愛に番して猫人生2



-ある日の調査兵団-



我輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ、狭くて薄暗く、腐臭が立ち込める場所でにゃーにゃーと鳴いていたのを記憶している。

そんな我輩が、調査兵団(ここ)の番犬ならぬ番猫として生活するようになってかた初めての年、「キジン」と名高い人物がいる事を知った。
キジンと聞いて、我輩はまず「貴人」を連想した。
貴人と言えば安易だが、貴族だと思った。はて、本来兵団という俗世間から隔離された集団の中に、貴族なんているものだろうか。
人間達は、外側の壁から、ウォール・マリア、ウォール・ローゼ、ウォール・シーナと三つの壁の中で生活している。なぜ壁の中で生活しているのかと言うと、その外には巨人という人間を襲う生き物がいるらしい。
らしい、というのは我輩もまだ見たことがなく、人間達が話しているのを聞いただけだからだ。
ただ、この調査兵団では、壁の外を調査するのが主な任務であり、壁外調査と呼ばれる数か月に一度ある大規模な軍事行動で、巨人と戦って負傷した兵士、行ったきり戻ってこなかった兵士達をを見てきたことから、巨人の力がいかに強大な物であるか、我輩でも推察することができる。
さて、そんな危険な調査兵団に貴族がいるものか。…いや、もしかしたら本当にいるのかもしれないが、三つの壁の一番内側、ウォール・シーナで暮らすことが多いと聞いたことがあるので、やはりここに貴人はいないだろう。

次に連想したのが「鬼神」である。
うむ!これは大いにあり得る。なにせ、「人類最強」と呼ばれる兵士が、我輩がここに来る少し前に入段したと聞いた。なんでもその兵士は男性でありながら非常に小柄で、いつも眉間にしわを寄せているそうだ。入団して間もなく兵士をまとめる一番上の地位で「兵士長」という役職に就いたと聞いた。
これだ!我輩が知りたかった「キジン」とは彼の事をさすに違いない。
我輩は門の傍で生活しており、鬼神の兵士長とはなかなか出会う事がない。我輩はどうしても鬼神が気になり、兵団の敷地内へ入った。いつもの我輩の定位置は塀の上だ。日によって多少位置はずれるが、おおかたその場所にいる事が多い。

「にゃーん。」
「お、今日は珍しく散歩でもするのか?あまり敷地内をうろうろするなよ。馬も通るし、危ないぞ。」

こんにちわーと挨拶すると、愛想のいい門番さんが声をかけてくれる。我輩はわかりましたー!と元気よく返事をしてとことこ歩く。さて、鬼神の兵士長さんはどこだろう。

調査兵団の敷地はそれほど広くは無いはずなのだが、やはり我輩の短い手足では時間がかかってしまう。日が暮れる前には門の傍に建てられた門番さん達が休憩する場所に戻りたい。日の傾き具合から昼を過ぎた頃だろう。しらみつぶしに探すのは非効率だ。誰かに場所を尋ねなければ。
あまり入らないようにしていた敷地内なので、迷子にならないように来た道順を記憶しておく。途中、目印に木の幹で爪を研ぐのを忘れない。これでも身だしなみには気をつけている。仮にもレディだ。

「めっずらしい!今日は中を散歩してるのか!」
「馬に気をつけろよ〜。」
「にゃーん。」

はーい!と答える。門番も、兵士達が交代で担当しているので、我輩の事を知る兵士は多い。我輩は本当にめったなことでは動かないので、こうして少し歩くだけでとても珍しがられる。
男性兵士が多い中、女性兵士に出会うと彼女達は決まって我輩の頭を撫でてくれる。

「今日は兵団内を散歩?気を付けてね。」
「相変わらずふわふわね。気持ちいい。」

兵士であっても、彼女達はいつも綺麗だ。我輩も見習わなければ!ところで、と我輩は思い直し、気になっていた鬼神について聞いてみるとしよう。

「にゃあ。」
「ん?どうしたの?」

撫でていた女性兵士の一人にねぇ、ねぇ、と話しかける。

「にゃーあ、にゃあ!」
「なあに?」

鬼神って呼ばれている人知っていますか?と、尋ねてみるも我輩の言葉ではなかなか伝わらない。こういう時、とてももどかしい思いをする。
なんとか伝わらないかと、試行錯誤してみるもどうにも伝わらない。しまいには女性兵士達の休憩時間が終わってしまい、別れを告げられてしまった。
ううむ。鬼神を一目見たいと思う前に、まずは場所の把握と、言葉をなんとかして理解するしかない…。我輩は決意した。
鬼神を探すのを諦めたわけではないが、ひとまず置いておいて、我輩は敷地内の地理の把握に努める事にした。そうすれば鬼神にも会えるかもしれない!
なんていいアイディアなんだろう!と自画自賛しながら、足取り軽くステップを踏みながら敷地内の奥へと進む。
たーっ!やーっ!と叫ぶ声がする。声のする方を見ると、なるほど兵士達が互いに組み手を行っていた。どうやら対人格闘術の訓練のようである。
どすん!と一際重たそうな音が響いた。我輩が見ると、大きな男性が小柄な男性にひっくり返されていた。その体格差に、我輩の小さい目が大きく見開き、丸い瞳はさらに真ん丸になった。

「にゃあ!」

お見事!思わず我輩が称賛すると、ギロッと音がするくらい凶悪な視線が突き刺さった。あまりの鋭さに、思わずぶるりと身体が震え、我輩のしっぽが本能で臨戦態勢時のようにぴん、と立った。

「あ?なぜここに猫がいる…?」

あ、あかん、これヤバイやつや!我輩は身の危険を察し、ぴゅっと茂みに身を隠した。追ってこないのを確認する。小柄な男性はこちらを一瞥すると、そのまま続けて訓練に戻った。
我輩は大きく息を吸って吐いてを三度繰り返し、踊る心臓を何とか宥めた。

十分に周囲を警戒して、我輩は再度敷地内を散策する。すると今度はどこからか大きな悲鳴が聞こえた。
驚いて物陰に隠れる。しかし、兵士たちは何事か、ときょろきょろ周囲を見回したあと、何事もなかったかのように平常に戻る。いやいや、平常に戻るとか訳がわからない。絶叫だったのだ。
我輩は声が聞こえた方へ小走りで駆けた。
そこは布で中が見えないように遮断された場所だった。中からは相変わらず悲鳴が聞こえるが、兵士達の様子に乱れはない。こっそりと中へ忍び込むと、そこには眼鏡をかけ、髪を一つに結んだ人物が一人で、横たわっている何かにやいばを突き立てる。すると(つんざ)くような悲鳴が何かから発せられた。
恐る恐る『何か』に近付くと、人間よりもさらに大きな人間だった。

「うおぉおおおお!痛い?!痛いかい?!痛いよね!!そうだよね!!私も痛いよぉおおおおお!!!!」

髪を結んだ人物が、鳴きながら叫ぶ。我輩には衝撃が大きすぎて、何が何だか解らなかった。

「あ!ハンジ分隊長!!!近すぎます!!!」

外から男性兵士が一人入ってきて、それ以上巨人に近付いては危険です!と眼鏡の人物を後ろから羽交い絞めにした。我輩は目を見開いた。そうか、この横たわっているのが、巨人なのか。
我輩からしてみれば、人間も大きな人である。巨人と呼ばれるそれは確かに人間よりも更に巨大で、その名の通りであった。

(はな)してモブリット!これからこいつの指を切り落として、どのくらいで再生するのか確かめなきゃ。」

うふふ、と笑うハンジ分隊長は異常な反応である。怖い。
我輩は、そっと布をめくって外へ出た。中が少し薄暗かったせいか、陽の光が目に痛い。布の中から再び絶叫と、笑い声と制止を促す声が聞こえてくる。ぶるる、と身体を震わせて、我輩はその場から逃げるように駆けだした。

ただ中の様子を目撃しただけだというのに、全身の毛が逆立ち、酷くぞわぞわして落ち着かない。
「キジン」探しも止めにして、我輩は寝床にしている門の傍の小屋へ向かった。足取りは重く、トボトボ歩いていく。
なんだか酷い目に遭った気がした。しばらく敷地内へ入るのは止めておこうと固く決意し、我輩の「キジン」探しは終了した。

後日、対人格闘術で素晴らしい技を披露した小柄な男性が兵士長であることを知り、鬼気迫る表情だったのを朧げな記憶から引っ張り出してあれが「鬼神」だったのか…とぐったりした。
言われてみれば、確かに小柄で、眉間にしわを寄せていた。想像していた人物とは違ったので、思い通りにならないものだと再確認した。
そして、本当に「キジン」として名高い人物だったのは、巨人と向き合っていたハンジ分隊長だった事を、さらにその後日知ることになる。
その事実を知った時の我輩といえば、真ん丸目をこれでもかと言わんばかりに見開いて「キジン」って「奇人」だったのか!とがっくりした。