愛に番して猫人生3



-そしてその後[1]-



我輩は猫である。名前は
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。狭くて薄暗い、腐臭が立ち込める場所でにゃーにゃーと鳴いていたのを記憶している。
そんな我輩は、先日『クリスマスプレゼント』を人間達から頂いた。それは、我輩の『なまえ』である。生まれてこの方数十年。名前を持たずに生きてきたのだが、先日と名を賜わった。そしてなんと、人類最強の兵士である、いつも怖い顔のリヴァイ兵士長の補佐猫として、門の傍の小屋から、兵士長のお部屋へと住居を移した。
門番さん達がずいぶんと寂しそうな表情をしていたな、と我輩が物思いに耽っていると視線を感じた。
今はリヴァイ兵士長のお部屋の一番陽の当たる窓の傍が我輩の定位置である。その場所で視線を感じるとなれば、その視線を投げているのは一人しかいない。

「にゃあ。」

何かご用でしょうか、と我輩がリヴァイ兵士長の足元に赴き姿勢を正すと、リヴァイ兵士長は無言で書類を一枚渡して来た。我輩は、自分の唾液で書類が濡れないように気をつけながら、その書類を受け取る。

「それはハンジへ渡してくれ。…そんな表情をするな、戻ってきたら一緒に飯にするぞ。」

こ、この人は、飴と鞭の使い分けを本当に!よく!解っていらっしゃる!腹が立つくらいに!
我輩の表情はほとんど変わらないのだが、先日なぜか人の姿になって以来、リヴァイ兵士長を始め、エルヴィン・スミス団長、ハンジ・ゾエ分隊長、エレン・イェーガーにはお見通しのようである。特に、エレン・イェーガーとは地下で一緒に生活を共にしたせいか、他の三人よりもよくわかるようで、最近では我輩の心の内も見抜かれているのではないか、とヒヤヒヤする。
内心で悪態吐きながら、書類を加えて返事が出来ないので、尻尾をひと振りで了承の意味を伝えると、僅かに開かれた扉の隙間から廊下へ出た。
扉を少し開けておくのが、我輩が兵士長のお部屋へ来てから暗黙のルールとなった。もちろん、ずっと開いている訳ではない。重要な話の時は鍵まで閉める事もあるし、就寝時はしっかりと施錠して眠っている。
我輩は、さっさとお使いを終わらせて食事を取ろうと、小さな身体にとっては長い廊下をてけてん、てけてんとハンジ・ゾエ分隊長の部屋へ向かって歩いた。

リヴァイ兵士長のお部屋から、ハンジ・ゾエ分隊長の部屋までは我輩の足で数十分かかる。それはリヴァイ兵士長もご存知なので、あまり急ぎではないお仕事を回す時に我輩がお手伝いをしているのだ。その部屋同士を結ぶ廊下の合間に兵士達の休憩所がある。我輩は早くお使いを済ませてしまいたかったので、いつも立ち寄る休憩所を素通りしようとしたが、名前を呼ばれたので振り返った。エレン・イェーガーと、彼と同じ新兵の数人がいた。

!久しぶりだな、元気だったか?!」

お陽様の様な笑顔で、エレン・イェーガーが我輩の頭を撫でた。返事はできないので、しっぽで答えるとさらに表情をくしゃっとして笑った。我輩もその笑顔が見れて、とても嬉しい。

「エレン?その猫は?」
「ミカサ、紹介するよ。だ。以前は門のところに猫がいただろ?あの猫だよ!今はリヴァイ兵長のところにいるんだ。」

あのチビが…?とミカサと呼ばれた黒髪の綺麗な女の子が呟いた。お、おぉう!あのリヴァイ兵士長に向かってチビと言ったこの子は将来かなりの大物になるだろう、我輩は感動に身が震えた。

「門のところにいた猫ちゃんですか?!私覚えてますか?!」

おい、サシャ!とエレン・イェーガーより少し背の高い少年の制止を聞かず、我輩にずいっと近寄って来た少女に思わず三歩下がった。
覚えているとも!我輩のおやつに頂いたさつまいも、横取りされましたから!食べ物の恨みは怖いのですよ、サシャさん!!我輩、いずれあなたからお芋奪い返しますからね!!…おっと、それどころでは無かった。我輩、お使い頼まれているのですよ。そう心で呟くと、表情を読み取ったのかわかった、とエレン・イェーガーが言う。

「引き留めて悪かったな、。また時間がある時に俺達と話しをしような!」

じゃあな、とエレン・イェーガーが手を振ると、それに倣って他の新兵達もまたねー、と手を振ってくれた。我輩もしっぽを振って応えると、軽快に廊下を歩きだした。向かう先は心的外傷を与えてくれるハンジ・ゾエ分隊長の部屋だ。そう思うと、軽快、とは言い難い足取りとなった。
気が進まない道程をやっとの思いで目的地に着いた。さて、ここからが問題だ。ハンジ・ゾエ分隊長の補佐をしているモブリットが居ればいいのだが…。淡い期待を持ちながら、それでも居なかった時の落胆を考え、あまり期待せずに、我輩は短い手足を懸命に伸ばして扉を叩く。叩く、というよりひっかく?とにかく、耳を澄ましておかなければ聞こえないほどの音だ。
あぁ、緊張する。こんなにも緊張する事があるだろうか、いやない。反語。
たった数秒の時間が、何時間にも感じられ、我輩の肉球には嫌な汗が滲んでいる。ガチャ、と扉が音を立てて開いた。びくぅ!と我輩は飛び上がり、逃げ出したくなる衝動を何とか抑えながら、出てきた人物へ書類を渡そうと必死になった。

「あ、あぁ、…ありがとーぉ。」

なんとか書類を受け取ってもらったが、出てきたハンジ・ゾエ分隊長はいつものような朗らかな様子とは打って変わって憂いを帯びている。何かあったのだろうか。我輩が下から覗き込んで、大丈夫ですか?と声をかけると、隈の酷い顔を見せないように手で隠しながら大丈夫だから、と部屋へ戻ろうと扉を閉める。
平常時との違いに心配になった我輩は大丈夫というハンジ・ゾエ分隊長の言葉を無視してあれほど嫌がっていた部屋に一緒に滑り込んだ。
部屋に入ってから、我輩はやはり後悔をした。部屋の描写などおぞましくて口にしたくないので、みなさんの想像にお任せする。これでハンジ・ゾエ分隊長か、他の人が扉を開けないと我輩はこの部屋から出られなくなった。…いや、窓は開いているので、最悪窓から脱出はできるが…。それは最終手段だ。

「…大丈夫だって言ったのに、なんで君は入ってきちゃうかな?」
「に、にゃ〜ぁ。」

だ、だって心配だったんです、と弱弱しく言う。顔を手で覆ってしまっていて、ハンジ・ゾエ分隊長の表情は見えない。
無言の時間が数秒だったけれど、これまたとても長い時間のように感じる。部屋の中を極力みないように努めた。見たらダメだ、見たらダメだ!我輩はじり、と後ろへ下がる。嫌な予感が、する。退路を確保しようと、窓の位置を確認した。

「ねぇ、…?」
「にゃ、あ?」

なんですか、と答える。心臓がドンドンと内側から身体を叩いているように動いている。毛が逆立って、尻尾がぴん、と立った。ハンジ・ゾエ分隊長はその場からほとんど動いていないように感じるが、実際はほんの数センチずつ、我輩との距離を詰めていた。
ハンジ・ゾエ分隊長と我輩の目が合った次の瞬間―――!

「にゃ、にゃああああああ?!」
「君をモフモフさせて〜!!!!!!!」

ハンジ・ゾエ分隊長の腕の中につかまり、額をぐりぐりと背中に擦り付けられた。いだ、いだだ!ハンジ・ゾエ分隊長、痛いです!我輩、肉つきはそれほど良くないので、そんなにきつく擦り付けられると痛いです!!もっと優しく、優しくしてくださーいっ!!我輩はお腹の底から初めて声を出した。喉が痛い。擦り付けられている背中も痛い!
なんとか拘束から逃れようとするけれど、しっかり抱きしめられているせいで身体の自由がきかない。我輩がもがくのでどすん、ばたん、と部屋の中がなかなか騒がしい。
そこへ、我輩にとっては希望の光が一筋差し込んだ。

「おい、ハンジ。見なかったか?」
「にゃ、にゃあ!!」
「あ、リヴァイ、ならここだよ!」

リヴァイ兵士長!!我輩は心底助かった、とばかりに名前を呼んだ。リヴァイ兵士長は我輩とハンジ・ゾエ分隊長を見て身体を動かすのを刹那止めた。シン、と一瞬の沈黙が降りる。我輩は、背中を机につけ前足をハンジ・ゾエ分隊長に押さえつけられており、お腹を見せている。第三者が見ればハンジ・ゾエ分隊長が我輩に覆いかぶさって見えるだろう。もちろん、我輩が人の姿をしていれば、の話だ。
しかし、さすがはリヴァイ兵士長。すぐに我に返り、ハンジ・ゾエ分隊長に渾身の一撃を食らわせ、我輩を助け出してくれた。でも、あの、その…ハンジ・ゾエ分隊長は大丈夫なのでしょうか?地面でぴくぴくしていますが…?

「何もされていないな、。」
「にゃあ。」

大丈夫です、少し激しい愛情を受けておりました、と答えると、リヴァイ兵士長は怪訝そうに眉を寄せて、この世のものを見る目つきとは思えない視線で地面に横たわるハンジ・ゾエ分隊長を一瞥し、そのまま部屋を退出した。

「にゃあ…?」
「あぁ、ハンジは大丈夫だ。お前が気にする必要はない。…すまない、嫌がっていた理由はこれだったんだな。次からは気をつける。」

あぁ、リヴァイ兵士長にそんな顔をさせたかったわけじゃやないのです。我輩、お使い頑張ります!と言うと、リヴァイ兵士長はいつもの怖い顔を少しだけ緩ませて、口角をほんの少しだけ上げた。ほんの刹那の笑みに我輩は目を奪われた。うむ、我輩、一生リヴァイ兵士長についてゆきます…!

「腹が減った。飯食いに行くか、。」
「にゃあ!」

我輩もお腹が空きました、と答えるとリヴァイ兵士長は食堂へ向かった。我輩は来た道をちらりと振り返った。ハンジ・ゾエ分隊長…大丈夫だろうか?確かに、あのままだったら、撫で回されていただろう。最終的には、怪しい実験に付き合わされていたかもしれない。そう思うとぶるりと身体が震えた。

「寒いか?」

寒くないです!と答えるとそうか、と返事が帰ってきたが、リヴァイ兵士長はトレードマークのアスコットタイを解いて我輩に巻いてくれた。
…我輩、一生リヴァイ兵士長について行きます!大事な事なので二回言います!

我輩は猫である。名前は。調査兵団の番猫、兼兵士長補佐猫を務めている。食事が済んだら、今日も元気に兵士長のお使い頑張ります!