人の器を手に入れ、己の足で大地に立っている。正しくは手に入れたというよりも、気づけばこの姿になっていたのだが。

 人の姿となった今、目に映る全てが新鮮で、敵に思えた。
 そう、目。人の目は苦手だ。所詮写しだと決めつけるような表情でこちらを見つめてくる、あの目が。今まで人の視線を刀身にどれほど浴びてきたことか。

 人となり、初めてまぶたを開けると、とある女と目があった。その女というのが驚くほどの間抜け面をこちらに向けており、なんと声をかけて良いか戸惑ったほどである。
 お互い目を合わせたまま固まっていると、女は我に返ったのか深く頭を下げ、おそるおそる手を伸ばしてきた。女の指先が俺の手の甲に触れたその瞬間、全身がふわりと暖かくなり、己の主であると即座に理解した。

 ――この女が、主?

 疑問だらけだが、主とわかった以上は無言を貫くわけにもいかず、こちらから名乗った。とはいえ、俺を写しだともの言いたそうな女の目が気にくわず、余計な一言も添えて。
 すると、「写しって……ああ、あれかな、刀の業界用語?」などと眉をひそめながら首をかしげる態度にまたしても戸惑ってしまう。これは想定外の反応だ。このような場合どう返事をすれば良いのか困り果て無意識に目を泳がせていると、何故か女も目を泳がせ始め、変な汗が湧き出た。この妙な空気、俺はどうすればいいんだ。
 いつからいたのか、女の足元でこんのすけと名乗る狐が会話に助け舟を出してくれたおかげで何とか場の空気が落ち着いたわけだが。会話ひとつでここまで戸惑ってしまうとは、人の器はどれほど繊細にできているのか。少々焦るだけで心の臓がここまで高鳴るのも厄介なものだ。
 軽く息を吐きながら心の臓に手を添える俺を、こんのすけは見上げてきた。そして、人の姿といえど刀剣より顕現された付喪神であると己の素性を言い聞かされ、現状に混乱してしまい更に心の臓が高鳴る。
 付喪神とは長い年月を経た道具に神が宿ると、確かそのような意味であったはず。写しだと言われ続けている俺に、神などと、なんという仕打ちだ。
 頭からかぶっている布で顔を隠し、混乱している表情を見られないよう徹した。
 顔を隠す俺と、俯きながら写しやら付喪神やらぬいぐるみが動くし喋るし今の状況なにこれ、そうつぶやく主。どうやら主も現況を把握していないように見える。ああ、これは厄介事に巻き込まれた可能性、大だ。
 こんのすけが俺の足元へ腰を下ろし、あなたには歴史改変を目論む歴史修正主義者を倒していただきたいのです、そう告げてきた。歴史修正主義者を倒す為、俺は付喪神となり目覚めたとのこと。ようするに戦えということらしい。
 拒否する理由もなく、とりあえずうなずいておいた。すると、主は信じられないという表情でこちらを見てきたので、つい睨んでしまう。何故そのような目で俺を見るのか問うてみると、突然奇妙なぬいぐるみに戦えと言われて戦えるあなたすごすぎる、と理解できない返答を返され首をかしげるしかなかった。その直後、こんのすけが勢い良く地を蹴り主の腹部へ頭から突っ込む様を目の当たりにした。……なかなか痛そうだ。
 こんのすけいわく、歴史修正主義者には最弱の者から最強の者まで存在するらしく、正面から挑むには仲間を集める必要があるとのことだ。俺の他にも様々な刀剣が顕現されるその時を待ち構えているのだという。
 仲間を集める方法は二つ。歴史修正主義者と戦うことで出会いを待つか、資源を注ぎ込み刀剣を呼び覚まさせるか。……とりあえず、資源が豊富にそろっていないこともあり、今は前者を選択するしかないらしい。
 主へ今すぐにでも戦地へ出向く準備はできていると意思表示をすると、さすが山姥切殿です! などとこんのすけに返事を返された。主は何かを言いたそうにしていたが、こんのすけにことごとく言葉をかぶせられ何一つ発言ができぬまま戦地へ赴くこととなった。
 主は何を言いたかったのだろうか。まあ、あからさまに顔を青ざめさせていることから大体の想像はつくが。

 いざ戦地へたどり着くと、青空の下、淡い緑の光が何体も宙に浮いている様を見つけた。お互いが徐々に距離を詰め、敵の姿が露わになる。その姿は全身が骨であり、蛇のように細長く、手足はついていない。鋭い牙で器用に短刀を咥えている。こんのすけが目を細め、あれが歴史修正主義者です、そう言い放った。
 敵の実力が検討もつかないゆえ、現況が有利か不利かさえ不明だが、囲まれていることからして不利なのだろうか。まずは鞘から刀身を抜き、構え……ようとすると、隣にいた主が地に埋まっている石、いや、岩を持ち上げ歴史修正主義者へ投げつけ始めた。それはもうこの世の終わりとでも言うかのような叫び声を上げながら。
 俺とこんのすけが唖然としていると十秒もせずして全滅し、思わず後退りしたほどである。
 直後、主は崩れ落ちるように地へ座り込んでしまった。顔を両手で覆う仕草からして泣いているのかとのぞきこむと、骨が骨が襲いかかってきた骨が骨が骨骨骨ぇぇぇ、などとつぶやき始め、なんと声をかけて良いものかまたしても戸惑ってしまう。確かに骨だったが、そこまで驚くことなのだろうか。ああ、この人を前にしたら先ほどから戸惑ってばかりだ。調子が狂うとはこのことかもしれない。
 励ます言葉の一つでもかけてやろうと試行錯誤していると、こんのすけが歓喜の声を上げた。何事かと歩み寄れば、この岩の下を御覧ください! と声高らかに地を飛び跳ねる。そこには一振の短刀が横たわっていた。岩の下敷きとなり見るからに悲惨な状況ではあるが。
 こんのすけは、主へ短刀に触れるよう指示を出した。しかし、主は両手で顔を覆ったまま一向に動こうしない。こんのすけは溜め息を吐き、口で短刀を咥え柄の部分を主の足へポンと当てた。すると、短刀から光が放たれ、同時に桜吹雪が舞い、人の姿をした子供が現れたのだ。骨々しい歴史修正主義者よりもこちらに驚くべきではないだろうか、なあ、主。
 短刀は元気よく立ち上がるが、主がしゃがみこんでいることに気づき首をかしげる。可愛らしく頭を傾けつつ薬研藤四郎と名乗った短刀だが、額から血が斜めに流れ落ちギョッとした。

「おい、俺っちの大将だよな? どうしたんだ、しゃがみこんで。おーい」

「先ほどいろいろあってな。俺は山姥切国広だ。それよりも薬研、額から血が流れているぞ」

「ああ、大将の投げた岩が直撃しちまって。だがな、こんな痛みより丸腰でありながら敵に挑む姿に胸打たれたよ」
 
 さっきの大将格好良かったぜ! などと無邪気に笑う薬研に、乾いた笑いが出てしまう。まあ、なんであれ仲間が増えたことに変わりはない。良しとしよう。
 薬研の前へ行き、垂れている血を布で拭ってやった。傷口は清潔な布以外では触れてはいけないと聞いたことがあるので触らないでおく。
「悪い、あとでその布洗わせてくれ」そう遠慮がちに言う薬研は子供の姿でありながら大人びていた。
 そうこうしている内に再び歴史修正主義者に取り囲まれ、俺と薬研は主の前へと立ち、刀を構える。斬っても斬っても無限に現れるこいつらは一体どこから湧いているというのだ。雑魚と言えど立て続けに斬り続けていると刀の切れ味が落ちてくる。加えて、人間の器は限界があるようだ。息が続かない。心の臓が苦しい。薬研も額から流れる血と共に大量の汗を噴き出している。この厳しい状況、まずいかもしれない。
 ついに薬研が片膝を付き、「大将すまねぇ。出会ってそうそう力尽きるとは、情けねぇ」肩を大きく揺らしながらそうつぶやいた。
 主は先ほどまで骨骨骨と声を震わせていたが、薬研の傷ついた姿を見て、瞬時に表情が変わった。
「こ、子供がこんなにも傷ついて、血が、ああ、どうしよう……こんの骨野郎ども……許さん! 滅びろ!」と何やら勢いよく立ち上がり、俺では到底持ち上げられそうにない巨大な岩をものすごい格好で地面から引き抜き歴史修正主義者へと投げつけた。薬研は輝いた目で主を見つめ喜んでいるようではあったが。
 その後、主の活躍もあり薬研の他に三振の短刀が仲間となった。皆、粟田口の名刀であり、兄弟だ。名刀揃いの状況に少しばかり嫌味を言ってしまいそうになったが、子供たちの柔らかな表情を見ていると己が恥ずかしくなる始末である。布を深くかぶり気持ちをまぎらわすことしか出来ない俺は、やはり写しと言われても仕方がないのだろうか。

 本丸へと帰還後、こんのすけに手入れ部屋の説明を受けた。俺たち刀剣は人の姿と云えど、手入れ一つで傷が治るとのことだ。ただし、主が付きっきりで手入れをすることが条件らしい。その説明を聞いた主は、俺と薬研の腕を引き、手入れ部屋へと直行した。薬研はともかく、俺を直す必要なんてないというのに。だが、主は俺の言葉を聞き流し、ぎごちない手つきで傷へと触れてきた。
 不謹慎かもしれないが、手入れの最中はとても気持ちが良かった。眠気に襲われ、次に目を覚ましたときには傷が見事に消えていたので驚いた。関心しながら己の体を見回していると、俺と薬研の間で力尽きたように横たわる主を見つけ動揺してしまう。
 主の体は、すり傷だらけであった。俺が起き上がった物音で薬研も目を覚まし主の元へと寄ってくる。二人して顔を見合わせ、主の傷を治す為手入れを始めた。しかし、いっこうに傷口が塞がらず躊躇していると、いつの間にかこんのすけが側におり、「主さまは正真正銘の人間ですので手入れで傷は治りませんよ」そう教えられた。
 人間は自然に治癒する他、傷を治す方法はないらしい。薬研が主の左手を持ち上げると、小指と薬指の爪が剥がれかかっている様を目の当たりにした。間違いなく、あの巨大な岩を持ち上げたせいだろう。指先の皮膚もめくれているではないか。
 このような痛々しい手で俺たちの手入れをしてくれたのだと知り、溜め息が出てしまう。初対面の人間、いや刀剣を相手にここまでするとは、愚かだ。
 人間用の消毒液と塗り薬というものをこんのすけから預かり、勝手に傷の手当てをしてやった。痛むのか時折表情を歪ませていたが、清潔な布で傷を固定してやると表情もおだやかになり一安心である。  
 廊下が何やら騒がしくそちらへ目をやると、粟田口の兄弟たちが心配の顔色を浮かべこちらを見つめていた。薬研が手招きすれば兄弟たちは静かな足取りで中へと入ってくるなり、睡眠中の主を取り囲む。
 皆、眉を垂れ下げ、早く目を覚ましてほしいと口々に願望を唱えた。出会ってすぐに主がこのありさまだと、短刀たちが心配になるのも無理はない。
 すると、女の格好をした乱藤四郎が主の髪をひとふさ手に取り、更にそれを三つのふさにわけ、器用に編み始めた。何をしているのかと薬研が訊ねると、「主が目を覚ましたとき、姫様みたいな髪型になっていたら喜ぶと思わない?」とのことだ。その返答に、薬研や他の兄弟たちはなるほどとうなずく。理解が早い粟田口の兄弟に対し、結局のところ何が言いたいのかさっぱり理解ができなかった俺は、乱の細い指先が器用に動く様をただ見つめ続けた。
 乱が主の髪を編んでいる間に、隣にいた五虎退と秋田はひらめいたように外へ出ていく。しばらくして先に手入れ部屋へと戻ってきた五虎退は手に草を持っていた。
「どこにも花が咲いていませんでした」と頭に虎を乗せている五虎退が涙目でつぶやく。薬研はあわてて五虎退へ駆け寄り、「でかしたぞ五虎退。草は根強くて俺っち大好きだ。主もそうに違いねぇ」などと優しい言葉をかけていた。なんというか、どこまでも出来た奴だと思う。薬研と乱に頭を撫でられ余計に涙を浮かべる五虎退は何故か俺に草を渡してきた。……なっ、え。
 草、か。間違いなく草だな。で、この草を俺にどうしろと。
 冷ややかな汗を浮かべていると乱に呼ばれ、草をどうすれば良いか説明を受けた。草は髪飾りにするとのことだ。かんざしを想像して髪に添えればいいらしい。ようするに挿せばいいんだな?
 乱が髪を編み終えた箇所へ、試行錯誤しながら草を挿した。人の髪の間へ何かを挿すなど始めてのこと。挿す場所があっているのかさえ不明だが、まあ、草といえど髪飾りに見えんこともないか。
 次に手入れ部屋へ戻ってきた秋田の手にも、五虎退と同じく草を持っていた。五虎退の採取した草はこじんまりとした丸い葉のものであったが、秋田の採取した草はやけに細長い。まさか、これも挿すのか。薬研と乱は、立派な草だね、と秋田を褒めたたえ、主への髪飾りとして躊躇なく髪の間へ挿した。やけに飛び出ているように見えるが……いや、短刀たちが良いのならそれで良い。
 主が早く目を覚ますよう頬をつついたり、痛々しい手を優しく撫でたりと短刀たちは忙しない。そのような柔らかな空気がただよう中、皆から少し離れ、部屋の隅へと腰をおろし何気なく主を見ていた。

 数時間後、主は真夜中に目を覚ました。
 短刀たちは眠そうな目をこすりながら必死に起きていたので、主のまぶたが開いたときには大喜びであった。主は上体を起こすまではいいものの、短刀たちに囲まれている上に期待に満ちた目を向けられ、ただただ固まっている。短刀たちは髪が編まれていること、それに草の髪飾りについて反応が欲しいのだ。とはいえ、鏡のない手入れ部屋で姿を確認することはできない。困っている主を見てもいられず背後へ忍び寄り耳打ちしてやった。とりあえずあんたは全力で喜ぶべきだ、と。
 まず背後から耳打ちされたことに驚いていたが、俺の言葉を間に受け止めたらしく、嬉しい、素晴らしい、ありがとうございます、感謝します、この通りです、などと手を合わせながら喜び始めた。
 そんな主の喜ぶ姿を見て、短刀たちは無邪気な笑顔を浮かべる。なんとかこの場は落ち着きそうだ。そう思っていた矢先、主の太ももへ何かが落ちてきた。緑色をしたそれは、バッタであった。先ほど採取してきた草についていたのだろうか。しまった、と直感で焦った。女はこういう虫の類が苦手だと、いつぞや人間がぼやいていたのを覚えている。咄嗟にバッタへ手を伸ばすが、主は手の甲にバッタを乗せ、あらあらどこから入ってきたの、と落ち着いた様子。短刀たちもバッタに興味津々であり、瞳を輝かせじっと見つめていた。
 すると主は、秋になるともっとたくさんの虫に会えるよ、と短刀たちに声をかけた。残念ながら今は夏なのでもう少し先の話だけどね、そう頭をかきながら一言添える。

「僕、虫をよく知らなくて……秋になったら、いろいろ教えてほしいです、主様」

「ボクは虫に興味ないけど、主が一緒に遊んでくれるならなんでもいいよ?」

「主君が虫を探しに行くのでしたら、どこまでもお供します! 色んな虫も見てみたいですし」

 五虎退、乱、秋田は嬉々と主へ言葉をかけ、自然と和やかな雰囲気になった。どうやら俺の心配は空振りに終わったらしい。
 この空気にのまれたのか、おだやかな気持ちに支配され、つい口元が緩んでしまう。皆に見られないよう布で隠したのは言うまでもない。





 つづく