん。さっきね、エルヴィンに会ったよ」

私の言葉にハンジさんは目を見開き、言葉を詰まらせた。
しばらく間を置き、隠していてごめんね、と眉を垂れ下げながら告げられる。なにも謝罪する必要などないはずなのに、何故かハンジさんは全て自分が悪いとでも言いたげな雰囲気を出しているように感じた。
思わず棒立ちするハンジさんの手を取り、ベッドの脇へ腰掛けるよう誘導すると、「今回の件、私が元凶なんだ」とかすれるほどの小さな声でつぶやいてくる。
「私があのときエレンをさらわれることなく守っていれば、もっと周囲を、頭上を、注意していれば……」そう言葉を続け、額に手を当てては肩を揺らし息を荒くした。
ハンジさんとは長年の付き合いだが、ここまで自分を追い詰める姿など見たことが無い。初めて見た。
エレンがさらわれたときの詳しい事情を知らないだけに、なんと声をかけて良いものか、的確な言葉が出てこず心が痛む。

「ハンジさん……苦しい、私苦しい」

「……え、どうしたの?」

「ハンジさんの辛そうな姿を見ていたら、苦しくなってきた」

「ええ!?ご、ごめん!」

「気のきく言葉の一つさえ思いつかない、だからって適当な言葉は言いたくない、でもどうにか心を楽にしてあげたい、私どうしたらいい?」

ハンジさんの為に何をしたらいい!?と、無茶は承知で本人に直接聞いてみた。
黙り込んで空気を重たくするよりも、何かを切り開けることに望みをかけて言葉を交わす。そうでもしなければ、状況が沈んでいく一方だ。
私の言葉を聞いたハンジさんは放心するかのようにこちらを見つめていたが、しばらくすると視線を床へと落とし、顔を隠すようにメガネを中指で押し上げる。
震える声で、「これからもが私のそばにいてくれたら、それでいい」と告げ、鼻をすすった。

「……え、それだけでいいの?」

「うん、そばにいてくれるだけで十分」

「うそ、ハンジさんらしくない!いつもなら、もっとワガママ言うくせに!」

「へ!?ワガママ言っていいの!?やった!どうしようかな、まずは実験台の改良から……」

「……やっぱり今の無し。うん、これからもそばにいるよ」

「あれ、気のせいかな。今棒読みだったよね」

乾いた笑い声を上げながら立ち上がり、カバンを肩にかけ扉へと足を進める。
背後より、逃げた、と声がかかりギクリとしてしまうわけだが、別に逃げたのではない。話がややこしくなるのを避けただけだ。
なんて、こうして少々とぼけた会話をする関係であるだけに、お互いつい本音をぽろりと出してしまうこともあるわけで。
ふと後ろを振り返れば、ハンジさんは笑顔を浮かべており、もう一度鼻をすすった。
(……ハンジさんこそ、これからも私のそばにいてね)

「さあ、じゃあ行ってくる」

「ん、気をつけて。あ!門限は五時だよ!五時までに帰って来るようにね!」

「それエルヴィンとリヴァイにも言われた!」

まさか三人より五時五時五時と言われるとは。
軽く頭痛を引き起こしながら、宿舎を後にした。




数時間後、五時を数分ほど過ぎたところで宿舎へと帰還することとなる。
駆け足で宿舎へとすべり込んだわけだが、周囲に例の三人がいないか息を切らしながら確認した。
(もし見られでもしていたら何を言われるか……!)
運は向いていたようで、三人の姿は見当たらなかった。さすがに忙しい幹部組はそこまで暇ではないのだろう。
私はその足で洗濯物を干している場所へと向かった。風に揺られるシャツを一枚触ってみると、せっかく乾いたであろうに夜の冷たい湿気を含み始めているではないか。
市場で購入してきた荷物を端へ置き、あわてて取り込んだ。

その後、食事の準備を手伝い、負傷者の看病をしながら宿舎を駆けまわっていると、気付けば深夜に近い時間帯となっていた。
ろうそくの火だけを頼りに、静まり返った宿舎の廊下を歩き、食堂へと向かう。
そっと扉を開け、不気味なほど暗闇と化した食堂へと足を踏み入れた。
目立たないよう、一番奥の席へ腰掛け、昼間に購入してきた小さな花束を二つと、小さな包みをテーブルの上へと置く。
すぐに水へつけなかったせいか、花は少ししおれていたが、暖色を基調とした綺麗な花束だ。
その花束を向かいの席へ一つ置き、隣の席へもう一つを置いた。

「ちゃんと挨拶できる場がなかったから、今ここで言わせてね。……ペトラ、ナナバさん、本当に、本当に、お疲れさまでした」

本来なら二人と思い出深い兵舎の食堂で挨拶をしたかったのだけど、ここで許して欲しい。
二人は私にとって、一生忘れることの無い大切な人だ。もっと、もっと、生きて欲しかった人だ。
二人共、遺体さえ行方不明の為、面会もしていない。行ってきます、と言ったっきり帰ってこないなんて、もう会えないなんて、今も辛くてたまらない。

「ペトラは甘い物が好きで好きで……ってことで、今日はね私が焼菓子を買ってきたよ。よければナナバさんもどうぞ!」

小さな包みから焼菓子を取り出し、花束の横に置いてやる。
もし、ペトラが生きていたら目を輝かせて焼菓子を口の中へ放り込むだろう。
もし、ナナバさんが生きていたら遠慮しながら焼菓子を味わって食べてくれるだろう。
まぶたを閉じ、二人が席に座っている姿を想像しては笑みがこぼれた。
途端、静かな空間に足音が近づいてくることに気付きあわててまぶたを開けると、不機嫌な表情を浮かばせたリヴァイがこちらへ歩み寄ってくるではないか。
テーブルの上に置かれている花束を見て何かを悟ったのか、目を伏せ私の隣へと腰かける。

「……お前の姿が見当たらねぇから捜してたんがだ、予想通り食堂にいやがった」

「そう言えば、よく食堂で私を見つけてくれるよね」

「昔からお前を見つけるのだけは得意でな」

「そうだった!地下街にいたときも、どこへ逃げたって絶対に見つかってたね!」

「……馬鹿か、嬉しそうに言うな」

そしてリヴァイは花束を見つめ、誰への挨拶だ、と聞いてくる。
ペトラとナナバさんの名を告げると、表情を曇らせ、花束から視線をそらした。

「ごめん、すぐに片付けるから」

「いいや、このままでいい。気にするな」

リヴァイは背もたれの上部に腕を置き、身体の正面をこちらへ向け座り直した。
何かと首をかしげると、リヴァイの手が伸びてくるなり、頬に指先を添えられる。
くすぐったくて少し身体をのけぞるが、逃がさず距離をつめてきた。

「リヴァイ……ここ食堂だよ、やめて」

「お前に辛い思いばかりさせて、俺はどうつぐなえばいい」

「……は?」

「自分でもらしくないと思うが、どうしようもねぇんだ。最近、お前の泣き顔ばかりが浮かんでくる」

「なにそれ。ちょっとちょっと、リヴァイがつぐなうって、意味が分からないよ」

「以前にも言ったが、やはり俺と出会ったことが……お前の人生の中で一番の不幸なんだろうな」

頭が真っ白になった。まさか、二度もそのセリフを言われるとは思ってもいなかったからだ。
何故リヴァイと出会ったことが不幸になるのだろうか。むしろ、私はリヴァイと出会ったことで、心から大切と思える人たちに出会えたのに。
元より、毎日が幸せで悩みの無い生活など、純血の東洋人として生を受けた私には無いはず。
それに、どこで生きていようと悲しく辛い日は、誰かと関わり合うことで必ずめぐってくるものだろう。
私はリヴァイと共に生きたいと心より思っている。悲しくたって辛くたって……だから、そんな寂しいそうな顔、しないでほしい。
頬に添えられている指先を両手で包み込み、「これからも、よろしくね」と告げておいた。

「よろしくって……は?」

「は?じゃないわよ!しかも、リヴァイって矛盾してる!」

「俺がか?」

「そう!いつも甘えろ、甘えろって言ってるくせに、ちょっと泣き顔を見せたら不幸だのなんだの」

「待て、俺の言う甘えろってのは」

「うるさい!私がリヴァイの前で泣いたりする時点で、甘えてるんだと思う。自分でもよく分からないけど」

「分かんねぇのかよ……」

「だからうるさい!もう二度と、私たちが出会ったことを不幸と言わないで。お願い」

リヴァイは大袈裟に息を吐き、謝罪を述べてきた。
分かってくれたのならそれでいい。気持ちが通じて、良かった。
更にリヴァイは謝罪を重ねるかのように、「悪いが、明日からまた宿舎を離れる」と言葉を付け加える。
それに関しては、新しいリヴァイの班が結成、また新しい住処の下見へ行ったりと、ハンジさんやエレンから聞かされていたことなので覚悟はできていた。
以前の壁外調査で足を負傷しただけに、エレンがさらわれた一件は大人しくしていたが、兵士長であるリヴァイがいつまでも停滞しているはずがない。
そろそろ動き出すのは分かっていたことだ。

「うん、無理しないようにね」

「……」

「あー、なんだかお腹空いたな」

「……俺なら、もっと責めるぞ」

「は?」

「俺がお前の立場なら、もっと責めると言ってるんだ。宿舎から離れることに怒ったり、駄々をこねたり」

「はい?」

「相手が困ろうと、全力で引き止めると思うがな」

「引き止めて欲しいの?」

「……お前が悪いんだ、さびしい顔の一つもしねぇで」

「ええええ!?そんな、そりゃね行ってほしくないよ。毎日リヴァイの顔を見たいって思うし」

「もういい、ほら、腹へってんだろ。食いたきゃ食え」

リヴァイは包みに入っていた焼菓子を取り出し、私の口へと突っ込んできた。
あまりにも力まかせにねじ込んできたので、口に入りきらず割れた部分は胸元へとだらしなくこぼれ落ちる。
すると、それを狙っていたかのように私の着ていたシャツのボタンを上から二つ外し、胸元へ顔を埋めるなり舌を這わせてきた。
あまりの衝撃に悲鳴を上げそうになるが、片手で口元を押さえられてしまう。

「うぶ!ちょ、リヴァイ!なに!この変態が!」

「うるせぇな、黙ってろ。お前がこぼした焼菓子を掃除してやってるんだ」

「もう、本当にやめて、ここ食堂だよ!?荷馬車のときもそうだったけど、誰が見てるかも分からないのに!」

「誰に見られてるかも分からねぇのに、俺がこんなことをするってことは」

それだけお前に飢えてるんだろうな、とこちらを見上げるように告げられ、頬が痛むほどに熱くなった。
今までの私ならここで突き放している所だが、今日はどうかしているらしい。
気付けばリヴァイの背に腕を回し、彼を抱き締めていた。ふと先日、エレンより聞いたあの言葉を思い出したのがきっかけだが。
――『この世の中、いつ、何が起こるか分からない』

「……どうした、お前から抱きついてくるなんて」

「勝手に腕が動いたの」

「そうか、勝手に動いたのか」

「うん」

「……なあ、さっきの返事だが」

「さっきの返事?」

「こちらこそ、これからもよろしくな。

今日は涙腺が崩壊しているようだ。ああ、恥ずかしい、どうして涙ってこんなにも正直なんだろう。
泣き顔を隠すように、リヴァイの頭へ顔を埋めると、背中を優しく撫でられ余計に感情がたかぶった。
そして次の瞬間、私の心臓は大きく飛び跳ねることとなる。

!ここにいたの!捜したよ!」

「ひいいい!!ハ、ハ、ハンジさん!?」

「なかなか部屋に帰ってこないからさ、心配になっちゃって。しかも、捜してる途中にエルヴィンと会ってね!」

食堂へと足を踏み入れるハンジさんの後ろには、松葉杖をつくエルヴィンも中へと入ってきた。
エルヴィンは、腹が減ってな……と苦笑いしながらつぶやく。
(腹が減ってな……って、エルヴィン、寝てないとダメでしょ!?)

「ん、どうしたのリヴァイ。床で寝転がって。新しい掃除方法?」

「……うるせぇ、クソメガネ」

「あはは!さあ、、部屋へ帰ろうね。そろそろ寝ないと明日が辛くなるよ?」

「うん……あ、あの、リヴァイ、大丈夫?」

押してごめん!と、顔の前で手を合わせ、小声で謝罪を繰り返した。
ハンジさんの声に驚いたあまり、イスから突き落とすほどに全力で押してしまったのだ。
リヴァイは不機嫌な雰囲気をこれでもかとさらしながら片手を突き出し、低い声で、「起こしてくれ」と言い放ってくる。
急いでその手を取ろうとすると、たくましい腕が横から伸びてきては、リヴァイの手を鷲掴んだ。

「大丈夫か、リヴァイ」

「……てめぇ」

「片腕でもお前一人なら十分起こしてやれるぞ」

「うるせぇ、さっさと部屋帰って寝ろ、クソが」

「な、今日はいつもに増して冷たいじゃないか……」

リヴァイは舌打ちをし、その場から重々しく立ち上がった。
そのまま私の手を掴み、食堂を出ようとしたところで、ハンジさんから声がかかる。
どこへ行くの、と。

「こいつの部屋に決まってるだろ」

「それなら私が一緒に戻るからいいよ。私とは二人で一つの部屋を使ってるからね」

「……なんだと?もう看病は終わったはずだろ」

「仕方ないでしょ、宿舎は狭くて部屋数が限られてるんだから」

「なら、ハンジ。てめぇはエルヴィンの部屋で寝ろ。俺はこいつと寝る」

「聞き捨てならないなあ、リヴァイがエルヴィンの部屋で寝ればいいでしょうが!」

深夜にも関わらず大きな声で言い合う二人を前にしたエルヴィンは、静かに、静かに、とうろたえ始める。
ハンジさんは腰に手を当て、リヴァイは腕を組み、お互いを睨み合い出す始末だ。本当に、調査兵団の幹部なのか疑わしくなるような光景である。
「あーもう分かった!皆で寝よう!全員エルヴィンの部屋へ集合!」と、ハンジさんの声と共にエルヴィンの部屋へ強制連行されることとなったわけだが。
まさか、一つのベッドに四人で寝るのだろうか。
エルヴィンは仕方ないという表情を浮かべていたが、リヴァイは……ああ、見なかったことにしよう。
ランプの火を消し、食堂を後にする。
小声で話ながら廊下を進み、突き当りの角を曲がったところで階段へと差しかかるわけだが、松葉杖のエルヴィンを皆で支えながら一段一段上った。
やっとのことでエルヴィンの療養している部屋へと到着し、まずエルヴィンが中へと入った。次にハンジさんが足を踏み入れ、リヴァイは……中へ入らず扉を閉めた。
同時に名前を呼ばれ、身体を引き寄せられる。一瞬のことだった。
耳元に唇を当てられ、リヴァイは爆弾発言を投下する。

、俺はお前と――……。

「ちょっと!早く中へ入っておいでよ!扉を閉めるなんて、まさか逃げる気じゃ」

ハンジさんが部屋の内側から扉を開け、私とリヴァイを交互に見た。
そして首をかしげる。

?どうしたの?そんな可愛く口開けて。おーい」

「へ、あ、ああ、あははは、なんでもないよ!?」

「……もしかしてリヴァイに何かされた?」

「えええ!ないないない!さあ、早く中へ入ろう!」



――ねえ、リヴァイ。
いつ死ぬか分からない人生ではなく、未来の明るい人生を、いつか過ごしたいね。
もちろん、皆で、一緒に。



、俺はお前と今夜中にやり遂げたいことがある。
あいつらが寝たら、さっさと部屋を抜け出すぞ、いいな。


(とりあえず、明日も究極の寝不足になりそう、だ……)





*END*





-あとがき-
最終話、ご覧くださいまして、ありがとうございます!
最後の最後にリヴァイが何やら怪しい発言をしていましたね……すみません。
しかもエルヴィンのベッドに四人で寝るとか、何をしているのでしょうか幹部組は。これまたすみません。
とはいえ、少しでも皆様に笑顔をお届けできたのなら、優緋goriは幸せです^^

これにて、純血人生第2部は完結となります。
甘さの少ない連載ではありましたが、いかがでしたでしょうか。
笑顔を忘れず、残酷をリアルに、それでいて心優しく・愛しく、を主として書いてきました。
今後も短編、番外編、そして新しい連載として過去編など、書いていこうと考えています。
ここまでご覧くださいました読者様!本当に、本当に、ありがとうございました!

……純血人生というタイトルですが、今考えると寝不足人生にした方が良かった気がします。ネーミングセンス、ゼロ!

ありがとうございました。