本性



私には悔いがある。
耐えきれずに逃げたことで生まれた悔いだ。
と、その前に。とある極秘情報を得た。
六月二日、バレーボール部が宮城県インターハイ予選に出場するらしい。
移動教室の帰りにたまたま廊下で女子達が騒いでいるのを聞いて……いやいや、極秘情報を得てしまった。
教室へ小走りで戻り極秘情報の内容を興奮気味に友人へ話せば、「その極秘情報とやらは弟に聞けば一発でしょうが」と鼻で笑われ意気消沈である。
友人の言っていることは何ら間違っていない。何故なら、私の弟がバレーボール部の主将をしているからだ。
弟と言っても双子なので同学年であり、この青葉城西高校での同級生なのだが。
……そりゃあ、聞けるものなら聞いているさ。面と向かって聞けないゆえ、この情報は誰が何と言おうと私にとっては極秘情報なのだ。

さて、話を戻そう。
「悔い」について。それは弟に関することである。

私達は双子というだけで目立つ。
双子であることを知った周囲の反応は、同い年の姉弟だなんてうらやましい、さぞかし仲良しなんでしょうね、などと良いイメージばかりを想像する。
だが、実際は厄介でしかない。どのような些細なことでも比べられてしまう。
幼い頃、幼稚園の先生と折り紙で鶴を折った。先生の折り方を真似し、完成するまでの一折一折が楽しかった。
いざ完成すると先生は褒めてくれた。とても嬉しくて完成した鶴を大事に鞄の中へ片付けたことを今でも覚えている。
翌日、お手洗いから教室へ戻ると、先生が片手に鶴を持ち弟の頭をなでている現場を目撃した。
「お姉ちゃんよりも素敵な鶴さんね」と、はっきり聞こえた。先生は笑顔だった。「じゃあそのつるさんおねえちゃんにプレゼントする」そう言った弟も笑顔だった。
お遊戯会で弟は主役、私は脇役。運動会で弟は足が速い、私も遅くはないが弟には勝てない。外で遊ぶ自由時間までも、鉄棒、縄跳び、ブランコ、何をしても弟は優秀だと褒められていた。
このように幼い頃から比べられ生きてきた。その度に姉の私は弟より出来の悪い部類に分別される。
珍しく弟より姉の出来が良い場合も、珍しいだの、弟の調子が悪かっただの、大抵は弟をかばう形で話が終わる。
あまりの悔しさに胸のあたりが痛くなり、陰で泣いてしまうこともあった。
だが、比べられて暗い気持ちになるのは単に私が劣っているだけであり、弟は何も悪くない。子供ながら、その事実も十分に理解していた。
しかし、辛いことから逃れようとする人間の性だろうか、年齢が上がるにつれ弟を避けるようになってしまったのだ。
小学生となり、一緒に遊ぼうと声をかけられても断った。家族で旅行へ行っても弟が近付いてきたらすぐに両親の方へ逃げた。弟の好きなバレーボールを視界に入れることさえ拒否した。
双子でありながら距離を取る関係を私は作り上げた。まあ、一方的かもしれないが。
弟との関係がぎくしゃくしながらも一年一年は過ぎていき、私達は中学生となった。
本当に大変なのはここからであった。中学生となると、同級生全員が思春期へと突入する。つまり、異性の双子が同じ家に住んでいるという事実を「いやらしい」と、そうとらえる者が出てきたのだ。
風呂上がりに遭遇はするのか、着替えはどうしているのか、部屋は隣同士なのか、親がいなくて二人っきりのときは何かあるのか、などとバカバカしい質問を受けたこともある。
中学二年生の時だったか、母の誕生日が近いのでプレゼントを買いに行こうと弟の案に賛成したことがあり、学校の帰りに校門前で待ち合わせの約束をした。当日、弟と廊下ですれ違い、「今日の約束ちゃんと守ってね」と声をかけられ、返事の代わりに笑顔で手を振ったことがある。
そのやり取りをたまたま見ていた同級生は、双子だ双子だと騒ぎたて始めたのだ。こちらを見てにやにやとほくそ笑む男子に、こそこそと耳打ちする女子。
弟と話して何が悪い、こっちを見ながらこそこそするな、などと言える勇気もなく、気にしないふりをして胸が痛くなるのを誤魔化した。
ここまで私達双子が注目されてしまうのには理由がある。これは皮肉かもしれないが、弟は外見が良いので一際目立つのだ。おまけに知らない人にでも笑顔を振りまく明るい性格をしているゆえ、自然と好かれる。そんな弟を意識する女子達は「好きな人」に振り向いてもらおうと頑張る。「好きな人」の姉が同級生にいるとなると、まずは姉と仲良くなり弟へ近付こうとする者もいた。
その姉と弟が仲良くしている姿など女子達は楽しくないだろうし、男子は私の反応を見て楽しむと言わんばかりに性的な発言をふっかけてくる。
孤独感が増すばかりで、辛かった。
姉が悩み続ける中、弟はバレーボール部で頑張っていた。小学生の頃から中学生になったらバレーボール部に入ると張り切っていたので、部活に入部届を提出した日など興奮して眠れなかったとまで言っていた。
よほどバレーボールが好きなのか、試合で負けた日など目をぱんぱんに腫らし、おまけに鼻水も垂らしながら家に帰って来たこともある。とはいえ翌日には笑顔になっていた。また今日から頑張ると意気込んで朝練へ行くのだ。
そんな弟から笑顔の消えた時期があった。中学三年生の頃の話だ。部活から帰って来てもバレーボールを抱えて公園へ直行する日々。夜の十時を過ぎても公園に行ったまま帰って来ないので、父が弟を叱ったこともある。
バレーボールに関することで何かがあったのは一目瞭然であった。見えない壁にぶつかったのか、はたまた力の差を見せつけられたのか、原因はわからない。
何にせよ負けず嫌いであり、その為なら努力を一切惜しまない弟。いくら避けている存在とはいえ、見ているこっちは辛かった。
だが、ある日を境にいつもの笑顔が戻ってきた。その日、夕食時の会話の中で、岩ちゃん、岩ちゃんと岩泉くんの名前を何度も嬉しそうに連発していたことから、おそらく岩泉くんが弟の笑顔を取り戻してくれたのだろうと簡単に予想がついた。……あれだけ深刻な顔をしていたくせに、ころっと笑顔になるなんて。いい友達を持っている。弟の笑顔を見ていると、いつも通りに戻って良かったと思う反面、胸がじわりと痛んだ。
それから数ヵ月後、中学最後の大会で弟はベストセッター賞を獲得し、立派な楯を家に持ち帰ってきた。
家族の皆が、おめでとう!と祝う場で私は黙りこんでしまった。楯に堂々と書かれている、弟の名前。
「及川 徹」
この瞬間とてつもない差を感じた。一言、おめでとうと言えばいいものを、言えなかった。そんな私に弟は、見て見て!と楯を突き出しながら近付いてきた。耐え切れずに自分の部屋へと逃げたのは言うまでもない。
後々、弟の頑張った成果を素直に喜べなかった自分がとても心の狭い人間に思えた。私はどこまで落ちぶれていくのだろうか。
この出来事が悔いとなってしまい、弟の顔を見るたびに祝福の言葉をかけず逃げた自分が脳裏に浮かぶのだ。

ああ、過去は思い出しただけで暗くなる。ずーんっとなってしまう。
このような過去があったにせよ、私は弟の徹と向き合うことを決心した。
ずっと避けてきた私とは違い、徹は常に向き合おうと努力してくれていた。高校三年生になった今でも、いつも気にかけてくれている。
私も向き合わなければ。出来るなら、姉らしいところの一つでも見せて安心させてやらないと。
それに、伝えたい。ベストセッター賞を獲得したことに対してお祝いの言葉を、せめて一言。かれこれ約三年前になるけれど、あの時何も言えずに逃げた自分が心につっかえて仕方がない。このような悔いを残したままでは駄目だ。
過去の自分と葛藤しながら、今後のことをもやもやと頭の中で渦巻かせていたそのとき、例の極秘情報を得たのだ。
六月二日、バレーボール部が宮城県インターハイ予選に出場すると。
これはチャンスだ。徹へ心を開ける第一歩になる可能性が大いにある。まずは応援へ行こう。頑張る徹の姿を目に焼き付けよう。決まりだ!
一人で握り拳を震わせていると、会場はどこかわかっているのかと問われ首をかしげる。
言われてみればである。インターネットで調べればわかるんじゃないかな、などと曖昧な返事をすれば、だから弟に聞けと再び呆れられてしまった。
一応、徹には内緒にしておきたい。これまた情けないが、本人に応援しにいくと予告するのは……恥ずかしい。気合いを入れてこっそりと応援に行く!これだ。
当の本人も応援に来てほしいなどと家族には一切言ってこない。当日に、今日大会があるから帰りが遅くなる、と朝の食卓で告げる程度だ。
聞いたところで、わざわざ応援に来なくていいと言われでもしたら腹が立つので聞かない方がいいだろう。
その日、さっそく大会の詳細をインターネットで調べてみたものの、はっきりとした情報が掴めず。
結局、顔見知りではない下級生のバレーボール部員にこっそり教えてもらった。
開催場所は仙台市体育館。開催時間は午前九時から始まり終了時間は未定とのこと。ちなみに青葉城西の部員は七時半に学校へ集合らしい。
そうなると徹が家を出て一時間ほど後に仙台市体育館へ向かえば良い具合で試合開始の時間になるだろうか……?まったく検討がつかない。
あまり遅くに行くと試合を見過ごしてしまう可能性があるだろうし、選手でもないのに早く行きすぎるのも気が引ける。
あてにならない勘だが、とりあえず徹が家を出てから一時間後に出発!この計画でいこう。

当日、緊張と興奮で朝の五時過ぎに目が覚めた。外は真っ暗だ。
私が試合に出るわけでもないのに、応援に行くというだけでこれだ。どこまで細い神経をしているのだか。
じっとまぶたを閉じていてもまったく眠気がこず上半身を起こした。いっそうのこと起きてしまおうか。
トイレへ続く廊下に出ると洗面所から明かりが見えた。消し忘れかと近付けば、徹が歯を磨きながら体操をしていたので軽く悲鳴を上げてしまう。

「ん!おはよう、。早起きだね。トイレ?」

「お、おはよう……徹こそ早いね、びっくりした」

「今日は総体の予選初日だからね!早く起きて気合い入れておこうと思ってさ」

「でも開始時間は九時からでしょ?ちょっと早すぎるんじゃ」

「あれ、詳しいね。誰かに聞いたの?」

「はっ、あ、いやいや。ほら、なんとなくよ、なんとなく」

「ふーん。まあ、いいけど」

歯ブラシで口をもごもごさせながら細めた目でこちらを見てきた。
何やら怪しまれているが、何故だ。ただ九時と少し口を滑らせてしまっただけなのに。
というか、私が応援に行くのがばれても何一つとして徹に迷惑はかからないだろう。
自然と出来上がった気まずい雰囲気を感じ取り、さっさとトイレへ向かった。
トイレを済ませリビングへ行くと徹はキッチンで朝食の準備を始めていた。徹の隣へ行き無言で手伝っていると、「はもう少し寝てたら?今日休みでしょ?」そう声をかけられ、「戦いへ行く弟の手伝いをして何が悪い」と親指を立てながら大袈裟な返事を返してやる。
すると、さすが俺のお姉ちゃんだのなんだの大きな声がリビングに響いたので、まだ家族が寝ていることもあり静かにしろと脇腹を小突いてやった。大会前とは思えないほどリラックスした様子に感心するばかりだ。
食事中、二人で朝のニュース番組を見ながら何気ない会話がはずむ。天気予報の場面では、今日は晴れだね、のセリフが綺麗に重なり笑いあった。
食事を終えると正面で急に着替え出すものだから、なるべく視界に入らないようテレビを凝視しておいた。徹は何かにつけて堂々としすぎている。
鼻歌を歌いながら洗面所で身だしなみを整え、青葉城西のジャージに腕を通し、今玄関で靴ひもを結んでいる。

が玄関まで見送りにきてくれるなんて、今日は良い一日になりそう」

「そんな、いつもは応援してないみたいな言い方しないでよ。口には出さないだけでちゃんと応援してるんだから」

「本当に!?」

「あのね、私をなんだと思ってるのさ!?」

「あはは!ありがとう。よし、じゃあ行ってくるね」

「うん、行ってらっしゃい」

私も後で行くからね、と心でつぶやき笑顔の徹に手を振った。
さて、私の戦いはここからだ。そろそろ準備を始めないと。
部屋へ戻り寝巻を脱いだところでハッとした。応援に行くときは私服で良いのだろうか。それとも制服が常識なのだろうか。
とはいえ青葉城西の制服は目立ちそうなので却下だ。私服であろうと学生証を持っていれば問題ないだろう、多分。……バレーボールなだけに体操服が常識ってことは無いよね。
ああ、まさか服装から不安になるとは。
服装にもやもやしつつ、お昼ご飯として簡単なサンドイッチを作り、小さめのタンブラーへお茶を入れ、鞄に詰めた。
まるでピクニックへ行くような準備をしていると、「あらあら、デート!?」といつの間にやら起きてきた母に意味のわからない解釈をされ唖然である。リビングから、「デートだと?どこの誰と何をしにいくのだ、何を!」などと聞いてくる父は無視してやった。
……二人とも寝ぼけているのだろうか。デートへ行くような相手はいないと知っているだろうに。
とりあえず、仙台市体育館に徹の応援をしに行くと事実を伝えておいた。ここで嘘をついても仕方がない。堂々といこう。
あまりにも意外な返答だったのか、両親は目を見開いた。そこまで驚かなくても、と顔をうつむかせる私を近くにいた母がふわりと抱き締めてきた。
向き合おうとしているのね、そう一言つぶやいた母の声は嬉しそうだった。父も見開いた目を柔らかく細め、優しい表情でこちらを見つめてくる。
思い悩む人生の中で私達双子を比べるような発言をしなかった唯一の存在が両親だ。徹へも私へも同じ笑顔を向けてくれる。
実際は差をつけて見られていたかもしれないが、何であれ頑張ったことに対しては必ず褒めてくれた。その度に心が救われたものだ。

両親に見送られ家を出たはいいものの、宮城県内とはいえ軽い一人旅も同然である。
行ったことのない場所へ電車を乗り継いで行かなければならない。仙台市体育館まで無事にだどりつけるか。しかし、そのような心配は無用であった。
電車については表示通り進めば迷うことなく乗り継ぎができたし、仙台市体育館の最寄駅には、「排球部」や「バレーボール部」と表記されているジャージを着た人達がたくさんいたので、皆が進んでいく方向へついて行くと徒歩五分ほどで目的地へとたどりついた。時間は八時半。応援にくる者より選手の方が圧倒的に多い。
ふと周囲を見渡すと、不安にかられていた服装が目についた。女子は男子と同じようにジャージを着ている者がほとんであった。マネージャーだろうか。明らかに私服の自分が浮いている気がする。
とりあえず立ち止まっていても仕方がない。入り口らしき扉から中へと入り観客席を探すことにした。
ジャージを着ている人は皆、徹のように日々頑張っているんだろうな、そう考えると全員が輝いて見えてくる。
感心をしながらも直に劣等感を感じつつ複雑な心境で歩いていると、掲示板に目が止まった。
トーナメント式に学校名がずらりと記載されている紙が貼られており、今大会の組合わせだとわかった。
青葉城西はAブロックのまとまりに入っている。シードを取得しているのか他校より一試合少ないようだ。すごいじゃないか、青葉城西。
その青葉城西の主将を弟が務めているのだと改めて考えると、溜め息が出た。とても身近な人が、遠い。なんだか遠い。
応援をしにきたというのに、沈んでしまうとは。本当に情けない姉である。
階段を上り観客席へとたどりつけば、ジャージを着た者が声を張り上げながら大きな段幕を用意していたり、先生らしき人が忙しなく部員に指示をしていたり。広い空間と言えど私が足を踏み入れていいものか戸惑ってしまう。
とりあえず迷惑のかからないよう人通りの少ないトイレへと駆け込んだ。しばらくの間、個室でじっとしておこう。まだ九時にもなっていない。
時計の秒針を見つめながら用を足すことも無く足をぶらぶら揺らしていること数十分。突如として甲高い女子の声がトイレ中に響き渡った。
「及川さんと喋っちゃった!かっこよすぎるよー!」との発言に便器からずり落ちそうになる。及川って、もしかして弟のことを言っているのだろうか。
青葉城西に転校したい、徹くん専属のマネージャーになりたい、などと言い出したことから完璧に弟のことだと断定。
他校の女子からも好意を持たれているとは。その徹くんの姉がトイレの個室にいるだなんて想像もつかないだろうな。
はあ、ここまでくると妙にふっきれてしまうというか、なんというか……。
時間が九時を過ぎたので観客席へ戻ろうと個室から出た。手を洗いながら鏡に映る自分の顔に覇気がないことに気付く。水に冷やされた手で両頬を思いきり叩いてやった。今更ごちゃごちゃ考えてもどうしようもない。
――よし、応援!
気合いを入れ直し観客席へ戻ると、にぎやかな声援が湧き起こる中で既に試合が始まっていた。あまりの迫力に鳥肌が立ってしまう。
すごい。皆、全力だ。コートにいる選手も、応援している者も。
うろたえながら端を歩いていると、私服で応援に来ている者もちらほらと見受けられたので少なからずホッとした。
比較的周囲の静かな席まで移動し座ってみる。ここなら私なりに徹の応援ができそうだ。
コートに青葉城西の姿はなかった。先ほど確認したトーナメント表からすると、シードをとっていたので当分先だろうか。
それぞれのコートで試合が白熱する中、一つのコートと決めず全てのコートを見ていると、一人、黒のユニフォームを着たオレンジ頭の小さな男子が目についた。
コートの端から端まで素早く走り、跳び、そりゃもう動く動く。どこにそのような体力があるのかと言いたくなるほどであった。
そんなオレンジ頭くんへボールを送りだす黒髪の男子にハッとした。確か、中学での徹の後輩だ。何度か話しているところを見た覚えがある。
高校では中学時代の先輩・後輩が対戦相手となる確立もあるということか。当然の流れだが、なかなか厳しい世界だ。勝敗が決まるだけに。
第一セット、第二セットと試合が進み、試合の結果が徐々に決まっていく。一点ごとにガッツポーズをする者、ミスを連発して下げられる者もいれば大活躍する者、皆それぞれであった。

大会が開始されてから約二時間後には試合終了の笛が相次ぎ、空いたコートでは第二試合が開始された。
真剣に試合を見ていたせいか、ふと気を緩めるとお腹から情けない音が鳴った。緊張のあまり朝食を少量しか食べなかったので今になって空腹が目覚めたらしい。鞄からサンドイッチとタンブラーを取り出し、少し早めの昼食をとることにした。
サンドイッチにかぶりついたところで、遠くの観客席から白のジャージを着た団体がぞろぞろと動き出す様子が視界に入った。あの見慣れたジャージ、青葉城西だ。
その中に徹の姿を見つけ、つい心臓が高鳴ってしまう。コートに弟が立つのだと考えるだけで更に緊張した。だが、徹はというと明るい雰囲気を全面に出し、いつも通りの様子である。おまけに声をかけてくる女子に手まで振っている始末だ。
しばらくして、コート付近に青葉城西の部員が現れた。ウォーミングアップを開始すると共に声援がヒートアップし、振動となって身体にまで響いてくる。
これでは私の声など届きそうにない。いや、別にいいじゃないか。声が届かなかろうと応援は応援だ。
微かに震える手でタンブラーを鞄へ片付け、頑張れ、頑張れ、そう祈っていると笛が鳴り響いた。選手達がコートへ整列したところでもう一度笛が鳴る。ネットを挟み相手の選手と互いに握手を交わし、ついに青葉城西の試合が始まった。
サーブは相手チームからのようだ。最初の一本決めろよ!との掛け声に、何故か私が青ざめてしまう。サーブを打つ直前に仲間からプレッシャーをかけられるとは。
見事サーブが青葉城西のコートへ入り、岩泉くんが綺麗なレシーブでボールを上空に上げた。そのボールを徹がトスで回し、高く跳んだ一人が見事に相手コートへ打ち込んだ。一点!先制だ!
サーブが青葉城西へと移り、試合が進んでいく。徹が走り、跳び、全員に大きな声をかけ、ミスした者には優しく背中を叩いていた。間違いなく「主将」だった。
そんな徹にサーブがまわってきた。大体の皆がサーブを打つ位置よりも後方に立ち、ボールを上空へと高く投げる。助走をつけながら跳び上がり、落下してきたボールを相手コートへ力強く打ち込んだ。とてつもない強烈なサーブに相手チームはボールに触れることさえ出来なかった。
サーブが決まった途端、応援席から黄色い悲鳴が上がる。会場が盛り上がる中、私はゾッとしてしまった。今の恐ろしいサーブはなに。
一つ、はっきりとした。徹は周囲の選手と一味違うと、素人の私でもわかった。
この優位な試合に私の応援などいらなかったな、そう思いながらも、バレーボールを楽しむ弟へ声援を送ってみた。小声で、「頑張れ、徹!」と。
すると徹がこちらを向き、持っていたボールを床へ落とした。あれ、今、目が合ったような。
そこへ、「ここなら青葉城西の試合が良く見えますね!」と元気な声がした後に、たくさんの足音が近付いてきた。
おそるおそる振り向くと黒のジャージを着た団体の中にオレンジ頭の男子を見つけ、先ほど試合をしていた学校だと気付く。
オレンジ頭くん、あんなに動き回っていたというのにけろりとしている姿には驚きだ。どれほどのスタミナを備え持っているのだろうか。
何気に感心していると、「あっ」と何かに気付いたような声と共に黒髪の男子がこちらを指差してきた。……徹の後輩だ。
目が合うと私に一礼するなり皆を呼び集め、「あそこに座っている人、及川さんの双子の姉ですよ」などと他人の個人情報を暴露した。小声で言っているつもりなのだろうが、しっかり聞こえている。
「ええええ!?あの野郎、双子だったのか!?」そう坊主の人が叫べば、「ひいいいいい大王様のお姉様!」とオレンジ頭くんが白目を向いて絶叫した。……ん、大王様のお姉様?
ああ、最悪だ。斜め横から大勢の視線を感じる。とても居づらい。席を移動した方が良さそうだ。
さっそく立ち上がろうとすると、黒ジャージの三人が何の躊躇もなく私を取り囲み見下ろしてきた。……え。
正面を見上げると徹の後輩がおり、「及川さんは自宅でどんなトレーニングをしてるんですかどんなトレーニングをしてるんですか」と呪文のようにつぶやきだした。右横からは前髪だけ金髪の人がこちらをじっと見つめてくる。背後には、「ちっ!及川の野郎、ちっ!」そうつぶやく坊主の人。
「こ、こら、澤村に見つかったら怒られるぞ!?」とあわてふためく声に救世主がきたかと期待したが、ヒゲを生やした大男がおり失神しそうになってしまう。大男の後ろで、サッ!サッ!と姿を見え隠れさせるオレンジ頭くんの動きはこんなところでも素早かった。
なんだ、なんだ、なんだこの状況は。他校の生徒にからまれるほど徹は有名人なのだろうか。実際、からまれているのは姉だが。
呆気にとられていると、正面にいた黒髪くんが一歩横へ逸れ、皆の隙間から顔をのぞかせていたオレンジ頭くんの顔面にバレーボールがめり込んだ。「ぶへあ!」と奇妙な悲鳴を上げながら後ろへと倒れ込む。一瞬のことだった。
黒のジャージを着た全員がオレンジ頭くんの元へ駆けつけ、大丈夫か、何したんだ、あれくらい避けろ、恥ずかしいから大人しくしてなよ、などと好き勝手な言葉をかけている。
それにしたって今のボールは本当に危ない。どこから飛んできたのだ。試合中のボールだろうか。
会場を見回すと、青葉城西のコートから岩泉くんの怒声が上がり周囲は唖然としていた。しかも徹に怒っているようだ。
私の耳に届いた怒声は、「こら!及川!どんだけ外したサーブ打ってんだボゲェッ!」だった。
まさか、オレンジ頭くんにめり込んだボール……。
私が頬を引きつらせていると、「相変わらずなんてコントロールしてるんだ、あの人は」そう正面にいた黒髪くんがつぶやき、「くっそ!取り損ねた!」と地団太を踏む前髪金髪くん。
いやいや、オレンジ頭くんの心配をしてあげてほしい。顔面でキャッチをしたせいかのびています。口から魂が抜けそうになっています。
そこへ、こちらの観客席でも岩泉くんとは違う怒声が響き渡り全員の背筋が伸びた。私の背筋までも伸びてしまう。

「どうして日向が倒れているんだ!?まったく、少し目を離した隙にお前らは!旭!お前なあ、後輩達の行動を監視するくらいできるだろ」

「お、お、おおおおおれも止めようとしたんだけど……!」

「何を止めようとしたんだ?」

「その、こちらの女性が及川のお姉さんらしくて……。それで皆が迫りに行くもんだからっ」

「及川のお姉さんって、その前に!お前ら!他校の生徒に迷惑かけたってことか!?」

部員を叱るこの人、おそらく黒ジャージ達の主将だろうか。
皆の前に立ち私へ頭を下げてくる姿はどう考えても主将の行動だった。
主将の後で次々に頭を下げる部員達。つい先ほど怖い表情でこちらを見下ろしてきたというのに、主将に叱られてここまで態度が急変するとは。可愛いほどに素直な人達である。オレンジ頭くんもむくりと起き上がり素早く頭を下げてきた。良かった、無事のようだ。
しかしこの展開、どう反応して良いものか。とりあえず同じように頭を下げ、そのまま小走りで席から離れ観客席を出た。
あのままではろくに応援も出来ないだろうし、彼らも気まずいだろう。少しでも徹の頑張る姿を見ることが叶ったので良しとしよう。
……しかし、まだ帰るわけにはいかない。今日なら三年間悩み続けてきた悔いを終わらせることができるのではないだろうか。
階段を下りていると、たくさんの荷物を抱えた他校の部員が一つの扉から大勢出てきた。数秒後またしても他校の部員が扉を開閉しボールを運んでいたことから、あることに気付いた。どうやらコートへ行き来する為には、あの扉を通過しなければならないらしい。……よし、こうなれば待ち伏せだ。
珍しく大胆な行動には自分でも驚いてしまうが、向き合うと決めたからにはこれくらいしないと。徹に伝える。ベストセッター賞おめでとうって、必ず伝える。

何度も開閉される扉を眺めること数十分。
バレーボールの試合は平均一時間半と聞いたことがあるので、まだかかるだろうな、そう予想していた矢先。
どこからか私の名前を叫ぶ声と同時に、見つめていた扉が豪快に開いた。

「ああああ大変だ大変だ!ー!」

「徹!」

「はっ!見つけた!ああ、良かった!観客席から消えた時にはどうしようかと……おかげで二セットで試合終わらせてきたよ、まったく!」

「あ、あの、徹」

「ところで、どうしてがここにいるの?ねえ、どうして?しかも一人で来たの?」

「へ、あ、うん」

「駄目だ、話はあとにしよう!岩ちゃんに十分だけお許しもらったから、早く行くよ!」

「は?どこに!?」

「駅だよ!それとも俺達と一緒に帰る?一度学校に寄ってミーティングと練習をするから家に着くのは夜になると思うけど」

「ああ、私は一人で帰るから気にしないでいいよ」

「バカ!他校生がたくさんいる場所にを一人放っておけるわけないだろ!?せめて駅まで一緒に行こう!はい、走って!」

「えええ!?」

結局、駅までの間を引きずられるように走った。例の言葉を伝えるどころか、呼吸をするだけで精一杯である。
試合が終わった直後だというのにどこにそのような体力が残っているのだ。徹といい、オレンジ頭くんといい、人間のスタミナではない。
改札を通り抜けるまできっちり見送られ、徹は来た道を急いで走り帰った。
……なんだろう、先ほどから胸が痛む。駅まで送ってくれたのは優しさだろうけれど、まるで早く帰れと言わんばかりじゃないか。
何ともやるせない気持ちに掻き立てられたが、息を整え大人しく電車へと乗り込んだ。
……私の気持ちは空回りしているのだろうか。

夜、徹は帰宅するなり私の部屋へ一目散にやってきた。
何一つ遠慮もせずに入ってきたので、せめてノックをするように注意してやった。だが私の言葉は聞き流し、二度と応援には来ないで欲しいと真剣な表情で告げられた。
言い返す言葉が見つからず、うなずくしかなかった。私が素直に意見を聞き入れたことに安心した表情を浮かべ、青葉城西のジャージを脱ぎながら部屋を出ていく。
二度と来ないで欲しい、とは。胸に穴が開きそうなほどの衝撃的な一言だった。
まさか、今まで徹に冷たい態度を取っていた私への仕返しだろうか。もしそうならここで引くわけにはいかない。向き合うと決めたのだから、徹の感情も受け止めないと。とはいえ、姉に向かって応援に来るなとは失礼だろう。もう少しオブラートに包んだ言葉で言えと叱ってやる。
でも、今日はやめておこう。徹は明日も大会がある。疲れさせては逆効果だ。
渦巻く気持ちを抑えさっさと寝る準備をした。寝てしまおう、寝てしまえば楽になる。

午前一時過ぎ。枕元から音楽が鳴り、ふと目が覚めた。
暗い部屋の中でまぶしく光る携帯を手に取り、目を細めながら画面を確認すると、岩泉くん、と名前が出ていた。

「もしもし、って、これ電話だよね?メール?」

「絶対寝ぼけてるよな。悪い、無理に起こして。電話だ電話」

「ほんとだ、電話だね、喋ってるもんね……スー」

「寝るな。あのさ、頼みがあるんだ。お前の弟がきっちり布団で寝てるか確認して来てくれねぇか」

「徹が?さすがに寝てると思うけど」

「俺の勘だが、明日の対策として対戦相手の試合を必死に見てる気がしてな。頼むわ。起きてたら引きずってでも布団に突っ込んで寝かせてやってくれ」

なるほど、そういうことか。
やると決めたらとことんやりつくす主義の徹を理解している岩泉くんだからこその心配だ。
今すぐにでもその頼みを聞き入れたいところだが、返事にとまどってしまう。数時間前、応援に来るなと言われたばかりなのに、また今から世話を焼くような真似をして拒否されないだろうか。
正直に、「……岩泉くん、ごめん。今は徹と関わりたくない」そう伝えれば、何かあったのか問われた。
あの辛い言葉を自分の口から出すのが嫌で無言になっていると、岩泉くんは電話口の向こうで大袈裟に溜め息を吐く。

「まあ、だいたいわかるけどな。応援に来たら困るとか何とか、そのへんだろ」

「え、まって、どうしてわかったの?」

「あいつ今日ずっと嘆いてたぞ。烏野の連中に囲まれてたのも気に入らなかったみたいで、テレビの取材ではケンカ売るような発言してたな」

「カラスノって、あの黒ジャージの人達?」

「そうそう。あいつらな」

「あそこのオレンジ頭くんはスタミナどうなってるの……いやいや、今はその話じゃなくて。ねえ、応援に行くのって悪いことかな?違うよね?」

「そりゃ応援は嬉しいが。真面目な話、俺もお前には応援に来てほしくねぇ」

「へ?なに、そんなに迷惑?何が迷惑か教えてよ、私服で応援に行ったから!?」

「いや、服装は別に何でもいいだろ。とにかくだ、弟の確認頼むぞ。じゃあな、おやすみ」

一方的に切られてしまった。岩泉くんにも胸の痛む言葉を告げられるとは。あまりにもひどいじゃないか。
布団から起き上がり、乱暴な足取りで徹の部屋へ行き豪快に扉を開けてやった。岩泉くんの言う通り徹は起きていた。ヘッドホンを装着し画面に集中しているせいか、私が来たことに一切気付いていない様子である。
無理にヘッドホンを取り上げ、シャツを掴み布団へ引っ張って……引っ張ろうとするが、重い!

「ちょ、ちょちょ、!ストップ!ストーップ!」

「こんの、徹のバカ!重たい!」

「なになに、どうしたの!?一人じゃ眠れないの!?」

「気持ち悪い勘違いしないでくれる。岩泉くんから電話かかってきたの。起きてるだろうから寝かせてやってくれって」

「岩ちゃんから?え、あれ、二人はいつ連絡先交換したの?俺の知らないうちに何してるの!?そこんとこ詳しく説明して!」

「今はそんなことどうでもいいでしょ!もう、早く寝なさ、ひっ、な、バカ!なにしてんの!」

徹のシャツをぐいぐい引っ張っていれば、その手を掴まれ胸元へ引き寄せられてしまった。恐ろしいほどに顔が近い。
あわてて離れようとするが腰に腕を回され、まるで抱き締める態勢に焦った。足だけをジタバタさせていれば、皆寝てるんだから騒がないの、と叱られてしまう。自分だって十分に大声で騒ぎたてていただろうに。

「徹、放して」

「やだ。ていうか怒ってるよね?どうしたの?怒ってる理由を教えてくれたら放してあげる」

「……徹に応援に来るなって言われて腹が立ったの。岩泉くんにも同じこと言われた。はい、これが理由」

「へ?どうしてそこで腹を立たせるの!?」

「だって、応援に行って何が悪い?どうして一度応援に行っただけでこんなこと言われなきゃなんないのさ!?私は私なりに考えて行動したのに」

「んー。本音としては、試合に集中できないからだよ」

「な、え……?」

「今日ね、ふと試合中にの気配を感じたんだ。じゃあ本当に観客席にいたから驚いたよ。試合中、気になって気になって、じゃあそこに烏野がのそばに来たでしょ?まったく平常心になれなくて、変に焦った。岩ちゃんも同じ気持ちだったとはね」

ったく岩ちゃんは要注意だな、そうつぶやく徹は腕に力を込めてきた。
……最悪だ。私がいると試合に集中できないと言われてしまった。頭の中が真っ白である。存在が邪魔なのか、頼りない姉が他校にからまれないか気になるのか、何が答えかは聞かないでおく。これ以上、面と向かってショックなことを言われたら立ち直れないかもしれないから。
気が抜けてしまい徹の胸に顔を埋めた。がっしりとした身体をしているだけに安心して体重をかけられる。

「……でも、今日は応援に来てくれてありがとう」

「来るなって言ったくせに、ありがとうは可笑しいでしょ」

「いいの。それにしても、、変わったね。今までだったらバレーボールの大会なんて見て見ぬふりだったでしょ」

「徹の頑張る姿が見たかったの。そう、あのサーブ!すごいね。あと、トスも!ボールを自由自在に操ってた」

「俺のポジションはセッターだからね。皆にどれだけ最高のトスでボールを繋げるか、そこが自分との勝負なんだ」

セッターと聞いて、心臓が高鳴った。
今がチャンスなのではないだろうか。自分の悔いを、今度こそ。言え、きっと言える、言うんだ。
ここで言わなければ、私はまた逃げ続けることになる。三年越しなので笑われるかもしれないが。それでもいい、徹の努力に対して祝福したい。
徹の胸に顔を埋めたまま、一言だけ告げた。「三年前のベストセッター賞、おめでとう」と。

「……へ?」

「なかなか言えなくて、ごめん。その、おめでとう」

「ベストセッター賞って、あの中学三年の時のだよね?」

「そう、それ」

「もしかして、おめでとうって、ずっと言おうとしてくれてたの?」

「だって、きちんと言葉で伝えたかったから」

「途中でもういいやってならなかった?」

「ならなかった。むしろすぐに言えなかった自分に悔やんでた」

「っ……なにそれ、サプライズもいいとこだよ」

途端、徹の声が上ずり、抱き締められている腕の力が強くなった。嬉しい、嬉しい、と震える声で繰り返し囁かれ、目頭が熱くなってしまう。
ここで泣いてしまっては恥ずかしいので、全力で徹から離れ部屋を出ようとしたその時。
徹が足にしがみついてきたせいで、顔から布団へ倒れ込んでしまった。布団の上とはいえ、顔面強打である。
しがみつく徹を睨むと、豪快に涙と鼻水を垂らしながらこちらを見てくるもので、噴き出しそうになった。
なんて不細工な顔をしているのだ。大会ではあんなにも女子からの声援を集めていたというのに。
近くにあったティッシュ箱から一枚引き抜き、顔を拭いてやった。私の足にしがみついたまま大人しく顔を拭かれている徹は、まるで小さな子供である。
自分で拭け、とティッシュの箱を差し出せば私の足……というかパジャマに顔をこすりつけてきた。
徹の鼻水が手に付着しようと何とも思わないけれど、パジャマを汚すのは勘弁してくれ。乾いたらかぴかぴになってしまうじゃないか。

「ちょっと、徹。鼻水だけは付けないで。ていうか、なんであんたが泣いてんの」

だって今にも泣きそうな顔じでるぐぜにっ」

「私はいいの。ずっと悔やんでたことを三年越しで言えたから、うるっときてるの」

「っ、うぅ、うわーん!」

「だからどうして泣くの!?あと、いい歳してうわーんとか言うな!」

「今泣かずにいづ泣ぐのざあああ!」

「うるさっ、しー!静かにしなさい!」

あまりにも大袈裟に泣き始めたので、両頬をつまみ引き伸ばしてやった。痛みで少しは冷静になるだろう。
徹の涙腺がここまで弱かったとは意外だ。負けず嫌いな性格なので、よっぽどのことが無い限りは涙など見せないはずなのに。
何より、ベストセッター賞の祝いの言葉を今更言ったら笑われると予想していただけに、今私が一番驚いているのかもしれない。
やはり徹は私と向き合ってくれているのだと改めて実感した。だって、私の悔いをしっかりと受け止めてくれた。
泣きじゃくる姿が少し可愛く見え、徹の頭を胸元に引き寄せ抱き締めてやった。先ほどと立場が逆転である。
しゃくり上げる呼吸が苦しそうで背中と頭を交互になでてやると、「俺、今なら死んでもいい」などと言い出したのでもう一度頬をつまんでやった。馬鹿なことを言うんじゃない。

「……ねえ、あまり泣きすぎると目がぱんぱんに腫れちゃうよ?明日も取材やテレビ局が来るんじゃないの?」

「そんなのどうでもいい。もっと頭なでてよ」

「ほんっと、子供か」

「俺は弟だもん。甘えていいの」

「はあ、まったく厄介な弟だわ」

「厄介とか言わないでくれる!……ねえ、は頑張ってくれたんだね。俺に一言おめでとうって伝えようとずっと努力してくれてた」

その努力に早く気付いてあげられなくてごめんね、そう心優しい謝罪を受け、私の目からも本格的に涙があふれ出した。
涙の雫が徹の頭皮に落ちてしまい、ふとこちらを見上げてくる。二人して泣き顔をさらし、お互い笑うしかなかった。
目元に指先を添えられ、「ありがとう」と告げられる。その瞬間、今までずっともやもやとしていた悔いがどこかへ飛んでいった気がした。

今回の件で、一つ、弟に心が開けた。
逃げないで向き合う勇気を忘れず、これからも双子の人生を歩まなくては。
と、私が真剣に考えている間に胸へ頬を何度もすり寄せてきたので強めのチョップをお見舞いしてやった。甘える度合いを間違えるんじゃない。何を考えているのだ。
……さて、と。岩泉くんの頼み通り、頭を抱えうずくまる徹を布団へと転がし、強引だが眠る体勢へ入るよう仕向けた。
電源がつきっぱなしのパソコンをシャットダウンし、スタンドの電気も消灯。よし、するべきことはした。
暗くなった部屋で布団に横たわる徹へ近寄り、このまま寝るように声をかける。しかし反応がないので強くチョップをしすぎたのか心配になり、そっと頭に触れると、手首を掴まれた。

「徹、なに、放して」

「……」

「おーい、無視するんじゃない」

「……スー……スー」

「え」

ちょっと待て。人の手首を掴んだまま睡眠の世界へ突入するんじゃない。
どうにか引き抜こうと頑張ってみたが、まったく放れない。徹の長い指が手首にがっちりと巻きついている。
最悪だ、このままだと私が寝不足になってしまうじゃないか。
掴まれていない方の手で全開になっている額をデコピンしてやると、もぞもぞ寝返りを打ち幸せそうな寝顔をこちらへ向けてきた。なんて卑怯な。
はあ、これ以上睡眠の妨害をするのは気が引ける。今はこのような無邪気な寝顔をしてはいるが、いざコートに立てば皆に注目される選手となる。そんな徹が寝不足になっては大変だ。一秒でも多く睡眠をとっておくべきだろう。そう考えると、いつか放してくれるのを根気よく待つしかないようだ。
同じ布団で寝るのはどうかと思うので、精一杯腕を伸ばし畳の上へ横になった。布団も無ければ枕も無いが、我慢である。
規則正しく繰り返される徹の呼吸を聞いていると、ふわりと意識が軽くなり始め、いつしか夢を見ていた。

徹がベストセッター賞の楯を持っていて、私がその場から駆け出すシーンだった。これは、私の悔いが生まれたあの日だろうか。
楯を持ったまま呆然と立ち尽くす徹の様子がしっかりと見える。
一気に気まずい雰囲気へと変わり家族があわてふためく中で、落ち着いた様子の徹は持っていた楯をテーブルへ置き、私の部屋へと足を進めた。
部屋前で立ち止まり扉へ近付くと、中から小さな泣き声が聞こえてくる。間違いなく私の泣き声だ。
泣き声にじっと聞き耳を立てていた徹は、次第に顔をうつむかせ肩を震わせ始めた。
夢の中とはいえ、私の行動は徹を苦しませていたのだと思い知らされ、声は届かないが謝罪を述べるしかなかった。
ごめんね、ごめんね。何度も謝罪を繰り返しゆっくりと顔をのぞきこむ。
そこで目にした光景。徹は頬を紅潮させうっとりとした表情で笑っていたのだ。
の頭の中、俺のことでいっぱいになってるんだろうな」と、つぶやき扉にキスをした。

そこで目が覚めた。額へ手を添えると、汗で前髪が濡れていた。
なんだ、今の夢は。尋常じゃないほどにはっきりと覚えている。徹の様子が奇妙だった。
軽い吐き気を覚え上半身を起こそうとすれば身体が動かせず。更には、耳元から寝息が聞こえ冷汗がにじみ出る。
先ほど畳で横になったはずなのに、布団の中にいることに気付いた。
そして、真横では徹が熟睡しており、私の胴体に手足が巻きついている。まるで抱き枕状態じゃないか、どういう事態だこれは。
あの奇妙な夢のせいか大人しくしていることが出来ず、全力で徹から離れた。這うように部屋を出て洗面所へと行き、水で何度も顔を洗い呼吸を整える。
ようやく落ち着いたところで水を止め顔を上げると、正面の鏡に徹が映っており、水を散らしながら背後を振り返った。

「徹、あれ、もしかして起こしちゃった……?」

「突然部屋から出て行ったでしょ、なんだか心配になって。どうしたの?怖い夢でも見た?声震えてるよ?」

「ああ、ごめん、何もないよ。ほら、徹は早く寝なさいって」

「真っ青な顔して何言ってんの。もう一度一緒に寝ようよ。俺がそばにいれば安心して眠れるでしょ?」

一歩、一歩、近付いてくる徹を、怖いと思ってしまった。
今夜は一人がいいと自分の意思を貫き通し、自室へ駆け込む。あわてて扉を閉め、ここ数年使用していなかったカギをかけた。
静かな部屋の中で布団にくるまっていると、徐々に罪悪感が襲いかかってくる。徹は優しさから声をかけてくれたのに、また私は逃げてしまった。情けないほどに、まったく成長していない。どうしてこうなるのだ。せっかく悔いを打ち消し、一歩前進したはずなのに。
全ては夢のせいだ。あんな夢を見たせいで。
(っ、ごめんね、徹……。でも、向き合うって決めたから。もっと心を開けるように頑張るね)






扉に耳をつけ姉のすすり泣く声を盗み聞く弟は、目を優しく細め口角を吊り上げた。






*END*

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます!
以前に書きました「熱くなれ」の続編です。
今回タイトルの「本性」は、及川の裏の顔を差します。
自分で読み返して最後の方、寒気しました(あほだ
……申し訳ございません。