愛に番して猫人生



我輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当もつかぬ。狭くて薄暗い、腐臭のする場所でにゃーにゃーと鳴いていたのを記憶している。そこで我輩は人間というものを初めてみた。彼らもまた、腐臭するモノと同じようにじっとうずくまっている。生きているのか、それとももうとっくに死んでいるのか。
空腹に泣く日々が続く。外では腹を満たすことができるというのを我輩は人間が話しているのを聞いて知った。このままでは良くない、と感じ、空腹でフラフラする身体に叱咤しながら狭くて薄暗いこの場所から初めて陽の当たる世界へ行った。
空、という言葉を初めて知った。また、空が青くて広い事も知り、一瞬空腹だったことを忘れるほど、身体中が痺れる衝撃を受けたのを覚えている。

それから数十年。
我輩は、寿命というものがないのだろうか、猫にしてはかなりの長命として生きている。ひょんな事から、我輩は調査兵団、という人間が集まる集団の番犬ならぬ番猫として暮らしている。
なんでも、長寿というのが彼ら人間にとっては縁起がいいらしい。

ある日の昼下がり。
我輩は門番をしていた兵士に連れられて一緒に昼食を食堂でとっていた。
人は疎らに座っており、おおよその人間がすでに食事を終えていた事がわかる。
門番たちは少し緊張気味であった。
理由は、同じ空間にこの調査兵団を束ねるエルヴィン・スミス団長といつも怖い顔をしているリヴァイ兵士長、奇人と名を(とどろ)かせているハンジ・ゾエ分隊長に、巨人になれる人間エレン・イェーガーがいたからだろう。
我輩もここへ来て数年になるが、この組み合わせと鉢合わせるのは片手で足りるほどである。もっとも、今年の新兵のエレン・イェーガーは除く。

「…おい、」
「はいぃいいいっ?!」

怖い顔のリヴァイ兵士長が、全く表情を変えずに門番の一人に声をかけた。

「なぜ畜生と一緒の空間で飯を食わねばならない…?」

何度言わせるつもりだ、とリヴァイ兵士長は視線でひと一人殺せるような目つきで門番たちを睨みつけた。
すっかり(すく)んでしまって、あわあわと言葉にならない声をあげている。…なぜか、エレン・イェーガーもあわあわしている。
それがどうにもおかしくって、我輩は小さくにゃ、と笑った時であった。
突然ぼふん!と煙がたち大きな音とが食堂に響いた。兵士たちが臨戦態勢をとり、煙が晴れるのを待つ。
そこには、10歳前後の裸の少女が立っていた。代わりに猫の姿は無く、門番たちがどこへいった?!と周囲を見渡す。

「門番さん、門番さん。我輩は、「ぶはっ!!!!!!」

我輩はここですよ、と言おうとすると、ハンジ・ゾエ分隊長が吹き出した。
我輩の姿は人間の女の子の姿をしている。胸元は真っ平らであるが、我輩は猫であるから、必要ないだろう。

「あの、我輩の、「ぶはっ!!!!!!」

ハンジ・ゾエ分隊長はひーひー笑っている。どうやら、女の子の姿をした我輩が、自分のことを『我輩』と呼ぶことにお腹を抱えているようだ。その隣には顔を赤くして視線をそらすエレン・イェーガー。エルヴィン・スミス団長はなんと言おうか、とひどく困ったような微妙な表情で我輩を見つめ、怖い顔のリヴァイ兵士長は…

「…着ろ。」

怖い顔のまま、我輩にジャケットを着せてくれた。人間の男性にしては身長が平均以下のリヴァイ兵士長だが、我輩にとってはそれでも丈が余るほど大きい。
怖い顔をしてはいるけれど、リヴァイ兵士長がとても優しいのを我輩は知っている。まさか、先ほどまで畜生と飯は食えない発言をされていたとは思えない。

「リヴァイ兵士長殿は、我輩に「ぶはっ!!!!!!」

我輩にも優しいんですね、と言いたかったのだが、またもやハンジ・ゾエ分隊長の笑いで最後まで言えなかった。

「おい、エルヴィン、」
「ああ。みんな、この事は他言無用。いいね。」

言外に、言えばどうなるか知っているか?と含みを持たせた笑顔で緘口令を敷いた。
幸いにも兵士は十名程だった。が、彼らにしてみれば、幸いどころか災いだろう。
すっかり震え上がって、みな首を縦に振るばかりだ。
行くぞ、とリヴァイ兵士長は声をかけた。どこへ、とは誰も言わない。我輩はエレン・イェーガーに手を引かれ、ついていった。
団長室へ連れて行かれ、前開きのジャケットのままでは流石に目のやり場に困る、とのことでシャツを貸してもらった。ここには10歳くらいの子供はいないので、どの服も我輩にとっては大きい。
そもそも、数十年生きているのに子供の姿には我輩も些か首を傾げる。
今ここにいる人間たちの年の数え方でいえば、我輩は誰よりも年上のはずである。まぁそんなことはどうでもいい。我輩は猫であるのだから。

「さて、えー、君の名前は?君は門番の猫でいいのかな?」
「我輩は猫である。名前はまだ無い。」

今回はハンジ・ゾエ分隊長に邪魔をされなかった。どうやらリヴァイ兵士長が最初から口にふたをしていたようで、声すらあげられないようにしたみたいだが…その手を離さないと、ハンジ・ゾエ分隊長が危険な状態になると思う。顔色が青い。

「そ、そうか。」
「おい猫。」
「はい。」

呼ばれたので返事をすると、リヴァイ兵士長は目を見開いた刹那のあと、ふんと鼻を鳴らして悪くない、とつぶやいた。
リヴァイ兵士長はそのまま何も言わなかったので、エルヴィン・スミス団長がなぜ人間に変身したか原因はわかるかい?と聞いてきた。我輩には皆目見当がつかなかったので首を横に振った。

「困ったな、」
「何を困るっていうんだい?!巨人じゃないけど、私に任せて!」

このハンジ・ゾエ分隊長は役職など構わない性質(たち)の持ち主のようである。我輩でもエルヴィン・スミス団長がこの兵団での一番トップであるということを理解している。

「ハンジ・ゾエ分隊長殿に、我輩を調べさせるのですか。」

我輩は心底嫌な顔をしたのだと思う。ハンジ・ゾエ分隊長以外の三人がうんうんと納得したように首を振った。

「なんで?!君も元の姿に戻りたくないの?!」
「…意外と人の姿も便利なのですね。視点が高く見る世界が違います。両手を自由に使えるのは、物事をするのに都合がいいです。我輩はいつも四足歩行なので、二足歩行には慣れませんが、」

言外に嫌だと拒絶すると、ハンジ・ゾエ分隊長はひどく残念そうな表情でどうしてー!と叫んだ。あまりにも耳障りだったのか、リヴァイ兵士長が弁慶の泣き所へ蹴りをクリーンヒットさせた。痛い。あれは、ぜったいに痛い。
二足歩行に慣れない、という我輩の進言はエレン・イェーガーが同意した。この団長室へ来るまでに我輩はヨロヨロと、それはそれはうまく歩けず何度か転びそうになったからだ。

「そういえば、エルヴィン・スミス団長殿。」
「ん、なんだい?」
「我輩はこちらにいるみなさんよりも長く生きているので、もしかしたらそのせいで人の姿をとることが出来るようになったのかもしれません。」

我輩がそういうと、みんな目を点にした。怖い顔のリヴァイ兵士長は眉間に深くしわを刻み、寝言は寝て言え、と地を這う低い声で言ったことから、なかなか機嫌が悪化していることがうかがえる。

「我輩、嘘は言いません。理由はわかりませんが、心当たりと言えばそのくらいしか思い浮かばないので、申し上げました。」

それに、みなさん違和感を感じませんか?我輩はもともと言語という概念を持ちませんが、こうしてみなさんとお話しできているのは、おそらく我輩に言語を司る器官がこの数十年で発達したからなのだと推察します、と続けると、あぁー、と納得した声が上がった。ところで、我輩はなぜこんなにも落ち着いていられるのだろうと自問自答してみたが、結局のところ、生来なんとかなる精神で生きてきた結果なのだろうと結論づけた。

「…この先君はどうするつもりでいるんだい?」
「急に人の姿になれたのであれば、いずれ元の姿に戻ると思われます。我輩のことは気にせず、みなさんは普段通りお過ごしください。我輩はいつものように門の塀の上で過ごすだけです。」
「そうはいかねぇだろ。いくらお前が猫でも、人の姿を取る以上、人目に付く。あまり外部の人間にお前の姿を見せるわけにはいかねぇ。」

リヴァイ兵士長の言葉にエルヴィン・スミス団長も同意する。ううむ。決定権がある人にそう言われてしまっては、兵士でない我輩でも調査兵団の番猫として従わざるを得ないか。

「では、我輩はどこで、」

ハイハーイ!私のとこでっ!とハンジ・ゾエ分隊長が元気良く立候補したが、エルヴィン・スミス団長がにっこりと微笑んで却下した。英断、本当に感謝する。十分に長生きしたと思っているが、実験体で好き勝手身体を弄ばれた上で命を落としたくはない。

結局、人目につきにくいという点で、エレン・イェーガーの部屋がある地下に我輩も住むことになった。
日の当たらない暮らしなど、実に十数年ぶりであった。
エレン・イェーガーは地下での暮らしに眉を下げながら仕方が無いと諦めがあるものの、やはり陽の光が恋しいのか少し不満げではあった。我輩はというと雨風が凌げて、三食食事が与えられて、誰にも邪魔されないこの空間が非常に心地よかった。
昔いた薄暗い場所と比較するなら雲泥の差だ。
そんな我輩の様子にエレン・イェーガーは少し目を見張っていたものの、数日もすると慣れたようである。
ただ、地下へきて我輩自身が対応できなかったことがある。体温調節である。猫の姿で会った時は毛に覆われ、自由に行動できたこともあり調節も上手くできていたが、人の姿で、大きな服一枚をワンピースのように着ただけでは、陽の当たらない地下での暮らしには(いささ)か薄着であった。見かねたエレン・イェーガーが進言してくれたようで、我輩にも毛布を与えられた。さらに、地下での暮らしが快適になった。
エレン・イェーガーとは同じ地下暮らしということで、長い時間を共有してきた門番さんよりも、言語によるコミュニケーションをとることができたと思う。
我輩が地下で暮らし始めてから一度も地上へは上がっていない。しかし、エレン・イェーガーは兵士である。訓練に参加せねばならず、必ず誰かが開錠し、地上へ上がる。そして訓練が終わると地下へ戻り誰かが施錠する。

「…お前、地上に行きたくないのか?」
「行きたくないわけではありませんが、地下にいる意味を考えると、安易に上がることはできません。我輩はみなさんに迷惑をかけるつもりはないのです。」

もっとも、既に迷惑をかけてしまっているので、これ以上お手を煩わせるわけにはいきません、と言うとエレン・イェーガーは気にしなくていい、と笑った。我輩は彼の笑顔がずっと絶やされなければいいのに、と思う。時々、エレン・イェーガーはひどく傷ついた表情で下を向く日がある。…これは我輩の憶測だが、おそらく心にもない言葉の攻撃を受けているのであろう。
そんな日は決まってエレン・イェーガーの布団に潜り込ませてもらい、鎖で繋がれた手を握って眠る。最初は驚いていた彼も、いつしか安心したような表情(かお)で眠るようになり、小さくありがとな、と呟く。我輩は寝たふりをして知らないふりをするのがお決まりだった。

我輩の姿はいつまでも人の姿のままで一向にもとの姿に戻る気配が無かった。
地下での生活も流石に一月経つと怖い顔のリヴァイ兵士長も良心が痛むのか、地面に広げられた毛布の上で猫の時のように(くる)まっていた我輩に声をかけてきた。

「おい猫。」
「はい。」

相変わらず間髪入れず返事をすると、リヴァイ兵士長は満足げにうなづく。

「お前、外へは出たくないのか?」
「どうしてですか?」

いつかのエレン・イェーガーと同じ質問に我輩が首を傾げると、リヴァイ兵士長はバツが悪いように顔を背けた。

「我輩は自分がどこで生まれたか覚えていません。ただ、記憶しているのは、狭くて薄暗く、腐臭のにおいが立ち込める場所で飢えを耐え続けたことだけです。そんな日々と今を比較すれば、天と地の差があります。我輩が今ここにいるのは、我輩のためだと考えていますが、違うのですか?」

そうでなければ、我輩はなんという自分勝手な猫なのか。人の姿をとるようになってから、自然と人として考えるようになっていたのかもしれない。
リヴァイ兵士長は答えない。ただ、何かを睨みつけるように虚空を見据え、また来る、とだけ言って地下を去った。我輩は大きなあくびをひとつして地面にしいた毛布に頬をすりつけた。

その日は、朝から普段と違う食事が与えられた。
味付けがすこし辛めだったり、スープに一欠片の肉が入っていたり。
肉が入ることはめったにない。と、言うのも、五年前にウォール・マリアが巨人によって破られ、領土の三分の一を失ってから人間たちは食糧難に(あえ)いだ。四年前に、ウォール・マリア奪還作戦が決行されたが、全人口の二割を失う大損害をだす結果に終わったその一方で、少しだけ飢えが解消されたのも事実だ。それから、正直なところ何も変わってはいない。相変わらず少量不足は続いているので、肉は貴重だ。

「今日は何かあったのでしょうか?」

我輩はついに疑問に思ったことをきいた。
我輩から言葉を発することは少ない。それをこの一月で理解していたエレン・イェーガーが食事の準備をしつつ、目を見開いた。
地下で過ごすのが決定して以来顔を合わせなかったエルヴィン・スミス団長、言葉通り再び姿を現したリヴァイ兵士長、そしてニコニコと笑みを浮かべる奇人と名高いハンジ・ゾエ分隊長が、地下にやってきた。我輩はただただ首をひねるばかりである。

「今日は、クリスマスでね。」
「そうですか。」

エルヴィン・スミス団長が少し照れたように頬をかきながら、話し出す。
なるほど、通りで食事が普段と違い豪勢だったわけだ。謎が一つ解決する。

「人間は、みなプレゼントを渡す。」
「そこでね、君にも私たちからプレゼントをあげるよ!」
ふむ、だからみなさんは忙しい中わざわざ我輩のところへやってきてくれたのだな、とようやく一月前以来みなが集まったわけである。納得した。

「おい猫。」
「はい。」

うん、とリヴァイ兵士長は満足する。

「お前に名を与える。」
「なまえ、ですか。」
「今まで名前がなくて不便だったからな!みんなで考えただ!」

エレン・イェーガーが自分のことのように嬉しそうに笑った。我輩の胸元あたりがぽかぽかと温かくなった気がした。

。」
?」
「そう、それが君の名前だよ、。」

。心の中で何度もたった今もらった名前を唱える。
なんだか、とても温かい気持ちになる。

「いい、名前ですね。」
「そう言って貰えて嬉しいよ。」

みなが眉尻を下げて、口角を上げた。リヴァイ兵士長だけは眉尻を下げなかったが、いつもより目を細めていたので、彼なりの笑みなのだろう。
我輩が、ありがとうございます、とみなと同じように表情を緩めた途端、ぼふん!と音と煙が地下に立ち込めた。
煙が晴れると、そこには一月前まで調査兵団の敷地に入る門の塀の上にいる見慣れた猫がいた。

「も、戻った…?」

ハンジ・ゾエ分隊長が呆気に取られながら呟くように言った。我輩は、そのようですね、と言ったが、にゃーという鳴き声しか出てこなかった。ううむ。もう少しみなさんとお話したかったが、これでは難しい。残念だ。

「おい。」
「にゃあ。」

リヴァイ兵士長の呼びかけに、変わらずの速さで応えると彼はうん、とうなづいて我輩の頭をひと撫でした。
その行動に目を見開いたのは我輩とリヴァイ兵士長以外の三人である。

「エルヴィン、こいつは俺の部屋に連れて行く。」
「あ、あぁ…。そういう話だったからな。」

え、そうなの?!とハンジ・ゾエ分隊長がすっとんきょんな声を出し、エレン・イェーガーは口をぱくぱくさせていたことから、エルヴィン・スミス団長しか聞かされていなかった話のようだ。
首元を引っ張られ、我輩の身体が宙に浮くが、すぐに逞しい腕に()(かか)えられ一月過ごした地下から地上へと出て行く。
空は相変わらず青く、広かった。

。」
「にゃあ。」

呼ばれたので答える。

「俺の躾は厳しい。」
「にゃあ。」

存じ上げています、と答えるとリヴァイ兵士長はふんと鼻を鳴らした。

こうして、我輩は調査兵団の番猫兼、なぜかリヴァイ兵士長の補佐猫として調査兵団に所属することになった。

相変わらず我輩は猫である。名前は。どこで生まれたかとんと見当がつかぬが、調査兵団の番猫兼兵士長補佐猫として今日も生きている。